52.聖女様の猛特訓
お母様が発案して、エミールが練り上げた、新たな連合国を興す計画。その計画において、私……というか聖女の存在はなくてはならない。
これから、かなり忙しくなるだろう。危険な目にもあうかもしれない。
その辺りのことは覚悟していたのだけれど、特訓だなんて。一体何の特訓だろうか。聖女の力の特訓かな? いや、でもそれだと、二人があんなに面白がっている理由が説明できない。
考え込んでいる間も、エミールとティグリスおじさんは二人して意味ありげに笑っている。言い出したエミールはともかく、おじさんがすぐに理解しているのが謎だ。
それはまあ、おじさんはここまでのいきさつを全部知っている数少ない人間のうちの一人ではあるし、長く生きているだけあって色んなことを知っている。そういった知識や経験がものを言っているのかもしれない。
でも、私だけ訳が分かっていないのは悔しい。私、この騒動の中心人物なんだけど。
眉間にしわを寄せて隣を見たら、やはり訳が分かっていないのかぽかんとした顔のセルジュが見えた。良かった、仲間がいた。
エミールはそんな私たちを見て、かすかに肩を震わせている。彼は笑いをこらえながら、それでも澄ました顔で口を開いた。
「これからリュシアン君には、演技力を磨いていただきます。この計画がうまくいくかは、君の演技力にかかっていますから」
「……演技力、ですか? 僕、それなりに演技はうまいほうだと思うんですが……」
思いもかけない言葉に、つい間の抜けた声が出てしまった。というか、演技力なら自信がある。だてに何年も、男装で遊びまわってはいない。
エミールにはすぐばれてしまったけれど、私が女だと見抜いた人はほとんどいない。ずっと一緒にいたセルジュに至っては、水浴びを見るまで気づかなかったし。
盛大に首をかしげていたら、ティグリスおじさんが笑いをこらえつつ口を挟んできた。
「みなが慕い、そしておそれ敬う。お主はそんな聖女にならなくてはいかんのじゃよ、リュシアン。人前だけでも、な」
「ティグリス殿のおっしゃる通りです。この乱れた世を憐れみ天より降り立った、慈悲深き神の御使い……君には、そんな存在としてふるまっていただきたいのです」
「え、でもイグリーズのみんなは、僕のこんなふるまいに慣れてくれていますけど」
「そうですね。この町の人々は、特に聖女を慕っていますから。けれど他の貴族の領地では、そうもいきません」
「まずは形から入る、というのもあるでな。優しさも大切じゃが、もう少し威厳も欲しいところじゃ」
私は、みんなの力になりたいと思った。イグリーズの町のみんなやエミール、それにセルジュを守りたいと思った。そのために、やれることをやろうとも思った。
でも今さら、聖女らしい演技をするっていうのは……うん、恥ずかしい。威厳って、どうやって出すの。
だいたい、慈悲深き神の御使いって、仰々しいにもほどがあるんだけど……自分がそんな目で見られるって……想像しただけでむずむずしてきた……。
小声でうなりながら、もう少し具体的に想像してみる。演技力を磨き、本格的な聖女になった私は、どんな感じになるのだろうか、と。
広々とした荒野に、ずらりと並ぶレシタルの軍勢。見るからにいかめしい、恐ろしい風景だ。
その軍勢の前に、ただ一人立ちふさがる私。聖女の衣装をまとって、背筋を伸ばして。
そうして私は悲しげに、「私は聖女リュシアン、偉大なる神より遣わされし者です。神は戦いを望んではおられません、どうか剣を引いてください」とか何とか、そんな感じの言葉を朗々と語る。
その言葉に悔い改めて、剣を捨てひれ伏す軍勢……あ、気持ち悪くて鳥肌が立った。とんでもなくぞわぞわする、その状況。
……現状からは逃げない。でも、特訓とやらからは逃げたい。そう思って身じろぎした次の瞬間、エミールにしっかりと腕を握られていた。息子と違って細身なのに、見た目より力が強い。
「安心してください、リュシアン君。君が今後どのようにふるまっていけばいいのか、一からじっくりと、丁寧に教えますから」
エミールがいつになくにっこりと笑っているのが、また怖い。彼の肩越しに見えるティグリスおじさんは楽しそうに微笑んでいた。
「リュシアンは物覚えがよいからの、聖女の演技もきっとすぐに覚えるじゃろうて」
「わあ、褒めてくれてありがとうおじさん、でもできれば助けて欲しい」
けれどおじさんは、微動だにしない。助けを求めるように隣を見たら、セルジュは色々あきらめたような顔で首を横に振っていた。
「……何というか、かける言葉が見つからない。その……頑張れ、としか」
誰か助けて。私は心の中でそんなことを叫びながら、うつろな目でエミールに引っ張られていったのだった。
それから連日、私はひたすらに演技の練習を続けていた。
まずは、私が演じる聖女の人物像をしっかりと固めることから。そうしておかないと、何かの拍子についうっかりぼろが出てしまいかねない。
マリオットの家や、イグリーズの町に伝わる聖女の伝承を元に、それらしい設定を固めていく。この作業は、エミールと一緒にこなしていった。
何一つ不自由なく暮らしていた青年が、神の導きによりマリオットのもとに導かれ、苦しむ人々を救うために立ち上がった。民が心安らかに、幸せに暮らせる世を作るため、神より授かりし力で様々な奇跡をもたらしていく。
こそばゆさに鳥肌が立つ腕をかきむしりつつも、だいたいはそんな感じにまとめることができた。
うちの父を巻き込むと間違いなく話がややこしくなるので、私がリュシエンヌ・バルニエであることは伏せる。絶対に。
幸い父はさっさとレシタル王に忠誠を誓ったものの、争乱を恐れてそのまま屋敷に引きこもっているそうなので、こっちからバルニエ領に近づかない限りは問題なさそうだった。
続いて、聖女像にふさわしい口調、仕草、表情を研究、練習していく。『聖女』という別の人格を作り上げていくというか、新しく仮面を作り上げるというか、そんな感じだ。
……元々の女言葉よりもさらに優美な口調と仕草のせいで、ずっと背中がむずむずしていたけれど、どうにかこうにかそれを無視できるようになっていた。ただ鳥肌自体は、まだ引っ込んでくれない。
そして聖女としての立ち居ふるまいに慣れてきたところで、今度はエミール相手に練習することになった。
私が実際に聖女として活動を始めるようになったら、様々な状況で、様々な相手と言葉を交わすことになる。それに備えた、対話形式の練習だ。
ただひたすらに、毎日が忙しかった。しかし忙しいのは私やエミールだけでなく、セルジュもだった。
彼は彼で、今まで以上にエミールの仕事を手伝うようになっていたのだ。いや、あれはもう手伝いというより、肩代わりかな。エミールが私を特訓していて仕事が進まない分を、セルジュが穴埋めしていたのだ。
そのせいで、以前はしょっちゅうセルジュとお喋りしていたのに、今ではたまに夕食時に会うだけ。それくらいに、私たちはそれぞれの作業にかかりっきりになっていたのだ。
「……いつになったら、聞けるんだろう……」
特訓の合間に、中庭のベンチに腰かけて、一人ぼんやりと空を眺める。
生きて戻れたら、願いを聞いてくれ。ソナートに向かう途中に聞いた彼の言葉が、ずっと胸に引っかかっていた。
あの時は王国兵やらティグリスおじさんやらが出てきてうやむやになってしまったけれど、こうしてみんなでマリオットの屋敷に戻ることができた。
だからいずれ、彼はその願いとやらについて話してくれるんだろうと、そう思っていた。けれどいつまで経っても、何も言わない。そもそも話す機会がろくにないというのもあるけれど。
「というか、あの時のことが丸ごとなかったことにされてる気がする……」
セルジュは不思議なくらい、いつも通りだった。もしかしたら、なかったことにしたいのかも。あの時は気が動転していて、訳の分からないことを口走ってしまった、とか。
本気でそんなことを悩み始めた私に、おっとりとした声がかけられた。
「どうしたリュシアン、浮かない顔じゃの。やはり、特訓は辛いのかのう?」




