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4話


 

「魔力は心臓から作られ、血と同じように全身を巡っている……だから日用品化された魔道具は魔法使いでなくても扱える……」


 初級の魔法書は魔力と血を同列に並べているが、魔法というものに縁遠い世界で生きてきたドールにとっては理解しきれないものだった。


「魔法使いは自分の魔力で魔法を放てるけど、魔法使いでない人の魔力は少ないから魔道具を通さないと奇跡を起こせない……って、魔力をどう動かして魔道具を使ってるのかしら……そもそも動かせるものなの? 流れているものじゃないの?」


 指先で洋燈のような魔道具を弄るも光は灯らない。平民が日常使いする商品だそうで、この国に流通している魔道具の中では一番簡単に扱えるらしいのだが、悲惨な結果にドールは目を細める。

 

「静電気みたいなものなのかな」


 彼女の体はこの世界で生まれ育ったスフェンのもので、実際スフェンは魔法を扱えた。

 

(……練習用に幾つか取り寄せてみたけど、魔道具どころか体の魔力すら感じられない)


 しかし、別の世界から入れ替わったドールは〝魔力を感じ取る〟、〝魔力を使う〟という感覚から常識外れ。その為、幾ら魔法書で魔法式や魔法陣を覚えたとしても、平民が使うような魔道具すら扱える気がしなかった。


「また別の本を借りてみなくちゃ」

 

 不意に扉から音がして手を止める。来訪者だろう。

 浄罪の塔から帰った日より、ドールへ注がれるヴォルフェルム公爵家一同からの視線は様変わりしていた。

 気弱なお飾り夫人にもそれなりの敬意は払うべきだと、ようやく理解した使用人たち。率先して世話をするようになったのはいいが、どうやらドールの噂を聞いたヴェント公爵と息子のルークが興味を持ったらしい。メイド伝てに招待された朝食、昼食、茶会、夕食。そのどれにもドールは参加せず、借りてきた魔法書を読むばかり。

 もしくは貸出禁止の本の為に浄罪の塔に出かける日々に痺れを切らしたヴェントがドールの部屋に訪れたのは当然と言えた。


「何用でしょうか旦那様、私は今読書に忙しいのですが」

「何故、食事や茶会の誘いを断る?」

「本を読むのに忙しいからです」

「それ以外の理由は?」

「それだけで十分かと思いますが……ああ、もう一つありました」

「言ってみろ」

「旦那様方と時間を共有したくないからです」


 庭でアフタヌーンティーでもどうかとの誘いを、あまりにも直球勝負で回避に出たドールは苛立っていた。何度誘われようが関係なく、交流を深めるつもりのない相手と卓を囲むことも紅茶を嗜むことも時間の無駄でしかない。

 本当のスフェンであれば驚き怯えながらも喜んで参加しただろう。もう一人ぼっちではなくなるかもしれない、なんて期待に胸を膨らませ頬を染めて頷く筈だ。

 しかし、本物のスフェンではないドールにとっては一縷の興味もない者たちの誘いに乗る理由はなかった。

 

「……公爵夫人としての仕事を怠るつもりか?」

「——まぁまぁ、これは失礼を」

 

 ヴェントの言葉にドールは立ち上がり、明らかに貼り付けた愛想笑いで謝罪を返した。


「家族団らん、仲良くお食事することも公爵夫人の業務内容に入っていたとは存じ上げず、申し訳ございません。ですが、そうであるのならば、この五年の間にもお申し付けくださればよかったのに。今更咎められるとは、ねぇ?」

「……それは、すまない。言う機会がなかっただけだ」

「機会を作らなかったの間違いでしょう? まぁ、旦那様のお考えであれば私が反論することではありませんね。ティーパーティーの会場はどちらでしょう?」


 きゃらきゃらと薄っぺらな笑みで少女のように軽やかに歩き出すドールは、ヴェントにとって未知の存在だった。

 そもそも、誘いを断ることも部屋に赴いて拒絶されるのも初めてで、冷たい後妻にどう対応していいのかわからないというのが正しい。

 エスコートの手すら断るドールが案内されたのは手入れの行き届いた温室だった。どういうつもりなのだろうかとドールは笑顔の仮面の奥で目を細める。

 公爵家に温室は二つある。

 一つは亡き前妻のための場所で、もう一つは後妻のためのもの。本物のスフェンは人並みに花を好んでいた。しかし、公爵家に来てすぐの頃、前妻の温室とは知らずに入り、息子のルークに追い出されてから新たに作られたのが、この二つ目の温室だった。

 ——専用の温室を与えるから、私たちの思い出に踏み込まないでくれないか。

 使用人越しに伝えられた言葉を受け取ったスフェンはその後一切温室には入っておらず、自身の為に作られた箱庭にすら向かうことはなかった。

 だからこそあまり手入れはされていないと思っていたが、存外整えられておりドールは首を傾けた。入れ替わったこの数日でなんとかできるものではないことくらい分かる。


「とても花を好きな使用人がいらっしゃるのですね。私の温室など放置されているとばかり思っていましたから」

「二年前まではそうだった」

「では、新しく雇用された方でしょうか。事情を知らないからこそ愛でられるものでしょうし」

 

 ドールの嫌味が込められた言葉に、ヴェントは答えなかった。彼の不機嫌そうにも見える鉄仮面は僅かに揺れたようだが、かと言ってドールは欠片も反応しない。


「……ここを管理しているのはルークだ。茶会も、あの子が初めに言い出した」

「へぇ」


 ヴェントの言葉にドールは一度瞬きをした。しかし、特筆すべき感情を見せることはなかった。ドールが瞬きをしたのは彼女の中に義理の息子から拒絶された可哀想なスフェンの記憶があったから。

 齢五歳で母親を亡くした子供に、満面の笑みで後妻を歓迎しろと言うのは酷な話だ。それこそ、大人である筈の彼の父親や使用人たちですら歓迎できなかった存在をとなれば仕方ないだろう。

 それから五年、ルークは来月で十歳になる。後継者の教育もあってか、自身の行いが如何なるものだったか気付いたのかもしれない。公爵家の未来が安泰そうで何よりだとドールが笑えば、ヴェントの眉間に皺が寄る。

 

「お父様のうしろに隠れず、私に忠告ができるようになったのですね」

「忠告……? なんのことだ」


 アフタヌーンティーらしくティーセットと、色とりどりのケーキが並ぶアンティーク調のテーブルは美しい白。同じ色の椅子を引かれ座ったドールの向かいには椅子が二つ。

 

「あら、てっきり私の近頃の行いを見かねて、家門の主人と後継者様が直々にお呼びになられたのかと」


 まるきり予想外だとでも言わんばかりに惚けた声音でドールが呟いた。その後柔らかそうな唇が音もなく動くのを見たヴェントがついにポーカーフェイスを崩してしまう。


「残念です」

 

 ——残念、とは。ヴェントは問いかけた。


「どういう意味だ」

「勘違いなら良いのです。大変失礼を致しました」

「御託はいい、どういう意味だと聞いている」

「それこそ言葉の通りです」


 ヴェントの瞳は僅かに怒りが滲んでいた。ドールの反応で、息子ルークの努力や気遣いが無下にされたと思ったのだろう。だとしても、ドールに、スフェンに対して彼らが怒れる理由などあるのだろうかと金色の瞳は冷たく見返す。


「いっそ〝気狂いが〟と言って、離婚してくださらないかと思っていたので、けれどそうではなくて残念だ、と申しましたの」

「離婚だと……?」


 これに困ったのはヴェントだった。

 彼にとって後妻を迎える予定はなかったと言えど、前妻が死んだ直後に後妻を迎えろと国王から圧を受けており、スフェンとの愛のない婚姻は渡りに船だった。というのも国王は自身の娘をヴェントの妻に当てたかったのだ。これは政治というよりも、国王が娘——王女ローズレヴィに甘いことが原因である。

 まだ前妻が生きていた頃、共に向かった王家主催の舞踏会でローズレヴィはヴェントに恋をしたのだと。しかし結婚し、息子までいる手前押しかけるほど恥知らずではなかった彼女はその恋をひっそり仕舞い込んだ。

 だが、運命は愉快に回る。

 誰かにとっての不幸は誰かにとっての好機だった。

 前妻が亡くなり、悲しみに暮れるヴェントをローズレヴィは心から支えたいと思った。あわよくば、はもちろんあるが、けれどそれ以上に日に日に痩せていくヴェントに胸を痛めたからだろう。

 ただ、彼女のその恋心や献身をヴェントが煩わしく思っただけ。ローズレヴィが純真だったのもあり、精一杯傷つけまいと注意を払った結果、欲に忠実なキャロル伯爵と手を組んだ。

 そして、光のない瞳に怯えと期待を滲ませた少女——スフェンが新たな妻となった。


(本当に、何があったのだ)

 

 政治的、金銭的な取引が伯爵との間にあったとはいえ、ヴェントはスフェンが己に恋慕を抱いていると聞かされていた。事実スフェンはどこの誰とも知らぬ者より見目麗しい公爵との条件付きの婚姻に前向きですらあった。


「十年の契約でしたから……あと五年はこの生活が続くでしょう? 飽き飽きしてまして」

 

 それが今では、嫌悪や憎しみすらなく無感情に凪いでいる。スフェンとドールの明確な差をヴェントは本能で察したようだった。残念ながら、別の魂だとは微塵も考えていないようだったが。


「社交界でも私の悪い噂が飛び交っているようですし」


 そもそも金に汚いと噂が絶えない伯爵を父に持つ娘がスフェンだ。花盛りの娘の十年、契約満了後の余生まで無駄にしても気にしない父親。それが愛妻家と周知され、突然の悲劇に憔悴する男と契約や政略でない結婚が成立すると考える馬鹿はいない。

 加えて王女ローズレヴィの恋心も社交界では有名な話。そうしてスフェンは、見事に王女を蹴飛ばしヴェントの心の傷にもつけ込んで公爵夫人の地位を得た悪女と呼ばれるようになっていた。

 彼女が嫁いでから今まで、王家主催のパーティーでもヴェントはパートナーに誰も選ばなかった。それこそが、スフェンの悪女の噂を証明していたに他ならない。

 

「閉じ篭っていても噂は風と共に流れて来るものですね」

「……ならば、今からでも私と共に舞踏会へ参加すればいい。そうすれば誰も滅多なことは言えない筈だ」

「まぁまぁ! これまでも舞踏会どころか夫婦での出席が必要な催事にさえ連れて行かなかったのに、今になって? お茶会もです。あれほど私からの誘いは断っておいて、今更なんだと言うのでしょう?」

「……それは、」

「分かっています。ルーク様のためでしょう? 貴方が動くなんてそれ以外ないでしょうから」


 図星を勢いよく突かれたヴェントは唇を結んだ。彼は決して悪人ではない。金遣いは荒くなく、けれど使うべき時は使うことができ、女にだらしないなんてこともない。

 ただ前妻を愛し、公爵家としての努めを果たそうと必死に生きてきただけに過ぎない。それだけのことが、スフェンを苦しめてきただけ。


「——まあ、私にとっては、どうでもいいことですが」

 

 ドールも権力者の言動としては責任感のない様のヴェントに思うところがあった。それでもドールはスフェンと同じ感情は持ち得ておらず、またスフェンを憎んでいる者なので彼女の不幸に興味はない。


「ルーク様のお茶会、お誘いいただけて嬉しく思います。舞踏会に連れて行っても構わないと譲歩してくださったこと、光栄です」


 しかし、とドールが人差し指を口元に当てた。とびきりの内緒話を伝えるような仕草は容姿の割に子供っぽくて、どこか愛嬌がある。己の見せ方を理解している女の姿だった。

 ちらり、ドールの視線がテーブルの奥に向かう。ドールは奥の茂みに隠れたルークに気付いていた。ヴェントはもちろん、寧ろ隠れるように言った張本人だろう。この茶会もドールの様子を伺う為に用意されたものなので疑問はない。


「私はもう疲れたのです。誰にも愛されないこと、愛されずとも、信頼すら勝ち得られないことのすべてに」

「それは、私たちの落ち度だ……申し訳ないことをした、すまない」


 わざとらしく頬に手を当てて言ったドールに、ヴェントは公爵としての立場では考えられないほど素直に自身の罪を認め、頭を下げた。茂みの裏で息子が見ているにも関わらず猛省する彼は、清廉で真っ直ぐだ。

 だからこそ妻の死で崩れかけた。弱い人間である。それはドールにとってつけ込む隙に他ならない。

 

「あら、そのように旦那様が謝ることはございませんよ。旦那様の、奥様への思いは充分承知しております……それ故に、もうおやめになって下さいませ」

「やめる、とは?」

「利益が釣り合ってもいない、なんの感情もない女を夫人の席に置くことを、です。これでは奥様だけでなく、ルーク様も、使用人たちも、旦那様も哀れでなりません……」


 ドールはこれまでの冷たさや嘲りといった負の感情を消し去って、切なげに視線を下げた。僅かに伏せられた瞼の所為で長い睫毛が影を落とし、覗く金色の瞳は揺れている。瞳だけではない、華奢な肩も小さく震え、今にも泣きだしてしまいそうな——悲しみを必死に隠しているような健気さが伺えた。

 ひゅっとヴェントの喉が鳴る。

 彼は心底誠実で、紳士だ。そうあるように育ってきた貴族の、成人男性だ。

 しかし、前妻を亡くし傷心しているからと後妻を傷つけてきた。今まで閉じ篭り我慢していた新たな妻に拒絶されたことでようやく向き合う覚悟を取り戻した不器用な男でもある。

 そんな、本来であれば平手でも済まない扱いをしてきた不出来な夫に離縁を突き付けることは当然だ。

 だがドール——彼にとってはスフェン——は、怒りを抱きながらも気丈に振る舞い、あまつさえヴォルフェルム公爵家の皆を案じてみせた。ドールの芝居によって、そう見えてしまったのだ。

 奥様、と亡くなった前妻を未だにヴェントの妻だと認めてくれる女性に、自分たちはなんという仕打ちをしてしまったのだと。年相応に気位の高い貴族の令嬢が、自身に立場はないのだと示すその屈辱はどれほどかと考えてしまえば、ヴェントはもうどうしようもなく泣きたい気持ちになった。


「すまない……本当に、すまない………………スフェン……」


 それは、ヴェントが始めて後妻をしかと認識して名前を呼んだ瞬間だった。項垂れた男の旋毛をドールは冷ややかに見つめ、考える。

 ヴェントがどれだけ謝罪を零そうと、後妻に罪悪感を抱こうとドールには欠片も関係がない。


(スフェンの為に罪悪感を与える訳でも離婚する訳でもないし)

 

 それこそ、ドールが見せた突貫で雑過ぎる健気な女の演技に騙されるような男であれば、特に。扱いやすいと思いこそすれそれ以上の感情などある筈もない。


(最も、愛に飢えた彼女であれば、名前を呼ばれた瞬間に許したのでしょうね)


 敵に回した全員が愚かで助かる、とドールは内心で溜息を吐いた。生温い世界は楽でいいと侮蔑の感情すらあった。

 この先もドールが健気で、けれど心が折れてしまったスフェンの姿を演じれば公爵家は陥落するだろう。スフェンを売ったキャロル伯爵家も娘の良縁が切れれば困窮し現在の立場を失う筈だ。

 塔の魔法使いは、妖精は、他に関わった者たちは。誰が無事でいられるのか、悪夢のレースはもう始まっている。

 ドールは、自分が元の世界に帰るために、幸福になる為になんでもするつもりだ。ドールの名前を悪夢と共に忘れる為に最善を尽くすことに躊躇がない。両手両足の指の数以上の者たちを不幸にする覚悟を、ドールは持っている。

 その為であれば、繊細で壊れやすそうな宝石の真似事だってしてみせると口元に笑みを浮かべ、未だ顔を上げないヴェントの肩に手を置いた。


「どうか私の為に、旦那様ご自身の為に、皆様の為に……離縁してくださいな」


 甘く誘うように、柔く懇願するように、ドールは善意に見せかけた毒を密かに染み込ませていく。促されるように顔を上げたヴェントは、金色の瞳に慈愛を見た。


「スフェン……私は…………」


 続いた言葉は、当然のようにドールの欲しいものであった。


 

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