第十四話:陰陽深く
腹が減ったということで、城山は周囲の様子も含めて街を少し散策することにした。驚いたのは、そんなフラフラした様子を見て真田がついてきたことだった。案内するよ、と白い歯を見せた彼に、貴方も中々人が良いですね、という言葉を飲み込むのに苦労した。
二人して定食屋の暖簾をくぐった。暖簾には「定食屋 ケイ」とあった。俺と同じ名前なんだぜ、とやはり屈託無く笑うので、城山も気負いを放って笑ってやった。この定食屋ケイ、味が良いらしく、昼時を少し過ぎてしまった時間帯にあっても、背広の男たちがそれなりにカウンターを賑わせていた。床板なんかには所々腐ったように黒ずんだ箇所も散見されるというのに、漂う芳香と元気の良い厨房からの声を聞くだけで、活力が湧いてくるようで、城山も不思議と気にならなかった。むしろそういったボロさが逆に味があるような気さえしてくる。
「いやさ。ここは本当に美味いんだよ」
彼のオススメは焼き魚定食だそうで、城山は素直にそれを頼んだ。
「だけどあんまり見栄えが良くないだろう?」
無遠慮に大きな声で言うので、城山は店主に聞かれないだろうかとヒヤヒヤした。
「だから女の子は誘えないし、お前が来てくれてよかったぜ」
「はは。僕も何処が美味いかなんて知らないですから、随分助かりました」
軽口に応じながら、三好や十河の顔を思い浮かべる。確かに彼女らがこういった大衆食堂、しかも衛生面に若干の不安を感じるような場所で食事を取る姿は想像しがたい。
「お前には、さっき言い忘れたこともあったしな」
「なんですか?」
先にやって来た鯖味噌煮定食の鯖に箸を入れながら、真田はのんびりした口調で答えた。
「ああ。あのビルな、八階は電力事情が芳しくない」
そんなこと、と言いかけた城山にピシャリと言い放つ。
「テレビをつけながらエアコンを入れる時は、冷蔵庫のコードを抜け」
「え?」
「ブレーカーが落ちる」
「……」
芳しくないどころか、信じられないほど貧弱だ。
「いやな、前に複数人が集まって、スクリーンやらスピーカやら完璧にしてAV鑑賞会をしたんだ」
真田が鼻かしらを掻きながら言う。その様子から、その鑑賞会には彼も参加していたことが容易に推察できた。
「したら、それがお嬢にバレてな。あの通り、アイツ初心だからね」
話を続けようとする真田に、城山が声を掛ける。
「えと、お嬢って誰のことです?」
キョトンとした様子で、真田は答える。
「なんだ? 三好さんとお嬢と話をしてたんだろうに、聞いてないのか?」
「その口ぶりからすると、十河さんのことですか?」
「おう。なんだ、さん付けなのか? お前より三つくらい下だぞ?」
「ええ、そうらしいですね」
「まあいいや。アイツは良いとこのお嬢様なんだと」
「……へえ、そうなんですか」
「続けると、そのお嬢が鑑賞会にオカンムリで、三好さんにチクリやがったんだ」
それで、余計な電力を使えないように処置したそうだ。三好さんもお嬢ほどじゃないが、潔癖なところがあるからなあとぼやく。
「お前、あんまりお嬢に良く思われてないっぽいな?」
話を戻した真田は、好奇心旺盛な瞳をしていた。
「ええ。フンコロガシでも見るような目で見られてますね」
二人とも食事を終えて、城山は煙草を吸いたくなってきた。
「何かしたのか? アイツは生真面目で無愛想だが、理由もなく相手を嫌うような奴じゃない」
「何もしてませんよ。正義感が強いんじゃないですか?」
城山が言ったのは、牛島のことだった。言ってからしまったとは思った。そのことについては真田にしても、少し納得できない部分もあるらしいということは先の会話でわかっていた。早く外へ出て一服したいという欲求が強くて、城山の頭は細かいことにまで気を回せずにいた。
「ううん。かもなあ。そういうところは確かにあるしな」
だが、予想よりは落ち着いた反応で、城山はそっと安堵した。
「だが、そうも言ってられないんじゃないのか?」
「……」
「お前、アイツと組まされるんだろう?」
真田はからかうでもなく、心配するでもなく、丁度その中間の気持ちであるらしく、微妙な顔をして聞いた。
「ええ。そのようで」
城山は三好の部屋で言われたことを思い返しながら、心底困ったように苦笑した。
あらかた説明が終わると、次に実際の勤務についての話へと移行していった。城山の夜勤希望というのは受け付けられないものだった。ならばせめて夕方の数時間だけ抜けさせてくれないかという話をした。三好は何かあるのかと尋ねたが、城山はちょっと外せない用があるとだけ言った。シフトを組み立てるのも三好の仕事であるから、あまり一人の要望を聞きすぎては自分が後々困るわけだが、城山の意志が固そうなのを見て、不承不承といった感じで頷いた。善処します、ということだった。
「あまり無理を言うな。三好さんが困っているだろう?」
「……」
横から口を挟んだ十河に向けた城山の目は、自身でも気付かぬうちに相当冷たい色をしていた。
「受け入れられないなら、別の仕事を探すだけです」
たじろぎながらも、真っ直ぐ見返す十河の瞳。三好が割って入る。
「なんとかしてみます。城山さんにとって重要な用事のようですし。今折角契約していただいたのに、いきなり袖にされてもかないませんから」
そう言うと少し大袈裟に肩を竦めてみせる。十河の方が舌鋒をおさめて、黙りこくった。
「しかし…… そんな調子で大丈夫ですか?」
「何がですか?」
城山は話が見えない。十河の方はぎゅっと拳を握った。
「貴方には、そちらの十河由弦と組んでしばらくは仕事に当たってもらおうと思っています」
「え?」
「本当は真田君あたりと組ませようと考えていたのですが……」
そこまで言うと、三好は立ち上がり、文机の上にあった書類を持って戻る。二枚の紙片だ。その両方をちゃぶ台の上に広げた。一枚は査定書のようだ。戦闘技能、貢献度、人間性、などなどの項目が並んでいる。流石に具体的な給与額なんぞは記載されていないものだった。一番上を見ると、十河の名前が書いてあった。彼女の査定ということらしい。戦闘技能の欄よりも、貢献度や人間性の方に多くの点数がふられている。もう一枚は城山の名。戦闘技能は90と数字がふられている。100点満点だろう。
「本当は、コレはわたし用のもので、相手に見せるものではないんですが」
「いや、そんなことより、僕の人間性が3なんですけど?」
「なにか?」
「……」
確かにコレは相手には見せない方が良いだろうと城山は思う。腹を立てる人間も居るだろう。しかし城山は彼女の意図の裏までは気付いていなかった。実際このようなことをしたのは、忌憚ない評価を見せても、激高するような人間ではないという信頼の傍証である。三好しか知りえないことだが、この人間性という項目については、実際の勤務態度や素行などがあたり、城山の場合は予測ではあるが、決してコレが低いからと言って直ちに嫌な奴だというわけではない。
「とにかく。二人の欠点を補い合う形、つまり理想型なんです」
「はあ。まあ僕は誰と組んでも構わないですけど……」
十河の顔を見る。また瞑目しているもので、城山は彼女が何を考えているかわからなかった。代わって三好が言う。
「由弦なら納得してくれています。彼女にとっても貴方の戦いぶりを間近で見られるのは、非常に有意義でしょう」
三好は訥々と語るが、十河の方は彫像のようになってしまっていて、ピクリとも頷かなかった。城山は不安を感じずにはいられなかったが、
「そういうことでお願いします」
と責任者に言われては、了承するより他なかった。