開会
やってきたぞー!!ここで私たちは最強になる!!」
会場の前で、ひなたが両腕を突き上げた。
その声に、周囲の観客がちらりと視線をよこす。笑う人もいれば、スマホを向ける人もいる。入口付近は人の波で詰まり、ガラス越しの熱気が肌にまとわりつくようだった。
風に乗って、いろんな音が混ざって届く。
歓声、シャッター音、アナウンスの試験放送、配信者の甲高い声。スポンサー名の入った横断幕が何枚もぶら下がっていて、スーツ姿の大人たちが名札を揺らしながら速足で行き交っていた。
初開催。高校生限定。新人発掘。
言葉としては聞いていた。でも、目の前の現実はそれ以上だった。
「ひなたは出場しないけどね」
澪が短く返す。
そう言いながらも、視線は会場の奥へ吸い寄せられていた。
(……すご)
不思議な高揚感が、腹の底からじわじわ湧いてくる。
喉が渇くわけでもないのに、無意識に拳を握りしめていた。握った指が白くなる。ほどこうとしても、うまく力が抜けない。
ここで戦う。
それだけで、体が勝手に“始まって”しまう。
「緊張してる?」
ひなたが、顔を覗き込む。
心配しているというより、何かを確かめるような目だった。まっすぐ見ているのに、表情だけがやけに軽い。
澪はその意図が分からないまま――答えようとして、口を開きかける。
「やあ。待たせてすまない」
横から声が割り込んだ。澪は反射的に振り返る。
神谷と石崎が立っていた。
いつも通りのはずなのに、二人ともどこかぎこちない。会場の空気に飲まれかけているのか、それとも別の理由か。
神谷は笑っている。普段と同じ、柔らかい顔。
石崎は……目が妙に落ち着かない。周囲を一度見回してから、澪を見た。
「遅い」
「すまない。石崎君との合流に少し手間取ってしまってね」
「……すまん」
石崎がぶっきらぼうに謝った。謝罪の形はしているのに、いつもの勢いが薄い。
澪が違和感を覚えた、その瞬間。
「初めまして」
小さな声がした。
石崎の後ろに、小学生くらいの背丈の女の子がいた。
背は低いのに、姿勢がやけに落ち着いていて、目だけが静かに澪を見ている。会場の熱気に飲まれていない。むしろ、周りを“観察”している目だった。
「石崎朱莉です。本日、兄がお世話になります」
澪は固まった。
石崎の妹――? 似ていない。雰囲気も、顔立ちも、何もかも違う。
勝手に“神谷の妹”だと思ってしまっていた自分に、遅れて驚きが来る。
その横で、ひなたは迷いなく前に出た。こういう時のひなたは速い。
「初めまして!朱莉ちゃん!私は朝倉ひなた!石崎くんの友達なんだ!」
朱莉はぺこりと頭を下げる。
「よろしくお願いします」
澪はまだ言葉が出ない。
その沈黙を石崎が見逃すはずもなく、眉を吊り上げた。
「おい、なんだその反応は。挨拶くらい返せ」
睨まれて、澪は我に返る。
舌が少しだけもつれる。こんなことで固まるのが腹立たしい。
「……は、初めまして。相澤澪。よろしく」
自分でも硬いと思った。
朱莉は気にした様子もなく、もう一度小さく頷いた。
ひなたが満足そうに笑い、神谷が穏やかに会釈する。
澪はそれを横目に見ながら、石崎のほうへ視線を戻す。
……石崎の目つきが、朱莉に向いた時だけ柔らかくなる。
ほんの一瞬。誰にも見せないところを見てしまった気がして、澪は視線を切った。
石崎が小さく舌打ちし、ひなたに向き直る。
「今日は妹の面倒を見ててくれ。くれぐれも頼んだぞ」
普段の口調のままなのに、妙に“頼んでる”響きが混じっていた。
ひなたはそれを受け止めるように、わざと大きくうなずく。
「りょーかい!!任せてよ!!」
石崎がむず痒そうに顔を背けた。
照れではない。たぶん、弱みを見せた自覚がある顔。
「……まあいい。行くぞ」
その場でひなたが手を叩いた。
「じゃあ!選手組は開会式の会場へ!私たちはスタッフさんについて観客席に行こう!」
スタッフに案内され、ひなたと朱莉は観客席の方向へ。
澪たち三人は選手導線に吸い込まれていった。
澪は一度だけ振り返る。
ひなたが朱莉の歩幅に合わせて、少しだけ歩く速度を落としている。
その姿を見た瞬間、胸の奥が少しだけ落ち着いた。
⸻
*
開会式は――澪にとって、正直退屈だった。
協会の挨拶、普及活動の話、若い世代への期待、スポンサーの紹介。
拍手は多いのに、内容は頭を滑っていく。数字の話。未来の話。安全性の話。全部“正しい”。正しいから眠くなる。
澪は欠伸を噛み殺しながら、選手導線の通路を歩いた。
通路は選手専用なのに、壁際には報道用のカメラが並び、スタッフがインカムで連絡を取り合っている。
機材の光がチカチカして、視界の端が落ち着かない。
一方で神谷と石崎は静かだった。会場の空気を、黙って吸っている。
神谷は落ち着いてる。
石崎は……さっきから落ち着いてない。歩幅が微妙に速い。足音が強い。
「おい」
石崎が苛立った声を出す。
「なんだよその顔。緊張感ねえのか」
「別に」
澪は肩をすくめる。
「長い話が嫌いなだけ」
「ふざけてんのか」
「ふざけてない」
空気がピリッと立つ。
石崎が一歩寄り、澪もわずかに顎を上げた。目線がぶつかる。
ほんの一瞬、周囲の音が遠のいた気がする。
「まあまあ」
神谷が、間に入るように笑った。
声の温度がちょうどいい。熱を冷ましすぎない。火種だけ消す。
「二人とも、今やることじゃない。落ち着こう」
石崎が鼻を鳴らし、澪は視線を逸らした。
少しだけ、空気が戻る。
「……それにしても」
神谷が小さく言う。
「思っていた以上に、レベルが高そうなチームが多いね」
神谷の視線は、人の流れの向こう――別の控室へ向かう選手たちに向いていた。
歩き方、肩の力の抜き方、周囲の見方。
同じ学生でも、空気が違う奴がいる。
「……だな」
石崎も短く同意した。
その声が少し固い。澪はそこに“理由”を感じる。朱莉の顔が頭をよぎった。
だが澪は、そこに深入りしない。
「関係ない。叩き潰すだけ」
二人が一瞬だけ面喰らった顔になる。
神谷は小さく笑い、石崎は舌打ち混じりに吐いた。
「……まあ、そりゃそうだ」
通路の端で三人はスマホを開き、端末の大会ページを確認した。
試合時刻、対戦相手、集合場所。機械的な表示が淡々と並ぶ。
それが妙に現実的で、澪の高揚がまた一段上がる。
「初戦……時間、近いね」
神谷が静かに言う。
澪は頷く。
「行こう」
三人は対戦型ダンジョンへ向かった。
次の扉の先で何が待っていようと、やることは一つだ。
⸻
*
観客席は、スポーツの会場みたいにドーム状になっていた。
中央にリング。上部の巨大スクリーン。四方の観客席。
照明が強く、空気が熱い。人の体温と機材の熱が混ざって、肌に貼りつくようだった。
観客席はチケット制だったが、選手の関係者には優先枠があるらしい。
同じチームの関係者が近くなるよう配置されている。
だから、ひなたと朱莉は比較的近い場所で並んで座ることになった。
「朱莉ちゃん、見やすいね!ラッキー!」
ひなたが座席に腰を下ろし、前のリングを覗き込む。
朱莉は小さく頷き、手すりに手を置いたまま落ち着いている。
落ち着いているのに、指先だけは少し固い。手すりを握る力が微妙に強い。
……その時だった。
ひなたの隣、少し前の列に座る夫婦の姿が目に入った。
二人とも落ち着かない様子で、何度もスマホを確認している。
視線がリングに向くたび、表情が硬くなる。
緊張というより、祈りに近い。
(……なんか、澪ちゃんに似てる)
雰囲気が少しだけ。特に、視線の鋭さが。
ひなたは迷ったが、結局、声をかけた。
「すみません。あの……相澤澪ちゃんの関係者の方ですか?」
夫婦が驚いたように振り返る。
少し間があって、女性が小さく頷いた。
「……はい。娘です」
やっぱり。
「私、朝倉ひなたです。澪ちゃんと一緒にダンジョンに入ってる友達で……」
夫婦の顔が一段、強張る。
母親の目が、ひなたの顔を見てから朱莉に行く。
朱莉の存在に気づいたのか、ほんの少しだけ息を飲んだ。
「……澪が、あなたと?」
「はい。いつも一緒に行ってます」
父親の方が、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「澪は……昔、無能者だと言われていた。今は違う。しかし――」
母親が続ける。
「再生能力だって聞いて。戦闘向きじゃないんじゃないかって……。正直、心配で」
不安は、きっと今まで積もっていた。
“娘が戦う”という事実を受け止めるだけで長い時間が必要だったのだろう。
まして今日みたいな場所で、その不安は濃くなる。
ひなたは笑ってみせた。軽く、でも適当に聞こえないように。
笑って、息を整えて、それから言い切る。
「大丈夫です」
夫婦の目がひなたを見つめる。
ひなたは言葉を選ぶ。選びすぎない。相手が欲しいのは理屈じゃない。
「澪ちゃんはダンジョンで大きく成長しました。体も、心も。間違いなく今回の優勝候補です」
まだ不安そうな目。
ひなたはそこで、少しだけ声を落とした。
「……それに、澪ちゃんはいずれ最強になります。私はそう思ってます」
夫婦が言葉を失う。
今は“納得”じゃなく、“見てもらう”のが先だ。
前方のリングが照明に照らされ、会場全体の熱が一段上がった。
試合開始が近い。アナウンスの声が、観客席を撫でるように流れる。
ひなたは前を向く。
(見せてよ。澪ちゃん)
朱莉も、同じ方向を見ている。
小さな手が、手すりを少し強く握った。
やがて、アナウンスが響いた。
澪たちの試合が、始まる。




