表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/50

拮抗する力

鳩尾に沈んだ手応えは、ほんの一瞬だけだった。


黒い巨体が、わずかに“沈む”。数センチ。たったそれだけ。

それなのに、澪の胸の奥で何かが弾けた。


(通った)


次の瞬間、その予感を叩き潰すようにミノタウロスの空気が変わる。

鼻息が荒く吐き出され、足裏が床を噛んだ。砕けた石が跳ねる。巨体が沈み、跳ね上がる。


――ギアが上がった。


重さが違う。速さが違う。

さっきまでの連撃は“狩り”だった。今のは“殺し”だ。


一歩。


床が鳴る前に拳が来た。

澪は肩を落とし、半身で受け流す。肘に衝撃が刺さる。痛みが走る。それでも崩れない。足が沈むだけで済む。


二撃目。


裏拳が横薙ぎに走る。風圧が頬を撫で、髪が持っていかれる。澪は首を引き、すれ違いざまに踏み替えた。

“見えている”。ほんの少し。拳の起こりが、さっきより遅く感じる。


三撃目。


蹴り。膝。肘。

巨大な体から出ているとは思えない連結。どれも途切れず繋がって、澪の逃げ道を削ってくる。回避が間に合わない。肩に直撃。肋が軋み、息が漏れた。


それでも倒れない。


(……なんで、踏ん張れてる)


理由は分からない。分かるのは一つだけ。

さっきまでの“ただの被弾”が、今は“耐えた被弾”に変わっている。衝撃の芯が外れ、体の中で散っていく。痛みはある。胃が浮く。肺が焼ける。だが、足が残る。


ミノタウロスの眉間に皺が寄った。


苛立ち。

獲物が崩れないことへの苛立ちだ。


咆哮が落ちる。空気が震え、次の一撃がさらに速くなる。

澪は反射で動く。腰を沈め、拳の下をくぐり、肩を押し当てて軌道をずらす。手首が熱い。骨が悲鳴を上げる。だが折れない。


視界の端で、黒い体毛が揺れた。

ミノタウロスが踏み込む癖――重心が一瞬だけ前に落ちる。そこに“隙”が生まれる。


(今なら――)


澪の拳が握り直される。


だが、打たない。

身体が、まだ早いと言っている。理屈じゃない。直感の方が先に答えを出していた。


もう一度、突進。


角が迫る。床が裂ける。

澪は横へ逃げない。斜め前へ滑り込み、風の刃の中を抜けた。頬が切れ、血が温かく垂れる。背後で壁が砕ける轟音。粉塵が舞い、視界が白む。


澪は、粉塵の中で呼吸を整えようとして――


気づく。


(……息が、追いつかない)


肺が熱い。心臓が暴れる。

筋肉は動いているのに、血が回らない。目の焦点が一瞬だけ合わなくなる。


その“瞬き”が致命的だった。


粉塵が割れて、ミノタウロスがもう目の前にいる。

距離が消えている。いつ詰めた。どう詰めた。考える前に、拳が落ちた。


澪は腕を上げる。


間に合う。

間に合うはず――


視界がぐらついた。


ほんの一瞬。足元が抜ける感覚。

その刹那、受けの角度がずれた。


衝撃が腕を貫き、肩の奥まで突き刺さる。骨が軋み、関節が悲鳴を上げた。吹き飛ばされる一歩手前。身体が宙に浮きかけ、必死に床を掴んで落ちる。


「――っ!」


息が詰まる。喉の奥が熱い。

痛みが遅れて押し寄せ、視界が滲む。


ミノタウロスは止まらない。

今の一撃で仕留め損ねたことが気に食わないのか、さらに踏み込む。殺気が濃くなる。攻撃の線が、さっきより鋭く、直線的になる。


澪は一歩下がりかけて、踏みとどまった。


(いけると思ったら、これだ)


笑いそうになる。

だが笑えない。脚が震える。呼吸が浅い。視界の端が暗い。


それでも――


拳を解かない。


ミノタウロスの影が落ちる。

次の一撃が、来る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ