交渉
澪たちは、石崎がいる二年二組の教室に向かった。
放課後の廊下は昼休みより静かで、遠くの体育館から掛け声が薄く流れてくる。教室の窓は夕方の光で白くて、床に伸びた影が妙に長い。
教室に入ると、残っている生徒は数えるほどだった。
机を片付ける音も、椅子を引く音も、もうほとんどしない。人が少ないだけで、空気が軽くなるのは助かる。探す手間も減る。
窓側の最後列。
スマホをいじりながら椅子にだらしなく座っている男がいる。周囲と同じ制服のはずなのに、そこだけ別の温度みたいに見えた。
(……あいつだ)
澪が近づく前に、石崎の目が上がった。
視線が先に刺さってくる。こっちが踏み込むほど、相手の縄張りに入っていく感じがして、ほんの少しだけ背中がむず痒い。
「石崎」
澪が名前を呼ぶと、石崎は目だけで返事をした。
「またお前か。ダンジョン大会の件ならお断りだぞ」
「まだ何も——」
澪が言いかけたところで、石崎が鼻で笑う。
「分かる。顔に書いてある」
そして視線で、澪の横に立つ二人を指す。
「つーか、お前ら三人そろってんじゃねえか。なんで勧誘しに来てんだよ」
神谷が一歩前に出た。
立ち方が丁寧すぎて、こういう場には不釣り合いなくらいだ。
「すまない。三人で来たのは事実なんだけど、彼女は戦闘員じゃない。登録の人数は満たしていても、戦力としては足りないんだ」
石崎の視線がひなたで止まる。
ひなたは笑ってみせたが、いつもの大はしゃぎの笑顔じゃない。軽く見えないように、ちゃんと“押しすぎない”顔をしている。
「へぇ。飾りか」
「飾りじゃないよ。頭脳担当」
ひなたがさらっと言い返す。声のトーンは明るいのに、余計な冗談がない。
石崎は肩を小さく揺らして笑った。
「当てが外れたな。よく知りもしないお前らと一緒に大会なんざ出るわけねえだろ」
神谷が口を開く。
「確かに、僕たちは——」
その瞬間。
ひなたが一歩、前に出た。
でも真正面じゃない。石崎の机と同じ列に、斜めから入る位置。窓の方に身体を向けたまま、声だけを石崎に投げる。
詰めるというより“同じ空気に入る”感じ。石崎の縄張りを潰さない距離。
「うん、それは分かる」
澪は一瞬、言葉に詰まった。
肯定から入るのかよ、と。
石崎も似た顔をする。
「あ? 何がだ」
「知らない相手と組むのって、だるいじゃん」
ひなたは肩をすくめた。
言い方は軽い。でも、茶化してない。
「あとで『聞いてない』とか『そんなつもりじゃなかった』とか、そういうのになるの、最悪だし」
石崎の眉がわずかに動いた。
澪には理由までは分からない。ただ、ひなたの言葉に“反応した”ように見えた。
「……勝手に決めつけんな」
「決めつけないよ。だから、今ここで根掘り葉掘り聞かない」
ひなたはあっさり言って、そこでちゃんと止めた。
「石崎くんの事情とかさ。聞かれたくないなら、それでいい。
代わりに——一回だけ、付き合って」
石崎が顔をしかめる。
「は?」
「明日。ダンジョン」
ひなたは指を一本立てた。
「一回だけ一緒に潜って、それで決めて。
合わないって思ったら、その場でやめていい。ほんとに」
「……お前らが決めるんじゃねえのかよ」
「私たちが“お願い”してる側だよ?」
ひなたは少しだけ笑ってみせた。
「それに、信用って、言われて出すもんじゃないし。
一回見て、『こいつらなら大丈夫』って思えたらでいい」
石崎は黙った。
机を指で二回叩く。意味は分からない。癖かもしれないし、ただの苛立ちかもしれない。
でも、その沈黙は“終わり”じゃなかった。
「……明日、何時だ」
ひなたの目が一瞬だけ明るくなる。
でも、そこで調子に乗らない。すぐに抑える。
「放課後なら行けるよね?」
「時間、石崎くんの都合でいいよ。遅い方が助かるなら遅くして」
石崎が小さく舌打ちをする。
合わせられるのが気に食わないみたいな顔。それでも断らない。
「……六時。遅れたら帰る」
「りょーかい。六時ね」
ひなたは頷いた。
「場所は——ダンジョンの受付前でいい? 分かりやすいし」
「それでいい」
石崎は立ち上がり、椅子を乱暴に戻した。
そして教室の出口へ向かいかけて、ふと足を止める。
視線が澪に刺さった。
「明日、遅れんな」
一言だけ。命令というより、確認みたいに短い。
「待たねえからな」
「……分かった」
澪が返すと、石崎はそれ以上何も言わずに教室を出ていった。
扉が閉まる。
残った空気が、少しだけ軽くなる。
澪は息を吐いた。知らないうちに肩に力が入っていたらしい。
ひなたが小さく肩を回す。
「……よし。ひとまず首はつながった」
「今の、何したの」
澪が聞くと、ひなたは一瞬だけ考える顔をして、それからいつもの調子に寄せた。
「んー、別に。
『信用しろ』って押したら絶対ムリそうだったから、『一回だけ』にしただけ」
神谷が感心したように笑う。
「押すより先に、嫌がることを避けたんだね」
「そ。嫌なこと避けたら、話って進むのよ」
澪は鼻で笑った。
「性格悪」
「ひどっ!? 合理的って言って!」
神谷が苦笑する。
「でも、すごいよ。僕は真っ正面からしか言えなかった」
「でしょでしょ〜」
ひなたが胸を張る。
澪はその横顔を見て、思う。
——こいつ、ほんとに“戦えない”だけで、弱くはない。
「話は終わった?」
澪が歩き出す。
「じゃあ行くよ。雑魚ひなた」
「またそれ!? 待ってってば澪ちゃん!!」
ひなたが慌てて追いかけてくる。
神谷も笑いながらついてくる。
廊下に出る直前、澪は一度だけ教室の方を振り返った。
石崎がさっきまで座っていた席は空いている。
ただそれだけなのに、さっきまでそこにあった圧みたいなものだけが、まだ残っている気がした。
(明日。あいつがどう戦うかで、分かることはある)
澪は前を向いて歩き出す。
ひなたが隣に並んで、少しだけ上を向いた。
「ねえねえ、今の私、ちょっとカッコよかった?」
澪は一拍置いた。
照れくささが先に来て、言葉が遅れる。
「……やるじゃん。こっからも一緒にがんばろ」
ひなたは目を白黒させたあと、次の瞬間にはぱっと笑った。
「うん!! 一緒にがんばろ!!」
そうして一行は、明日のダンジョンへ向けて歩き出した。




