49.お母様の提案
わくわくした顔でそう言って、お母様はとびきり大きな銀色の木を指し示す。
「この綺麗な木、うちの国では古くから神木って言われてるのよ。祈りを捧げると願いがかなうとか何とか……聖女の奇跡を起こすには、ちょうどいいと思わない?」
軽やかにそう言っていたお母様だったが、不意に声をひそめる。そうして、私だけに呼びかけてきた。
「別にあなたが失敗しても大丈夫だから、気楽に挑んでちょうだい。失敗したらしたで、大臣とか貴族たちとかに根回しすればどうとでもなるから」
「母さん、そんな身も蓋もない……そこは、『絶対に成功してね』じゃないの?」
「こういうのは自然体で挑んだほうがうまくいくものよ。だから、私からかける言葉は『どっちでもいいから気楽に頑張りなさいね』になるの。これも親の愛よ」
思わず眉をひそめたところに、ルイが割り込んできた。ぎゅっと両手をにぎりしめて、きらっきらの目で私を見上げながら。
「兄様、僕は聖女の奇跡をぜひ見てみたいです。兄様ならできるって、信じていますから」
「よし、頑張るよ。ルイ、他ならぬ君のために」
「嬉しいです、兄様!」
お母様は置いておくとして、可愛い弟にこんな風に頼まれてしまっては、全力を出さずにはいられない。絶対に成功させてやる。
セルジュがちょっとあきれたような目でこちらを見ている気がするけれど、気にしない。
みんなから離れて、白銀の大樹のすぐ前に立つ。
私は今までに、二回力を使った。イグリーズの教会と、湖の洞窟。そのせいか、何となく感じ取れていた。ここでなら、聖女の力を使える、と。
これまでは、守りの力を望んだ。イグリーズから、マリオットから敵を排除したい、と。でも今ここに、その奇跡は必要ない。この地は既に、ソナート王によって守られているから。
だったらここで、私は何を願おうか。そう考えた時、ふと頭に浮かんだことがあった。
もしかなうのなら、セルジュたちの怪我を治してあげたいな。セルジュはかすり傷だと言い張っているけれど、それでも血のにじんだ包帯は中々に痛々しい。
それに他の兵士、共に国境を越えた彼らの中には、手足の骨を痛めている者もいる。命に別状はないけれど、あれでは当分の間、かなりの不自由を強いられるだろう。
ティグリスおじさんもいてくれるし、イグリーズには問題なく戻れると思う。でも、私を守ろうとしてくれた彼らが傷ついた体を引きずっているのは、嫌だった。
そう思った次の瞬間、足元からふわりと風がわき起こる。地面に浮かび上がるツタのような優美な紋様、そして辺りにはじける緑の光。聖女印だ。これで三回目の、聖女の力の発動だった。
一呼吸置いて、周囲から歓声が上がる。みんなは動かなくなっていたはずの腕を高々と突き上げ、折れていたはずの足で飛び跳ね、喜びをあらわにしていた。さすがは聖女様だ、俺たちの聖女様はすごいぞと、そんなことを叫びながら。
驚きと興奮に目を丸くしたお母様が、私のところに歩み寄ってくる。その後ろでは、ルイがかがみ込んで聖女印を間近で見つめていた。とても興味深そうな顔だ。
「今のが、聖女の力……癒しの力が発現したのね。これ、どれくらい続くのかしら?」
「ええと……だいたい十年くらい、ってエミールさんは言ってた。徐々に効果は薄れていくけれど、僕がいれば延長もできるって」
エミールによれば、聖女印は放っておけば十年から十五年ほどで消えるらしい。ただ聖女がいれば、新たに祈ることで効果を延長したり、逆にすぐに聖女印を消すことも可能なのだとか。
「あら素敵ね。これだけでも、マリオットに手を貸す対価としては十分過ぎるくらいだわ。ここに療養所を作って、定期的にあなたを招く。民は大助かりだわ」
そう言って可愛らしくはしゃいでいたお母様が、ふと何かを思いついたように色っぽく笑った。
「聖女の力は、本物だった。それも、とんでもない力だった。……一つ、面白い手を思いついたわ」
面白い手を思いついた。そんなお母様の言葉に、その場の全員がそちらに注目する。王妃にふさわしい貫禄をたたえて、お母様は悠然と微笑んだ。
「今、マリオットはレシタル王国から独立して、新たな国となろうとしている。これに乗じてたくさんの貴族たちが独立すれば、レシタルの攻撃がマリオットに集中することはないだろうと、そう踏んで」
かつてエミールが語ったのと同じような内容を、お母様はすらすらと語る。
「でも、周囲の貴族たちは様子見に走り、味方になるか、敵になるか分からない。だからマリオットは困っている、そうよね?」
私とセルジュが、同時にうなずく。そんな私たちのほうを向いて、お母様はうなずき返してきた。
「あなたたちは、リュシアンを介してソナートを頼ることができた。けれど、他の貴族たちは違うわ。彼らを独立させ味方につけるには、何か彼らの支えになるものが必要よ。レシタルに逆らっても大丈夫なのだと、そう思わせるだけのものが」
お母様が、まっすぐに私を見つめた。こちらを射抜くような強い光を放つ青に、身がすくむ。
「それさえあれば、どんどん貴族たちは独立するでしょう。レシタルは元々安定した国とは言い難かったけれど、ここ十年ほどでさらに悪化したから」
そこまで言い切って、お母様はまたしても悠然と微笑む。
「それでね、思いついたのだけど……レシタルを離れた小さな独立国たちが手を取り合って、連合国を作るというのはどうかしら。聖女の加護のもとに集う、特別な連合国。素敵じゃない?」
「……連合国……聖女の……」
「そう。互いの独立性は保ちつつ、協力し合ってレシタルに対抗するの。あなたのこの素敵な力をあちこちで見せつければ、どうしようか悩んでいる貴族たちも、あなたたちの連合国に参加するんじゃないかしら」
「僕が……新たな連合国を作るための鍵になる、ということ……?」
「そうよ、リュシアン。あなたにはできるって、私は信じてるわ。……それに」
聖女としてマリオットを守ると、そう決意した。けれどそれ以上に重たいものが、私の両肩にかかってしまっているように感じられる。
おじけついている私の耳元に、お母様が近づいてきてそっと耳打ちする。
「セルジュは今、マリオットの王子様なのよ。彼を守るためにあっちこっちで祈って、じゃんじゃん味方を増やしていく。そう考えたら、やる気も出るでしょう?」
セルジュが王子様。ちょっと似合わない言葉に思わずくすりと笑ってしまうと、お母様も笑いながら言葉を続けてきた。
「……ついでに、レシタルが弱体化してくれれば、私たちとしても助かるのよね」
「助かる、って……どういうこと?」
「そのまんまの意味よ。隣接するレシタルがずっと政情不安定なせいで、うちも迷惑しているの。難民の受け入れ体制を整えたり国境の警備を増やしたり、やることが増えちゃってて」
あまりにもあっさりと、お母様は答える。上品に微笑みながら、さらに言葉を重ねていく。
「マリオットの領地は、ソナートの国境とも近い。そこが独立するというのなら、その周囲の貴族たちと手を組んで大きな連合国となってもらったほうが、こちらとしても都合がいいの」
都合がいい。何ともあけっぴろげな言葉に、つい苦笑が浮かんでしまう。
「……あなたたちが抜けた分、レシタルは弱っていく。そうして崩壊寸前のレシタルを、連合国が丸ごとのみ込んでくれれば一番楽なのだけれど。あ、これはここだけの話にしておいてね。レシタルにばれたら面倒なことになるから」
「ほんと母さんって、身も蓋もないね……」
「ふふ、本音ですもの。具体的な作戦は、エミールが立ててくれると思うわ。彼、切れ者なのでしょう? だからあなたのすることは、あちこち出向いていって、力を使いまくって見せつけて回るだけ。どう、簡単じゃない?」
「……そう言われると、そんな気もしてきた。それにしても母さん、本当に王妃だったんだね……すっごく色んなこと、考えてたんだ……」
物心ついた時にはもういなかったお母様、とっくに死んだのだと聞かされていたお母様、手紙と手鏡でだけやり取りしていたお母様。正直、お母様が生身の人間なのだと、こうして会うまで実感できていなかった。
けれど実際に会ったお母様は、とっても生き生きした、ちょっと型破りな雰囲気の人だった。そして、思ったよりも遥かにしっかりと、王妃を務めているようだった。
ともかくも、お母様の言いたいことは分かった。にっこり笑って、お母様に答える。
「……分かった、帰ったらエミールさんに提案してみるよ」
「頑張りなさいね。応援してるわ」
にっこり笑って、お母様が手を差し出してくる。その手を握って、二人でうなずき合った。その横では、ルイがきらきらと目を輝かせて私たちを見守っていた。
そうして無事にここに来た目的も果たし、いざお母様たちに別れを告げ……ようと思ったけれど、そこでちょっとごたごたしてしまった。
「ああ、君が隣国の王太子でさえなければ、このまま連れて帰ってたのに……」
「僕も、兄様と離れたくはないです……せめてレシタルが、マリオットが平和であれば、見聞を広めるためにそちらに留学することもできたのに……」
私とルイはしっかりと抱き合って、二人でごねていた。父親が違う私たち姉弟は、何だかんだですっかり意気投合してしまったのだ。
「ルイ、リュシアン。あなたたちが仲良くなってくれて嬉しいわ」
そうしてお母様が、そんな私たちをにこにこしながら眺めている。その向こうで、セルジュが肩をすくめているのが見えた。
その隣ではティグリスおじさんが、さらにもうちょっと離れたところにはソナートの兵士たちとマリオットの兵士たちが、みな嬉しそうに目を細めていた。みんな、兄のような父のような祖父のような、そんな表情をしている。
全力で別れを惜しみ続ける私とルイに、お母様が声をかけてきた。
「二人とも、そう嘆くことはないわ。新しい連合国ができて、私たちソナートと正式に国交が結ばれれば、いくらでも行き来できるもの。幸い、マリオットとソナートは近くにあるのだし」
「でも、それまで兄様が無事でいられるのか、心配で……」
私にしっかりとしがみついたまま、ルイが一生懸命にそう主張する。ああもう本当に可愛い。
そんなルイを見て、お母様が考え込む。
「そうねえ……大丈夫だとは思うけれど、念には念を入れたほうがいいかしら。……リュシアン、もし困ったことがあったらいつでも、あの魔法の手鏡で呼びかけてちょうだい。これから私は、ずっとあれを持ち歩くから」
「ありがとう、母さん。心強いよ」
「最悪、どうしようもなくなったらソナートにいらっしゃい。もちろん、そちらの彼氏も一緒にどうぞ。伯爵位くらいならあげられるから、二人で新しい家を興せばいいわ」
「母さん、一言どころか三言くらい多いんだけど。彼氏って何」
ちらりとセルジュを見ると、見事に真っ赤になっていた。お母様が、やだあ面白い、と小声でつぶやいている。どうやらお母様は、彼をからかうのがちょっと癖になりつつあるようだ。
「ともかく、僕たちはそろそろ戻るよ。……ルイも、元気でね」
そう言って、ルイを抱きしめていた腕をそろそろと緩める。ルイは下を向いていて、顔を合わせてくれない。
「……兄様こそ、ご無事で。今度は、ソナートの王宮を見にきてください。兄様に見せたいものが、たくさん、あって……」
「ああ、もちろん。こちらの騒動が片付いたら、必ず行くね」
そう言って、ルイの銀色の頭をなでた。くすんと鼻を鳴らすような音を立てながら、彼はこくんとうなずいていた。




