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10話



 離婚まで半年を切った頃。

 夜の穏やかな風に髪を遊ばせながら、ドールは窓際で読書に耽っていた。比較的顔色が良く機嫌も悪くない。

 以前ヴェントと共に伺った伯爵家では、無事離婚について承諾を得られた。帰り際に伯爵夫妻から泣いて抱きしめられ、与えられた謝罪にドールはスフェンのフリをして感謝した。

 足元に抱きついてきたガレンの頭を優しく撫でれば、文通をしてほしいと頼まれ許容した。

 今では母と弟から三日に一度手紙が来る。丁度先程も、使用人に配達の手配を任せたばかりだった。

 


 ——来るよ。

 ——お客さんだね。

 ——今日も来たね。

 パロマと呼ばれる店主の店で譲り受けた洋燈の側、妖精たちが来訪者に喜び跳ねている。

 その光景を一瞥し、ドールは漸く顔を上げた。


「いつもよく気づけるな」

「妖精が騒ぐから」


 開いていた窓から現れたのはスモークだった。

 認識阻害の魔法が彼とローブに掛けられており、人目を偲んできたのがうかがえる。

 ここ暫く、二人は何度も逢瀬を重ねていた——と言っても色めいたことは皆無。

 スモークは、ドールの帰郷を手助けすることに決めたのだ。

 伯爵領で邂逅し、会話を重ねてから、自分の取るべき行動を改めたのだろう。


「今日はどうする。また魔道具の練習をするか?」

「ええ。魔力を動かす練習を少しと、もしそれが成功したら一個試したいことがあるんだけど……」

「分かった、手ぇ出せ」


 早速と言わんばかりに二人はベッドに膝を突き合わせて座った。

 間にはスモークの用意した水時計があり、ドールは触れない程度の位置で両手を固定する。

 硝子容器の中で逆さにしても落ちることなく止まっている水を、魔道具を起動させて指定の時間で落とす。灯りを点けるのと同じくらい初歩的で市場に出回っている簡素な品だ。

 ドールは未だに魔法を使えなかった。

 当然のように魔力すら動かせず、魔道具も扱えない。それを知ったスモークが見兼ねて師の役を買って出たが、どれだけ時間が過ぎようとも結果は思わしくない。

 

(才能がないというより、何か引っ掛かりがあって止まってるような感じなんだよな……)

 

 スモークは目を凝らしてドールの手元を見下ろした。実際魔力はドールの手元に集まってはいるのだ。

 練習の成果か、魔力を動かすこと自体には成功している——だが、放出ができていない。

 この世界では赤ん坊すら泣き喚いた拍子に魔力が放出され家具が壊れるなどの事件がある。魔力量が少ない者だろうと関係ない。


(……もしかして、魂と肉体がちゃんと融合してないからか?)


 ありえない話ではない、とスモークは一人考察する。

 ドールは現在、限りなくスフェンの肉体を支配しているが、スピネルによって一部の記憶を消されている状況だ。

 それ故、スフェンが容易にできていた魔法の発動になんらかの支障があっても不思議ではない。

 それか、ドールがスフェンの肉体にいることを拒んでいるから、という可能性もある。

 名前の違う中身と容器では噛み合わなくて当然だ。

 ドールは、スフェンを憎んでいるのだから。

 

 ——あの世界で、スフェンが生きていけるとは思わないけど。


 伯爵領で邂逅した日、ドールは元いた世界の話をスモークに話した。

 彼を懐柔し協力者に仕立てたい為だったかもしれないが、そこで初めてスモークはドールの人生に興味を持ち、何度目かの練習の夜に尋ねてみた。

 

「魔法もない、危険な世界じゃないんだろ?」

「危険の種類が違うかもしれないけど、そうね、私がいた国は平和な方だったわ」

「なのに、生きていけないのか?」


 スモークが首を傾げるとドールは懐かしそうに目を細めた。

 

「私にはね、とびきり綺麗で、なんでもできる最高の兄さんと姉さんがいるの」


 ドールからは初めて聞く、心底慈愛に満ちた声だった。

 これまで柔らかさを秘めた言葉は何度もあったが、あれらのすべてが偽りに思えるほど、甘く蕩けた少女の声。

 ——兄は美しい人だった。

 黒髪で、深く輝く青い目の人。好奇心旺盛、常に溌剌とした笑みを浮かべ、好きなものには一等愛情深く接することができた。

 家の長子としても誇り高い人だった。

 ——姉も美しい人だった。

 長く柔らかな金髪で、春の若芽色の目をした人。冷静沈着、常に穏やかな笑みを浮かべながら、愛情を惜しまず、嫌いなものには徹底した無関心を穿ける強さがあった。

 兄を支えながら家族を一番に思う人だった。


「大好きなの——大好きな、私の家族」

「……そうか」

 

 両親の話が出なかったことにスモークは気付いており、また元の世界の彼女がきっとスフェンやスモークより若いことも察していた。

 稀に、周囲の大人を冷めた目で見る姿は過去の自分と重なり、スモークはそう推理したが、案の定それは正解だった。

 彼女は大学と呼ばれる教育機関に所属し、これからの新生活に心弾ませる十八歳だったという。必死で勉強し、合格が国内で最難関とされている大学に受かった夜は兄姉が盛大にお祝いをしてくれたと。

 誕生日には好きな花とセンスのいいプレゼントを贈り合い、喧嘩は一度もしたことがない。

 叱られることはあっても理不尽に怒られたことはなく、何が間違っていたのか、何がいけなかったのかを理解できるまで教えてくれた。


「〝私〟を、〝人間〟にしてくれたの」


 ——だから、あの幸せを奪ったスフェンを許さない。


「……そうか」


 まるで自分が人間ではなかったような言い回しに首を傾けそうになったが、重要なのはそこではないのだろう。

 ただ、怒りを抱くには至極真っ当に思えた。

 スモークとて自分が今いる立場を、彼が築いた努力の成果をある日突然他人に奪われ我が物顔をされれば、誠心誠意全力で殴りかかってしまうだろう。

 何がなんでも相手を罵倒し、軽蔑し、死すら願ってしまうかもしれない。己が為に磨き上げた魔法の才を、犯罪に利用してしまうかもしれない。

 例え相手にどんな理由があろうとも、どうして俺なんだと喚き散らしたはずだ。

 けれど、スモークはスフェンの悲哀を知っている。ドールの言うように被害妄想が肥大化した成れの果てだとしても、彼女が心底苦しんでいたのは事実なのだ。

 だから、友人としてスフェンを止めたい。

 これ以上過ちを犯してはならないと——正論を垂れながら、怒りに満ちた金色の瞳の前にスフェンを差し出そうとしている。偽善だ。

 所詮、スモークの罪悪感を晴らす為の行いでしかないが、彼にできることは最早それくらいしか残されていなかった。

 

 

「……駄目ね。時間を無駄にしてごめんなさい」


 ハッとスモークの意識が戻る。

 手元には水一滴も落ちていない水時計が鎮座し、ドールの表情は苦悩に染まっている。額には薄く汗が滲み、疲労が見えた。

 夜の逢瀬は十回をとうに超えているが、ドールは毎回初めに魔道具を扱う練習をする。基礎を大事にするのは間違いない。

 しかし、失敗するたびにドールは謝罪を零した。彼女が悪いわけではないのに、不出来で申し訳ないと目を伏せる。

 そして顔を上げ、次はもっと頑張ると言って前を向く姿が、酷く眩しかった。


「いや、魔力は動かせるようになってる。疲れてるのがその証拠だ」

「うん」

「提案だが、勝手に魔力を吸収する魔道具を試してもいいかもしれない。荒療治になるが、魔法使いの罪人が逃げ出さないように、魔力を吸って動けなくさせる手錠がある」

「うん、お願いします」


 指示を仰いでる際のドールは丁寧だ。それでいてどこかあどけない。

 スモークを師と認識し、失礼のないように努めている。気に入らない相手の一人だろうに、いざ学びの場となれば言葉遣いも敬語に正してきたほどだ——そんな恭しい態度に肌がそわりとして、スモークから元の淡白な話し方でいいと止めた。

 往来真面目な気質なのだろう。学生の名残が強いと言っても過言ではなさそうだが、ドールが初めての弟子のスモークからすると今でも少し照れ臭い。

 赤らんだ目元を隠すように自身の前髪をぐちゃぐちゃにすればドールは不思議そうに首を傾げていた。穏やかな時間だった。

 騒ぎ過ぎず、静か過ぎず、無言が苦痛ではない。相性がいいのだろう。

 背景にある忌まわしい事象などなければ。

 ありのままで出会えていたら二人は良い師弟に、良い友人になれたのかもしれない。

 しかし、入れ替わりがなければ永遠に交わることのない世界の二人だった。


(考えるだけ無駄だ)


 息を吐き出して、スモークは水時計を仕舞った。ドールは汗を拭うと枕側に置いていた古書に手を伸ばす。


「試したかったのは、まさか禁書の内容か?」

「この中に、血を対価にして人を探す魔法があったの」


 ぺらりと該当のページを開き二人で覗き込む。

 

「スピネルは血縁者や親しい者の夢に出る魔法もあるって言ってたでしょう? 想い人を見つける魔法と夢に出る魔法を組み合わせれば、異世界にいる兄さんたちでも見つけられるんじゃないかと思って」

「やってみないと分からないが……」


 できなくはないだろう、と頷くスモークにドールは目を輝かせた。

 血縁者や親しい者の夢に出る魔法は比較的簡単だ。と言っても会話はできず、ただ相手の夢に自分の姿を滑り込ませるだけ。

 もしかすると可笑しな仮装をした姿で登場してしまうかもしれない融通の利かない魔法でもある。融通の効かない魔法は魔法学の中でも初級であり、簡易版に失せ物を探す魔法もあるがそちらは必要条件が多い。

 失せ物の形、色、重さ、名前、どの辺りで失くしたかのすべてが発動者の記憶にないと成功率が低くなる。

 そういった面倒が少なく、融通が利いてしまう魔法というのは、少なからず別の問題がある。それこそ妖精絡みや禁書レベルの魔法になりかねないのだ。

 例えば捜索系の中でも想い人を見つけるというこの魔法は、血を対価にする分威力が絶大だ。ある意味では精神干渉の魔法に分類されてしまうくらい、説明の出来ない奇跡の結果となる。

 ドールが扱うことで妖精の手助けも加わるのだから、間違いなく何処にいても見つかるだろう。


「〝記憶にある人物を強く思い描くだけでいい〟……流石、妖精の禁書だな。たかが少量の血が対価で成功率が百かよ」


 魂の入れ替えと違い寿命を削られない分は些か良心的だろう。

 

「今後、私が魔力を放出できるようになれば、これまでに覚えた魔法式や陣の魔法は使えるようになるでしょう? だから今日成功したら……って考えてたの」

「そりゃあな。でも、お前が魔力を動かすより早く、今直ぐ挑戦する方法があるだろ」

「え?」


 禁書とは特定の人物にしか扱えない訳ではない。妖精の、と枕についていてもそれは同じ。

 危険が伴うものだからこそ相応の対価が求められるだけ。或いは、魔法使いの良識が試されると言っても過言ではない。

 対価次第では国家転覆にすら活躍できる魔法が刻まれている為に、ただただ、下級の魔法使いによる妄りな使用を禁じられている。

 ——それも、魔塔の中でも五本指に入る上位の魔法使い、スモーク・ノヴァには関係ない。


「俺が禁書の魔法をお前に使うんだよ」


 こんな簡単なことすら、ドールはスモークに頼まない。何もかも自分でやろうとする姿は意地を張っているのか、未だ信頼されていないのか。

 きょとりと目を丸めたドールにスモークはにやりと口角を上げた。


「ん」


 手の平を上に向け差し出され、ドールは顔には出さず困惑した。

 どうしたものかと逡巡しているとスモークがもう片方の手で細い手首を握り、手の平を重ねるよう誘導する。

 スモークはボソボソと詠唱を始め、二人の周囲に魔力光となった式が現れ陣となる。二重に重なっているような魔法陣からして、二つの魔法を発動しようとしているのだろう。


「あ……」


 ふわりとドールの眼前に妖精が舞う。

 スモークに妖精を視る目はないが、強い魔力の塊として光と気配を感じることはできた。

 ——血が対価。

 恐らく魔法の発動者であるスモークの血が使われるのだろう。

 もしくは、彼の血に代わる物があるのかもしれない、と考えていたドールがふと気付く。

 妖精は、詠唱を続けるスモークではなく、ドールを見ていた。

 

(……私の血がいいの?)

 

 妖精たちは肯定するようにくるりと回る。

 発動者の差し出した対価でなくても問題ないようだ。

 ドールは青年への貸しが少なくなることに有り難いと目を細め、握られていない方の手を妖精に差し出した。

 気付いたスモークが静止するより、魔力で研ぎ澄まされた鋭利な風が、ドールの手の平を裂く方が早かった。


「なっ……」


 目の前で赤が咲く。

 白いシーツへ染みを作る前に、魔法の発動が成功した。

 途端に、意識が微睡む。

 周囲の景色が歪み、白みを帯びたぼやけた世界に切り替わっていく中、互いの存在だけがはっきりと認識できた。


「この馬鹿! お前の血を出せなんて言ってないだろ!」


 スモークは鞄にあった魔法動物の血液を使うつもりだったのだ。特定の何かの、と記されていない以上は何の血潮でも問題ないからと。

 

「だって妖精が、私の血がいいと言うんだもの」

「だからって…………は? お前の血でないと駄目だと?」

「そう感じただけだけど……詠唱してた貴方じゃなくて、私を見てたから」

「…………いや、待て。そもそも可笑しい」


 何かが変だ、とスモークが口を手の平で覆う。どうしたの、とドールが問えば、暗紅色の瞳が揺れていた。


「俺の魔力が、減ってねぇ……お前、疲れてたりしないか?」

「……さっきと変わらないけど」

「魔力を消費せずに魔法が使えるもんか。血が対価になったとしても、魔力は媒介だ」


 ——ほんの少しも魔力が減らないなんてことは異常だ、とスモークが呟く。


(〝妖精の愛し子〟が、対価を払ったから……?)

 

 スモークの顔には焦り——正確には、理の通じないモノに対する恐怖が浮かんでいた。

 

「私が自分の魔力の減りに気付いてないだけとか」

「魔道具の発動に至るまでの魔力を手元に集めるだけで疲れたのに、いざ魔法が発動したら疲れてないなんてことあるかよ」

「……それもそうね。ごめんなさい」

「いや、悪い、混乱してた」


 原因と理由を究明すべき状況だったが、ぼやけていた景色が鮮明に変化したことで会話が中断する。

 それは、ドールにとっては懐かしく、スモークにとっては初めて見る光景だった。


「これが、お前のいた世界なのか……?」

「……ええ」


 自然が少なく、舗装された陸が続き、馬車代わりの鉄の箱が高速で駆けている。

 空には大きな鉄鳥が飛び、多種多様な建物は高く乱立している。見慣れない人種、見慣れない服の人々を俯瞰して見ていた。

 魔力の欠片も感じられない科学の発展した世界に、スモークは開いた口が塞がらなかった。

 隣を見ればドールは目を閉じ、想い人を探しているようだった。

 視界が切り替わるように、景色が一変する。

 そこは家のようだった。

 日当たりが良く、整えられた植物が飾られた空間は温室にも見えた。先程の上空からの光景よりも、より繊細で鮮明に見えるのは、ドールの記憶に深く根付いているからだろう。

 ドールは緊張した面持ちで、夢の空間を歩いた。

 扉も壁も風のようにすり抜けて進むと、話し声が聞こえてきた。声のする方へスモークが目を向けると、そこには人影が二人分。

 ——兄は美しい人だった。

 ——姉も美しい人だった。


 (これは、また……)


 整った容貌のスピネルや魔法使いとして関わったことのある貴族令嬢たちを見慣れていても、感服するほどの美貌。精巧に作られた美が、人の形をしてそこにいるようだった。

 また、容姿が優れているだけではなく、数秒見ただけでも所作や空気からも洗練されたものが感じられる。

 スモークにはこちらの世界の経済状況など知りようもないが、家と二人を順に見れば、かなりの上流階級であろうと窺える。

 ドールの言動も冷たく荒れている時はあるが、礼儀が必要な部分は弁えていた。

 育ちがいいのだろうな、とスモークの表情が和らいだ。何かを話そうと隣を見て、硬直した。


「——よかった……」


 ドールは、泣いていた。兄と姉はドールの妄想ではなく実在していたのだと。


「よかった、ちゃんと、記憶の通りだった……」


 頬を滑る涙を拭うこともせず、震える体を必死に立たせ、一心に兄姉を見つめていた。

 歩み寄れば触れられる距離にいる。

 ドールは耐えきれないといった様子で駆け出し、手を伸ばした。

 ——その手が、三人目の人影によって阻まれた。


「——は?」


 眼前に現れたのは、これまた美しい黒髪の少女だった。

 ドールの表情が抜け落ち、絶望を告げている。スモークには、見知らぬ少女が誰なのかがはっきりと分かった。


(あれが、スフェンが入ったドールの——こいつの、本当の居場所……)


 黒髪の少女は可愛らしい笑顔で兄と姉と語らっている。花が舞うように、幸福に満ちた穏やかな家族の憩いの時間。

 ぐらり、世界がゆがむ。

 空間に亀裂が入り、黒い靄が滲んでいく。

 ドールの心が、精神が壊れかけているのだと気付いたスモークが息を詰める。


「どうして、こんなことができるのかしら」


 平坦な声だった。怒りも悲しみも、何も感じられない声。

 無機質な音とは裏腹に、彼女の体から溢れる魔力だけが彼女の怒りを叫んでいるようだった。

 

「〝私〟がどれだけ頑張って、その場所を手に入れたのかも知らないくせに——」

「ドール……!?」

 

 けたたましい音を奏でながら、空間が割れた。硝子のような破片が暴風と共に吹き荒れ、ドール——スフェンの体——を傷つける。

 思念体であり、夢の中。現実にその体が傷つく訳では無いが禁書の魔法はスモークにとっても未知故に、顔には焦りが浮かぶ。

 それは、魔力の暴走だった。

 夢幻の世界が、彼女の悲鳴を受けて魔法が変化する。

 手を伸ばしたスモークが止める間もなく、視界が黒く染まり、意識が途絶えた。

 

 

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