第十八話:そっちじゃありません
大金井市は、人口三十万を数える、中堅都市。適度に田舎で適度に都会、などという諧謔とも真剣とも取れないフレーズを触れ回っているが、実際的を射ているのだから、訪れる人間としては何とも言えない。京鳳線大金井駅の駅前は、古き良き商店街が伸びているのだが、駅ビルには小洒落た外資の店などが軒を連ね、まさに新旧混然とした様態だった。
二人はその駅ビルの近くのタイムパーキングへ車を停めた。出るときには領収書を発行しておくよう三好に釘を刺されていた。経費で落とすそうだ。パーク内の自販機でジュースを二本買って片方を十河に差し出した。厚意にはキチンと礼を言える人間だということはわかった。
伸びる商店街のエンドは唐突だった。金物屋の隣がいきなり空き地だ。金網が張ってあって、それが随分薄い色合いになっているところを見るに、長く買い手が見つかっていないのだろうということが窺い知れる。その空き地の隣は民家のようだ。古いが豪壮な佇まいを見るに、ここいらの土地は高いらしく、買い手がつかないことも頷けた。
「ここらへんで良いですかね?」
十河はさっきから携帯と睨めっこ。地図を添付したメールを三好から受け取ったそうで、詳細な位置を割り出している。城山の質問にも答えずに、じっと画面に見入っている。その頭から知恵熱の湯気でも出ているような錯覚を覚えた城山は、近づいていった。先程の会話を思い出すだに、妙な不安が払拭できない。
「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「ああ。こっちで合っている筈なんだが」
城山が携帯を手に取る。あまり装飾はなく、持ち主に似つかわしかった。
「……」
「どうだ?」
「十河さん」
「なんだ?」
「これ、南口です」
十河の案内に従って二人が歩いてきたのは、北口から伸びる商店街だった。
南口の方から伸びる商店街は、どこか新風に迎合しようとした雰囲気を感じさせる店が並んでいた。しかしそれは中途半端で、服やアクセサリを扱っていたりするのだが、微妙にセンスが良くなく、若者がこの店で買い物をするとは到底思えなかった。城山は経営者でもないのに居たたまれない気分だった。
そして居たたまれないのは十河も同様だった。
「すまなかった」
「いえ。僕は別に。こうして間に合ってるわけですし」
飄々と答える城山からは、本当に責めるような空気は感じられなかった。むしろ印象を改めた。好ましい部分をチラホラ見られたのが大きい。こうして自分の非は素直に認めるし、先のジュースを受け取った時も厭味のない調子で礼を言った。だが好ましい部分もあるというだけで、実際今すぐ彼女と良好な人間関係を築けと言われれば、無理だと即答できる。やはり未だ隔たりは感じるし、第一愛想が悪すぎる。おまけに理解に苦しむほど非常識な部分も見た。毀誉褒貶定まらないというのが、忌憚なき今の心境だった。
「ほら、着きました。今度こそ、ここら辺です」
そう言って十河に携帯を返した。また謝意を口にした彼女に苦笑を返す。これは城山の推測でしかないが、彼女がこんな小さな事でここまで負い目を感じてしまうのは、多分に彼女の強い使命感のせいではないだろうか。到着が遅れて徒花のように人の命が散ってしまうのを良しとしないとは、車の中で聞いた。けれど、実際まだ被害が出たわけでもないので、代わりに自分へ謝ってしまうのではないか。
そんなことを城山が考えているうちに、十河は申し訳なさそうな顔をやめ、表情をぐっと引き締める。立ち止まって肩に掛けていた鞄を下ろした。
「ああ。では始めるか」
そう言って鞄から小瓶を取り出す。それを城山へと差し出した。ブルーハワイのように艶やかな青をした液体が入っている。
「香水、ですか?」
十河が首肯する。
「妖魔の好む匂いがする」
目が悪いとは言っていたが、鼻まで悪いとは言っていなかった。いやむしろ、目が利かないからこそ、その他の器官は鋭敏なのかもしれない。
「なるほど」
城山は先程車内で嗅いだ彼女の芳香を思い出す。オシャレでつけていたわけではないらしい。
城山は素直にそれを受け取ると、手首や首回りに吹きかけた。
「そうだな。そういう血管の集まる場所にするのが良い」
ここに来て、ようやく先輩風を吹かせられる状況がやってきたことが、十河の頬を少し緩めた。車に乗り込んでからこっち、どちらが先輩かわからないような状態だったのだから無理からぬことかもしれない。
「わたしが入るずっと前、黎明期の頃は血を塗っていたらしい」
やはりどこか得意そうだった。
「ぞっとしない話ですね。ホオジロザメじゃあるまいし」
「ロレンチーニと言わずとも、連中は鼻がいい。おまけに血に飢えた捕食者という点では、さして変わらない」
噴き付け終わり、返す。辺りはうら寂れており、平日の昼間ということもあって閑散としていた。前も後ろもシャッターの下りた自営業の元店舗ばかりだった。
「こうしておかないと、標的にされない。だから必須だ」
もう一度自分も軽くかけなおしてから、鞄にしまう。
「ですけど、どうして僕が退治した時の獣は、な…… あの少女を襲ったんですか?」
疑問を口に出す。これでは香水は伊達や洒落と言わずにはいられない。十河はやや困ったような顔をした。城山が初めて見る表情だ。
「わからない。ただ、可能性の話をすると、あの少女はこれと似たような香水をつけていたんじゃないか? 近くに寄ったんだ。おまけに家まで送ってやったんだろう? これと同じ匂いをしていなかったか?」
小瓶の入った鞄を指の腹で叩いた。
「いや…… 僕は別に変態じゃないので、そんなに鼻の穴広げて嗅いだわけはないです。第一嗅いでいたとしても、香水なんてどれも同じ匂いにしか感じませんよ。僕は目がいいんで、鼻はよくないんです」
冗談のつもりだったが、十河は笑わなかった。
ピンと張り詰めたような空気が流れた。唐突に、周囲から音が消え去る。世界が書き換えられたような、そんな強い違和感。
「お喋りは終わりのようだな」
城山が目だけ動かして腕時計を確認する。丁度昼の二時に差し掛かろうとしていた。音邑の予言の信憑性を身をもって体験した瞬間だった。