51.新たなる作戦
人数が増えたからなのか、それともソナート側から国境を越えたからなのか、帰りは何事もなくイグリーズまで戻ってくることができた。
ソナートの兵士たちとティグリスおじさんを連れて、そのままマリオットの屋敷に入っていく。
兵士たちの応対は執事たちに任せて、私とセルジュはティグリスおじさんと一緒に、エミールの執務室に向かっていった。
「ああ、戻りましたか。無事で何よりです」
珍しくも、エミールはいつになく心配そうな顔をしていた。私たちの無事な顔を見て、ようやく彼はほっとしたように微笑んでいる。
と同時に、私たちのすぐ後ろにいるティグリスおじさんのほうをちらりと見た。気になっているらしい。
「レシタルの襲撃を受けたんですが、この人に助けられました。この人は、僕の恩人である狩人ティグリスです。技術も、戦闘能力についても、僕は彼の右に出る人を知りません」
エミールにティグリスおじさんを紹介して、さらにおじさんにエミールを紹介する。
「おじさん、こっちはエミールさん。色々あって、今は彼のところでお世話になってる。すっごく頭の切れる人。そして、僕にとっては守りたい人の一人だよ」
すると二人は向かい合い、がっちりと握手した。
「なるほど……どうやら、あなたには返さなければならない恩があるようですね。今はごたごたしておりますが、いずれ政情が落ち着いた時にでも」
「いやいや、わしは孫のようなリュシアンを助けに入っただけですじゃ。気になさらんでください」
ほがらかに笑っていたおじさんが、ふと何かに気づいたような顔をした。
「……いや、そうじゃな……ならば、しばらくわしをここに置いてはもらえんかのう? このままではおちおち旅もできんし、お主たちに力を貸したいんじゃ」
「ええ、もちろんです。とにかく今は人手が足りていませんので……ご協力、感謝いたします」
「おじさん、ありがとう! とっても心強いよ!」
喜びのあまり口を挟んだら、さらにセルジュまでもが進み出てきた。
「……父さん。隣国の王妃から、とある提案を受けたんだが……」
そうして彼は、お母様が話した内容をエミールに伝え始めた。そうして話を聞き終えたエミールは、深々と息を吐いた。
「やはり、それしかありませんか……私も、ソナートの支援を取りつけた時に、その案を思いつきはしました」
困り顔で、エミールはこちらをちらりと見た。
「ですがそうすると、リュシアン君にばかりかなりの負担を強いてしまいますので……本来は部外者である君を、これ以上巻き込むのも……」
「僕は構いません。やらせてください。このイグリーズの町は、マリオットの人々は、僕にとって守りたい存在なんです」
きっぱりと言い切ると、エミールがわずかに目を見張った。親子そろって同じようなことを言ってるなあと思いながら、さらに反論していく。
「ソナートとマリオットが友好関係となったことが広まれば、他の貴族たちも動揺すると思うんです。この好機を、逃す手はありません」
ためらうエミールに、力強くそう言い放つ。私は彼のように戦略とか戦術とかそういうのを練ることはできないけれど、動くなら今なのだということだけは分かる。
力いっぱい見つめてやったら、エミールも折れてくれた。そうして、何やらつぶやき始める。どうやら、独り言を言いながら考えをまとめ始めたようだ。
「そう、ですか……分かりました。ならば、まずは友好的な貴族たちに広く声をかけ、同時に中立的な貴族を説得していきましょう。……グノー殿は、早めに引き入れておきたいところですね」
エミールの口からは、色んな貴族の名前が次々と飛び出してきた。
「セルジュ、グノー殿って誰?」
「マリオットに隣接した知を治める領主だ。彼を味方に引き入れられれば、心強いが……」
そんな風にこっそりセルジュに尋ねたりしながら、ひたすらにエミールを見守る。彼はまだ、貴族たちの名と性格、力量、今の立ち位置などについてものすごい気負いで垂れ流していた。
……あれ、全部把握してるんだ。全部暗記してるんだ。さすがはエミール……というより、ちょっと怖い。もう慣れっこらしいセルジュはともかく、ティグリスおじさんは目を丸くしてしまっている。
「少なくとも三名の領主を引き込んだ時点で、こちらの計画を実行に移し……同時に、一部の領主に揺さぶりをかけて……」
あ、エミールのつぶやきが変わった。耳を澄ませて、内容を整理してみる。どうやら今度は、連合国を結成する手順を練っているらしい。私をどう動かすかまで踏まえた、中々に複雑な手順になりそうだった。
ひとしきりつぶやき終えたエミールは、我に返ったような顔で私たちを見た。
「……お待たせしました。大まかな考えもまとまりましたので、検証をお願いできませんか」
そうしてみんなで、執務室の奥の部屋にぞろぞろと入っていく。ここは、エミールが集中して書き物をしたい時なんかに引きこもる部屋なのだと、こっそりセルジュが耳打ちしてくれた。
部屋の真ん中に置かれた大きな机に向かって立ち、エミールが宣言する。
「では、これより現在の状況を説明します。こちらを見ていただけますか」
そんなことを言いながら、彼は大きな地図を机の上に広げた。そこにはレシタル王国と、その周辺の国が描かれている。
さらに彼は、陣取りゲームの駒を取り出すと、地図の上に次々と並べていった。
友好的な貴族の駒、中立的な貴族の駒、敵対的な貴族の駒。そうして、聖女の力が使えそうだとエミールがにらんでいる場所には、ガラスの小さな飾り物が置かれていく。
そうして準備を整えると、彼はりゅうちょうに計画を説明し始めた。私たちは自然と、その話に引き込まれていた。
やがて、彼の話が終わる。私たちはそろって、ほうとため息をついていた。エミールが立てた計画の鮮やかさと、壮大さにあてられてしまったのだ。
しかし話していた本人は顔色一つ変えず、私たちに問いかけてくる。
「ひとまず、こんなところでしょうか……みなさんは、どう思いますか?」
最初に答えたのは、セルジュだった。
「何だか、まだ実感がわかないな……でも、これがうまくいけば、一気に形勢が変わる……」
彼は地図を見つめて、呆然とつぶやいていた。分かる、その気持ち。すっごく困難で、でも素敵な作戦だ、これ。たぶん実行中は、ものすごく忙しくなりそうな気もするけど。
すると今度はティグリスおじさんが、感心したようにつぶやいた。
「しかし、これはリュシアンが相当頑張らなくてはなりませんなあ。あちこち動き回る必要もありますが、それだけではなく……」
気のせいか、おじさんは面白がっているようにも思える。あれ、今ちらりとエミールに目配せしたような。
「ええ、そうですね。……そういう訳ですからリュシアン君、これから特訓ですよ」
気がつけばエミールもまた、面白がっているような目でこちらを見ていた。
え、何、その目は。というか、特訓って何。
聞きたいことは山ほどあったけれど、うまく言葉にならない。私、これからどうなるんだろう。頭を抱えたいのをこらえて、次の言葉を待った。