上位探索者
対戦型ダンジョンの入口は、試練型とは少し雰囲気が違う。
無機質なガラス張りの建物。
自動ドアの向こうには受付カウンターと電子掲示板。
対戦履歴やレートの変動が淡々と表示されている。
探索者同士が互いを値踏みするような視線を交わし、
しかし声は少ない。
ここは戦う場所だ。
今日はひなたはいない。
澪はその事実を都合よく解釈していた。
余計な縛りも、余計な観察もない。
自分の現在地を測るにはちょうどいい。
(どこまで通用するか、確認するだけ)
感情は平坦。
燃えているわけでもない。
ただ、測る。
自動ドアを抜けた瞬間、
柔らかな声がかかった。
「あら、あの時の新人さん?こんにちは」
振り向く。
そこにいたのは鷹宮いつき。
あの騒動の時、男たちに軽く釘を刺していた女性。
穏やかな微笑み。
だが、どこか視線の奥が静かすぎる。
「どうも」
澪は短く返す。
距離は三歩ほど。
それ以上近づかない。
助け舟を出してくれたとはいえ、関係性は薄い。
探索者同士の礼儀以上でも以下でもない。
いつきはその距離感を楽しむように、くすりと笑った。
「そんなに警戒しなくていいわ。少しお話ししない?」
声は柔らかい。
押しつけがましさはない。
だが、視線は逃がさない。
澪は観察する。
姿勢、呼吸、足の位置。
自然体。
力みはない。
(強い)
噂ではBランク。
到達階層は十二層に届くかもしれないと言われる実力者。
神谷よりも、明確に上。
サンプルになる。
澪は結論を出した。
「私と対戦して。そのあと話す」
唐突だった。
いつきの眉が、わずかに上がる。
「……ふふ」
目を丸くし、それから小さく笑った。
数秒、沈黙。
いつきは額に指を当て、考えるような仕草をする。
「ごめんなさい。対戦はできないわ」
「……」
「あなたを悪く言うつもりはないけれど、実力差が大きすぎる」
事実。
喉まで出かかった言葉を、澪は噛み殺した。
(いつか覆す)
舌打ちは、心の中だけで済ませる。
「まあいい。話する?」
「乗り気ね。ありがとう」
いつきは微笑んだまま、出口側へと体を向ける。
「ここじゃ落ち着かないわ。近くにいいカフェがあるの。どう?」
少し迷ったが、澪は頷く。
戦えないなら、観察するだけだ。
二人は並んで歩き出す。
ガラス越しに見える電子掲示板。
レートの数字が淡々と更新されている。
澪は一度だけ振り返った。
(Bランク)
その背中を、いつきは見ていない。
店内は静かだった。
木目のテーブル。
低く流れるピアノ。
昼間だというのに、どこか夜の匂いがする空間。
探索者が集まるような騒がしい店ではない。
ここは、話をするための場所だ。
「改めて自己紹介をしましょう」
カップを両手で包みながら、鷹宮いつきは微笑んだ。
柔らかい。
けれど視線だけが、妙に澄んでいる。
「鷹宮いつき。五年ほどダンジョンに挑戦しているわ」
「相澤澪。ダンジョン歴は二週間。明日、一層十階のボスを倒す」
いつきのまぶたがわずかに細まった。
「……そう。すごいのね。少し意外だわ」
その一言に、澪の指先がわずかに強張る。
「どういう意味?」
問い返すと、いつきは笑みを崩さないまま続けた。
「一週間ほど前、あなたはオークに逃げ帰ったと噂されていたでしょう?
素質がないとは思わなかったけれど、そこからここまで跳ねるとは思わなかっただけ」
圧がかかる。
言葉ではなく、空気で試されている。
嘘をつけば見抜く。
誤魔化せば評価を下げる。
そんな気配。
「何かあったの?」
柔らかい声。
けれど逃げ道はない。
澪は一瞬だけ視線を逸らす。
興味。
警戒。
そして、反発。
「……それを答えて、なんになるの?」
負けたくない。
白状させられる形は嫌だ。
その言葉に、いつきの圧がふっと消えた。
「意味はないわ。単純な好奇心」
澪は内心で舌打ちする。
(神谷と同じだ)
強い人間は、どこか似ている。
自分の尺度で世界を測る。
だが澪は、話すことを選んだ。
真似されようが構わない。
強くなれるなら、真似できるものならしてみろ。
──そして、これまでの戦いを語る。
素手縛り。
体を壊す戦法。
オーク戦。
オーガ戦。
語り終えたとき、いつきはゆっくりと息を吐いた。
「無茶するわね。正直、正気を疑う」
「合理的」
即答する澪。
「再生能力がある。ダンジョンの恩恵もある。なら回復前提の戦法は理にかなってる」
「限度があるわ」
いつきの声がわずかに低くなる。
「あなたの怪我の内容なら、普通は一週間は動けない。
ダンジョンの恩恵は万能じゃない」
澪は黙る。
正論だ。
けれど──
「でも、あの戦いには価値があった」
言葉が強くなる。
「結果的に、今の強さがある」
いつきは澪を見つめる。
そして、ぽつりと告げた。
「ダンジョンは、固有の戦い方を好むもの」
澪の思考が止まる。
「……好む?」
「知らないの?」
いつきは腕輪を外し、テーブルに置いた。
黒い石の埋め込まれた銀の輪。
「これは私のユニークアイテム。
召喚獣の行動を補佐する強化効果がある」
「召喚獣に合わせた効果……?」
「そう。私の戦い方に、ぴったり噛み合う」
いつきは静かに続ける。
「不思議だと思わない?
どうして“その人に合った”効果のアイテムが出るのか」
澪の脳裏に、アンクレットが浮かぶ。
あれも、噛み合いすぎていた。
「噂よ。証明はされていない」
いつきはコーヒーを飲む。
「ダンジョンには意思がある。
恩恵も、ドロップも、その意思に従っているのではないか、って」
静寂。
それは、ひなたが喜びそうな話だ。
だが──
「研究は進んでいないわ。
進める価値も薄い」
「どうして?」
澪は即座に問う。
「考えるだけ無駄だから」
当然のように言い放つ。
「戦っていれば、自然と最適解に辿り着く。
研究せずとも、強くなる人は強くなる」
その言葉に、澪の中で何かが引っかかる。
ひなたの顔が浮かぶ。
ダンジョンを知りたいと言った少女。
「価値の話じゃない」
気づけば言葉が出ていた。
「ダンジョンにはいろんなことがある。
研究も、その一つ。
意味があるかどうかで全部切り捨てるのは違う」
いつきは少しだけ目を見開く。
「面白い考え方ね」
柔らかく笑う。
だがその目は、まだ測っている。
「今日は楽しかったわ」
席を立ちながら、時計を見る。
「あなた、まだ未完成ね。
だから面白い」
澪は何も言わない。
いつきは去っていく。
店内の静寂が戻る。
澪は空を見上げる。
青い。
澄みすぎている。
「ダンジョンに潜る意味か……」
答えは持っている。
その足は、再びダンジョンへ向かう。




