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彼女の人生

彼女は小さい頃から、ダンジョンに憧れを持っていた。

資源も、エネルギーも、強さも。何もかもが手に入る不思議な空間――そういう言葉の並びが、子どもの好奇心を容赦なく掻き立てた。


ダンジョンは日常の外じゃない。

対戦型の配信は当たり前で、ニュースも広告も、そこに紐づいて回っている。

それでも――試練型の奥へ踏み込む話だけは、空気が少し変わる。

「蘇生があるから平気」と笑う人の声が、ほんの少しだけ軽くなるのを彼女は知っていた。


だから余計に、惹かれた。

誰もが口にするのに、誰もが同じ場所を避けている。そこに“何か”がある。

その“何か”を、彼女は見たかった。



中学を卒業したその日に、彼女はダンジョンへ足を踏み入れた。

動きやすい服。握り慣れていない武器。

胸の奥だけが、妙に軽かった。


最初に現れたのは、ゴブリンだった。

たった一匹。普通なら何の苦もなく勝てる相手だった。


なのに、彼女は遅れをとった。


届かない。

追いつけない。

振った武器は空を切り、次の瞬間には視界が揺れて床が近づく。頬に当たった石が冷たくて、息が抜けた。


(……勝てない)


悔しいのに、泣くほどでもない。

ただ、どうしていいか分からないという感覚だけが残る。


彼女にはダンジョンを諦める選択肢などなかった。

諦めないと決めたというより、諦めるという発想がそもそも浮かばなかった。

それくらい、彼女にとってダンジョンは“前提”だった。


じゃあ、どうする。


戦う才能がない。

でも関わりたい。

関わりたいのに、入れない。


彼女は迷って、迷って、迷い続けて――そして決めた。

戦闘者を諦め、研究者になる。



研究者になると決めても、現実は簡単に優しくならない。

この世界のダンジョンは、試練型でも対戦型でも、パーティ登録をしない限り同じ空間を共有できない。

一人で“潜ったつもり”でも、同じ場所には立てない。

戦えない者は、扉の外に置かれる。


誰かに連れて行ってもらう必要がある。

けれど足手まといの自分を連れ添って戦ってくれる仲間など、簡単に見つからない。

親切があったとしても一回きり。継続しない。続かない。


彼女は“知識”にすがりついた。

ダンジョンのことも、それ以外のことも。読めるものは全部読み、聞けることは全部聞き、分からない言葉は全部調べた。


現場に入れないなら、机の上で戦えばいい。

それしかなかった。


いつの間にか、彼女は学校内でぶっちぎりの頭脳を持つに至った。

それでも、その憧れは誰にも拾われない。

扉の前に立てない日々が続く。


“正しい努力”をしているのに、正しい場所に行けない。

その感覚が、彼女の中で静かに腐り始めていた。



そんな中で、彼女は一人の少女に出会った。


第一印象は「勿体ない」だった。

ぼさぼさの髪。丸まった背中。尖った空気。

誰も近づかせないという意思が、皮膚の外側に貼りついているみたいだった。


なのに、顔はやけに整っている。

同じ女子として、どうしても気になってしまう。


声をかけても、とりつく島がない。

近づけば振り払われる。

それでも彼女は、なぜかその少女を見てしまっていた。


ある日、少女の機嫌が妙にいいことに気づく。

少し前まで丸まっていた背が伸び、雰囲気が丸くなっていた。

「気のせい」では片づけにくい。明確に何かが変わっている。


彼女は声をかけた。

その時だろう。彼女たちの運命の賽が投げられたのは。



少女は探索者だった。


無能者だと聞いていたはずなのに、目の前の少女は違った。

自分の力でダンジョンと戦い、恩恵を勝ち取っている。

その事実を、彼女は羨ましく思った。


ああ、なぜ天は自分に戦闘センスを与えなかったのだろう。

その時は本気でそう思っていた。


でも、それより先に――目が離せなかった。


少女は、一層ボスをあまりにも容易く倒していた。

ダンジョン歴は、たった二週間。


配信で見てきた“一層五階到達者”とも、まるで違う。


――知りたい。

――見たい。


その衝動が喉の奥まで上がってきた。

でも、同時にほんの少しだけ怖かった。


残虐で、歪んでいて。

それでも少女は、どこか俯いていた。


その時、彼女は理解した。

少女は悪魔ではなく人間なのだと


だから決めた。


一人にはしない。

二人は同じ方向に歩き出した。



それからの日々は、彩りだった。

少女と議論して、観察して、仮説を立てて、確かめて。

好きなダンジョンに関われることが、ただ嬉しかった。


けれど同時に、彼女はずっと不安だった。

この関係は、少女の気まぐれひとつで終わるかもしれない。

自分は役に立っていないかもしれない。

ただ隣にいるだけの存在かもしれない。


そんな葛藤を抱えたまま、二人は節目に到達した。

上級探索者の登竜門と呼ばれる階層。

ここを超えられるのは全探索者の五割程度。


しかも少女は、足手まといを連れたまま、単独で攻略しようとしていた。

彼女は何もできない。黙って見ているつもりだった。

つもりだったのだ。


しかし現れたのは、規格外の強さを持ったイレギュラーだった。

黒いミノタウロス。


少女は倒れた。

地に伏した。

それでも立ち上がろうとした。


彼女は、その姿を見て初めて、焦った。

胸が潰れるみたいに痛くなった。


何かを探した。

できることを探した。

でも現実は、彼女のために都合よく進まない。


少なくとも、彼女のためには。


その時、彼女は思ってしまった。

自分は愛されていないのかもしれない、と。


でも同時に、彼女は気づいた。

少女は―― ダンジョンに愛されていたように見えた。


彼女は少女の力になりたいと思っていたからこそ気づいた。

そのイレギュラーに勝つ方法を。

少女がその壁をぶち破る方法を。


錯覚かもしれない。見当違いかもしれない。

それでも、その瞬間だけは間違いなく“そうだ”と思った。


彼女は叫んだ。

少女に。

勝つための道を。


長い決闘の末、少女は勝利した。


勝った。

それだけのはずなのに、胸の奥が熱くて、手が震えていた。

笑いたいのに息が詰まる。泣くほどじゃないのに目が痛い。


彼女はただ、何度も瞬きをした。

——言葉にすると、どれも嘘になる気がした。



長い時間が経ち、彼女は一つの結論を出した。


この少女の人生をプロデュースする。

それが自分に与えられた意味なのだと。


錯覚かもしれない。思い上がりかもしれない。

でも、そうでも思わないと前へ進めない。


この少女の到達する高みを、隣で見たい。

世界一の称号を、この子に渡したい。


だからもう迷わない。

少女のために、人を、世界を知る。

その心が赴くままに、彼女は思考を続けた。


——朝倉ひなたは、そう決めた。


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