第十九話:DISTRUST
「今まで通り、わたしがバックアップに回る」
「ええ。わかりました」
六本足の妖魔が、のたくるように突進を繰り出す中で、急造のタッグは、本当に急場の連携を繰り返していた。
まず城山が前に出て、囮のように引きつける。その間に後ろへ下がった十河が得物のクナイを握って照準を定める。余計な力は入れず、ただ体の横でだらんと持っていた。
横へと逸れていった城山を追尾する妖魔の動きは、醜悪だった。六本の足を絡ませることなく方向転換していく様は、百足を思わせた。十河は腕が粟立つのを感じたが、集中を途切らせることなく、その時を待つ。
城山が間一髪のところで、機敏に妖魔の体当たりをかわす。直後に店のシャッターに妖魔がぶつかる激しい音がする。頭から突っ込んだようだ。十河が剋目する。両手に握ったクナイが無駄のない軌道で走った。それは妖魔の後ろ足、人間で言うところの膝裏へと突き刺さる。人と同じで比較的肉が柔らかいのか、刃先がズブリと深く潜り込んだ時、妖魔が一つ悲鳴を上げる。猛禽類が息絶えるような、甲高い音で、二人が二人同時に顔をしかめた。半狂乱になった妖魔は突っ込んでいた頭を引きずり出して、しっちゃかめっちゃか振り回した。妖魔の頭には、円月刀のように湾曲しあった二本の角が生えていて、城山はバックステップを幾度か繰り返して距離を取った。
「随分鈍重ですね」
十河が傍までやってきたのを背中で感じた城山が所感を述べる。
「みたいだな。見た目はブルともバッファローともつかんが、動きはどちらにも劣らず」
毛並みのない、黒く分厚い皮に包まれた体が、もう一度二人の方へ向き直る。後ろの左足からは、動くたびにジュブジュブと汚血のように黒ずんだ血が噴きだし、商店街の化粧煉瓦を汚していった。
「体が黒なら、血まで黒か」
不快感が滲む声で十河が呟く。クナイは確かに刺さっている。彼女の言葉通り、黒い血も確かに出ている。
「どうしますかね?」
だが弱らないのだ。動きは確かに鈍いのだが、それは最初に対面した時から変わらない。それ以上に弱った兆候がない。歩みを止めたりするようなことがない。クナイは既に両の後ろ足に六本刺さっている。つまり一連のカウンターを三度お見舞いしているにも関わらず、狙った効果が得られていない。
城山の身体能力をもってすれば、万に一つもかの妖魔の突進を避けきれず、という事態にはならない。十河の集中力をもってすれば、万に一つも鈍重な妖魔への投擲をしくじることはない。しかし、それを一体何度繰り返せば、相手は弱るのか。
「このまま続けますか?」
十河は城山の声音に、不愉快なものを感じた。自分が一人でやってみようか、というような提案を言外に含んでいるような気がした。埒があかないのではないか、と。そのような自信と余裕を含んだ声音に聞こえていた。そして城山の意は、現状理に適っている。それがわかっているだけに、余計に腹立たしく思った。足への攻撃が意味を成さないなら、直接頭部や前足などへの攻撃を加えてみるべきだ。そしてそういった近接戦闘にどちらが向いているか、そんなことは火を見るより明らかだった……
十河が走る。城山の後ろに居た彼女は、そこから横へと走り出す。妖魔が反応する。チャクラムの如く湾曲しあって一つの輪のようになった二本の角が、触角のように十河の動きを追尾していく。
「十河さん!」
先程からの衝突で、妖魔は動くものへと反応を示す傾向があることは両者とも気付いていた。だからこそ、先に城山が動き、敵を引きつけるという役目を担っていたのだ。城山が動いた後には、十河も投擲に最適な位置取りに走るが、妖魔は見向きもしない。先に動いた相手を仕留めることにしか頭が回らない、まさしく獣も同然の思考回路。だから逆に十河が先に動いてしまえば、当然妖魔は彼女の方に向くわけで……
走り出す妖魔の後を、城山は舌打ちしながら追いかける。十河の突然の作戦外行動の理由を、城山は漠然と理解していた。功を焦った、というわけではない。いや、ある意味では合っているのかもしれない。それは城山の存在だ。鳴り物入りのような扱いで入ってきた新人。しかもそれがあまり彼女の気には召さない人種だった。そんな男に無能のように思われるのが、我慢ならなかったのではないか。
しかし城山は、彼女を無能と断定したから、作戦の変更を促すようなトーンでもって言葉を掛けたのではない。実際に彼女の両手から繰り出されるクナイの正確無比なコントロールには、初見で舌を巻いた。相当の鍛錬の賜物であることは、その道には門外漢である彼にもわかった。だからそういうことではないのだ。今回は相手が悪いというだけ。鈍重な代わりに恐ろしくタフである以上、武器の特性として、軽く速いクナイの投擲では歯が立たないということ。そういった判断の下、いわば大所高所で考えた上での提案だったのだが、彼女の自尊心をくすぐるような結果になってしまった。
十河の目論見はこうだ。十分まで引き付けてから、最も加速の勢いがつく位置でクナイを放る。最大限の威力を持った得物は、相手の眉間と首筋へと突き刺さる。これならば、いかな生物もひとたまりもないはずだ。足がいくら固かろうと、首や眉間が頑強であるのは難しい。
ざまあみろと鼻をあかしてやりたかった。お前が居なくても。わたし一人でも近接も遠距離もこなしてみせる。その証明にアイデンティティーが懸かっているかのようだった。いや、実際懸かっているといっても過言ではなかった。あのように残酷無比な、少し挑発されたくらいで人を簡単に傷つけるような人間に、自身の力不足を見せるようなことがあっては、彼女の正義は屈してしまう。
その場でグッと踏ん張った。妖魔は狂ったように足を動かし、彼女へと駆ける。頭はぶれることなく、しっかりと彼女の胸元目掛けている。まだだ。もう少し。城山の冷たい目を思い出した。あと数歩。目測を誤ることは許されない。過たない自信も十二分にある。城山が自分一人で倒せると踏んだ、その自信よりも強く。当たるビジョンしか見えない。当たって、足の動きが止まり、倒れこむ。そのビジョン……
妖魔が彼女の測った最適のポジションへと前足を踏み入れるかどうかのところで、十河は動いた。左手は振りかぶるよりは速く、クナイを真っ直ぐに放る。眉間へ。体の横へ垂らしたままだった右手は、振り上げる動作の途上、最も勢いのついたポイントでリリース。首へ。どちらも会心だった。角の直下にある眉間へはより命中精度の高い上手で。よほどのことがない限り外すほうが難しい首へは、より威力の出る下手で。決まった。外しようがない。仕損じようがない。放ち、それぞれ思い描いた通りの軌道を辿って、ポイントへと向かっていくクナイの背を見ながら、十河は気持ちが昂ぶるのを感じた。