第七話 蒸かしたじゃがいもと人喰い鬼
今夜は風が柔らかに吹いている。夏の終わりを連れてきた秋の気配は、かすかに金木犀の香りを含んでいた。店に客の姿はない。それでもツムギは、カウンターの奥で何かを作っていた。
じゃがいもを皮ごと洗い、十字に切り込みを入れる。かまどに火を起こして鍋に水を張り、蒸しかごと一緒にじゃがいもを鍋の中に入れる。そうして蓋をして火にかけて、じっくりとじゃがいもを蒸かす。くつくつと音がして、切れ目から湯気が立ち昇った頃、ツムギは蒸しかごを取り上げた。
かごの中には、ほっこりと蒸かされたじゃがいもが一つ。その料理は、ツムギに温かさを与えてくれたあの子との思い出をよみがえらせた。
ツムギはあやかしだった。無垢な魂を探してはそれを喰らうことで自身の姿を保ち、名も持たず、ただ夜の隅で飢えていた。
そんな彼女に、ふかしたじゃがいもを差し出した人間の少女がいた。まだ幼い、ふくふくとした頬の少女。名を、チヨと言った。
『おなか、すいてたんでしょう?』
飢えしか知らない彼女に、初めて与えられる温かさを教えてくれたのがチヨだった。
たった一つの、ふかしたじゃがいも。本当にただ、それだけだった。それだけで、ツムギの世界はすっかり変わってしまった。
その後も幾度となくチヨと顔を合わせ、やがて少女は人の寿命で命を終えた。けれどツムギはもう、人の魂を喰らうことはできなかった。代わりに、誰かの記憶の味を辿ることを選んだ。自身と同じように温かな記憶を持つあやかしの思い出の味を作ることで、彼らをやさしく輪廻へ送り出す店を開いた。
それが、『よるの終わりのごはん屋さん』。
もう長く、幾夜も客を送り出してきた。さまざまな形をしたあやかしたち。大切な名を忘れた者、祈られなくなった者。彼らの記憶を垣間『視る』ことで、最期の晩ごはんを差し出し、笑って見送ってきた。
けれど。
「――今夜の客は、私自身、だね」
ツムギはカウンターに座った。蒸かしたじゃがいもが小さな湯気をあげている。何の味付けもされていない、ただ蒸かしただけのじゃがいも。たったそれだけ。それでもそれは心が満ちるような、やさしい香りを漂わせていた。
「いただきます」
じゃがいもを割って、一口食べる。口に入れるとほろりと崩れ、自然の甘みが記憶の中の味と重なる。しあわせな味だ、と思った。
――もう、誰かのために晩ごはんを作ることもない。
けれど、寂しくはなかった。あのとき、少女が自身に与えてくれた温かさのように、自身もまた、最期を迎えるあやかしたちに温かさを届けられたと思うから。
それで、十分だった。
店の明かりがゆらりと揺れた。店の引き戸が、ひとりでに開いた。まるで誰かがツムギを見送るように戸を開けてくれたような、不思議な気配。
ツムギは微笑んだ。
「――いってきます」
そっと目を閉じる。次の瞬間、店の中には誰もいなくなっていた。料理の香りも、火の気配も、何も残っていなかった。
けれど、ただ一つ。『料理帳』と書かれた古い帳面がカウンターに残されていた。まるで続きを誰かに促すように、開かれたままの戸口からやさしく吹き抜けた秋風がそのページをめくった。




