正面から
学校がある日と違って、時間を気にする必要はない。澪はそのことを一度だけ確認してから、試練型ダンジョンの入口に立った。昨日は学校帰りで、様子を見るだけで切り上げた。今日は違う。消耗してもいいし、途中で引き返す理由もない。最初から、行けるところまで行くつもりで来ている。
淡く揺れる光の向こうへ足を踏み出そうとした、その直前。
「――おい」
声に呼び止められて振り返ると、男が三人立っていた。装備は一通り揃っているが、どれも新しい。澪の手元に武器がないことを見て、男たちの表情がわずかに緩む。
「一人? それで潜るつもり?」
「危ないぞ、ここ」
澪は男たちを一瞥しただけで、すぐに視線を外した。
「別に」
短く返して、入口へ向き直る。
「ちょっと待てよ」
語気が変わり、背後との距離が詰まる気配がした。
「せっかく声かけてやってんだぜ?」
――邪魔。
そう判断した瞬間だった。
「はいはい、そこまで」
軽い声が割って入る。振り向くと、二十代半ばくらいの女性が立っていた。装備は簡素で、ぱっと見は目立たない。それなのに、男たちの態度だけが急に変わる。
「……鷹宮さん」
名前が出た途端、さっきまでの軽さが消え、視線が泳いだ。鷹宮いつき。この辺りではそれなりに知られている探索者らしい。男たちは舌打ちを一つ残し、何も言わずにその場を離れていった。
澪は女性に向き直り、小さく頭を下げる。
「……どうも」
「気にしないで」
いつきは軽く手を振り、それから澪の両手に視線を落とした。
「一人で潜るの?」
「そう」
「武器は?」
「ない」
一拍置いて、いつきが小さく息を吐く。
「……へえ。さすがにそれは危ないでしょ。お姉さんと一緒に行かない?」
澪は入口の光へ視線を戻した。近くに立たれても、特に威圧感はない。ただ、周囲と同じではない気はした。
「間に合ってる」
それだけ言って、ためらいなく光の中へ足を踏み入れる。背後で何か言われた気もしたが、聞かなかった。
*
洞窟の冷えた空気が、肌にまとわりつく。
第一層。岩肌に囲まれた空間は昨日と変わらない。澪は足音を抑えながら進み、視界が少し開けたところで立ち止まった。
広場。ゴブリンが二体。棍棒を手に、落ち着きなく動き回っている。
澪は隠れることなく、そのまま姿を現した。
甲高い声が上がり、二体が同時に突っ込んでくる。澪は一体目の攻撃を横に流し、拳を振るおうとした瞬間、視界の端が揺れ、横からの衝撃が肩を打った。遅れて、鈍い痛みが走る。
「……なるほど」
一歩下がり、二体の位置を見る。同時に相手をしようとしたのがまずかった。
ゴブリンが再び前に出る。澪は拳を出さず、かわすことに専念した。距離を調整しながら動きを誘導すると、一体が前に出た瞬間、もう一体の背中が自然と空く。
踏み込み、膝裏を蹴る。体重を乗せる必要はなかった。関節が折れる感触と同時に、ゴブリンの体が崩れる。膝をついたところで足首を踏み抜くと、骨の潰れる感触が足裏に返ってきた。
甲高い悲鳴が洞窟に反響する。
「……うるさい」
低く呟き、澪はもう一体へ向き直る。
残ったゴブリンは棍棒を構えたまま、動きを止めている。怯えているようにも見えた。
澪は一瞬だけ首を傾げる。
――逃げる?
まあ、どうでもいい。
正面から踏み込む。ゴブリンは慌てて棍棒を振り回したが、距離感が合っていない。澪は顎に拳を叩き込み、手応えを感じた直後、頭部を蹴り飛ばした。倒れたところへ間を置かずに踏み込み、何度も頭を踏み抜く。力は抜かない。止める理由もない。
数回で抵抗が消え、ゴブリンの体が砂のように崩れた。
澪は息を整え、足を壊したまま残っている一体を見る。悲鳴を止め、怯えた目でこちらを見ている。
「……モンスターが?」
短く呟き、数秒だけ観察する。意味はないと判断し、近づいてとどめを刺した。断末魔が消え、洞窟は静かになる。
*
澪はその場に立ったまま、肩で息をした。
時間がかかった。昨日よりも、はっきりと。痛みも残っているし、疲労も無視できない。
それでも。
「……強くなった感じは、しないな」
小さく呟く。
ゴブリン程度では足りないのかもしれない。澪は視線を奥へ向けた。通路は、まだ続いている。
今日は時間がある。
「……行くか」
それだけ言って、歩き出した。




