第二章 100話『決戦準備』
普段ならば、静かで心地の良いククルセイの帝都・パラディン。
しかし今だけ、今回だけはその落ち着いた雰囲気と活気のある住人達の姿は無く、ただやかましいだけの喧騒が広がっていた。
それぞれがこれから始まるであろうククルセイとの戦争の為に準備を始め、住人はククルセイの国境線から一番遠い街に避難し、騎士団員達は慌ただしく街中を駆け巡り城に集まる。
そしてそんな城の会議室の長い机を前に、ノプスとザストルクにアミナ達と同行した騎士団員が話し合っていた。
「……ノードラスの通信から1日経過したが……状況の方はどうなっている」
「はっ。変わらず国境線沿いにククルセイの聖騎士が待機しており、我々も睨みを効かせています」
「開戦したらそこも激しい戦場になるな……。おのれノードラスめ。鉄鉱平原での開戦と言いつつもしっかり固めておるな……」
腕を組み直しながら呟く。
戦争を始める為に犯罪組織を利用するような人間の言葉だ。1から10まで信用している訳では無かったが、国境に聖騎士を配置してくるとは思ってもいなかった。
やはりネブロやノプスが戦争に肯定的になると踏み、事前に聖騎士を派遣していたに違い無かった。恐らく通信用の水晶も事前に送られた物だったのだろう。
……メルナスとか言う魔人会の者のせいでこちらの内情はバレバレだったという事か……。水晶を送り出すタイミングも、聖騎士を配置するタイミングもあまりに向こうに都合が良過ぎる……。だが今更どうなるものでも無いか……。
「他の者は、どうしているのだ?」
この場にいない、コルネロ帝国戦力の中枢を担っている人物の事を訊いた。
すると騎士団員は1人1人を思い出しながら再び口を開いた。
「はっ。まずネブロ大臣ですが、大臣はベルリオ総団長と共に団員達の編隊などについて話し合っています。そしてそれと並行して、物資を運ぶ為の経路や人数についても確認をしています。少人数かつ素早く物資を運ぶ為に偵察部隊から数人選び出し、彼等を運搬班のリーダーにするとも仰られてました」
「うむ、物資や食料に関して言えば心配はいらんな。……それにしてもネブロめ。あまり感情的になり過ぎるなよ……。お前は昔から優しかった。だからこそ、そこに付け込まれる。ベルリオが冷静な判断をしてくれる事を祈るしか無いな……」
自身の弟の長所であり短所を心配してノプスは呟く。
「それとイーリル代表はベルリオ総団長の義手を半日で完成させ、今は魔道銃器の量産と扱い方のレクチャーを重点的に行なっています。ザストルクでの一件があった事もあり、味方には構造を分かりやすく、敵には構造を分かりにくくするような工夫を取り入れたと報告がありました」
「ザストルクでの一件……本当に悔やんでも悔やみきれんな……」
ノプスは遠い目をして握り拳を作る。
それは思い出すだけでも怒りと憎悪と後悔が枯れる事無く溢れ出してくる。ネブロでなくても、それは共通の思いだった。
「まぁイーリルの場合、バルグレア会戦の時の事も忘れられないのだろうな。……何せ、故郷を戦場へと変えてしまった原因の中に、自身が最も携わっている魔道銃器があるのだから」
「私はその時、まだ入団していなかったので噂でしか聞いた事がありませんでしたが、やはり聞いていた通りなのですね。お2人が同郷というのは」
「あぁ。2人共若くしてよく入団できたものだ、と当時は驚いたものだ。ベルリオは実技が凄まじく、まさに期待の新人といった具合だった。イーリルは実技はそこそこだが、頭がよく切れる。入団当初の頃から魔道銃器の応用について考えていたと聞いた時は、そんな逸材を見逃していた自分を情けなく思った事もあったな」
懐かしそうな顔をして今度は天井を見つめる。
その表情には、現在殺伐としている城中の雰囲気とは異なり、懐かしむような、そしてどこかその頃を求めているかのような。そんな表情だった。
「さ……思い出話はここまでだ。私もそろそろ、動くとしよう。ふんぞり返って勝利を待つのは、私の趣味では無いのでな」
それを言って、ノプスは部屋から出ようとし、その先を騎士団員が小走りで回り込み、会議室の扉を開けた。
そして2人は会議室を出て右手の方へと歩き出した。
―――
一方その頃、メイとカルムは、城の中の一室で話し合いをしていた。
「なるほどな……ヒューリーが裏切り者で、お前はあんな傷を負ってたって事か……」
「はい。申し訳ございません。このような失態を」
「いや、悪いのは私だ。ヒューリーの人間としての本質に気がつけなかった私のミスだ。……よく対処してくれたな。ヒューリーの考えが少しでも違う方に向いていたら、アミナや避難所の連中が皆殺しになる所だった」
「勿体ないお言葉、感謝します」
と、ザストルクでカルムが何故大怪我を負っていたのかなどの話をしていた。
ヒューリーが実は魔人会の手先で、嘘を塗り重ねてアミナやタットに近づき、信用を得た。しかもザストルクの町長であるタットまでも元魔人会の構成員だときたものだ。メイは少しばかり混乱していたが、気を取り直してカルムに向き直る。
「お前のその腕、治るのか」
「………」
ヒューリーを殺す為に赤刀・ダムネスで突き刺し、斬り裂いた左腕に視線をやりながら、メイは問いかけるがカルムは黙って答えない。
だがメイには答えずとも分かっていた。何故なら、その武器を所持していたのは元々はメイ本人なのだから。
「……動かねぇんだろ」
「………」
包帯を巻かれた腕を抑えながらカルムは俯く。
その態度が全てを表しており、残念ながらメイの予想した通りの結果となっていた。
「赤刀・ダムネスは、物質の本質を斬る事が出来る。それは魔力を込めると発動する。他の桃源十二刃も同様だ。お前は腕を鞘に見立て、それを突き刺し、魔力を流し込んだ。それは、腕の本質を斬り裂いたって事になる。……つまり腕が腕の役割を果たさなくなるっつー事だ。痛覚も、触覚も、全ての感覚が失せ、ただのハリボテになる。……本当に、馬鹿な事しやがって……」
「………」
メイがカルムの左腕にそっと触れながら呟く。
しかし彼女の言葉にカルムは何も答えずに、ただただ俯いて悔しそうに歯を食いしばっている。
当時の彼女はこの選択が最前だと信じていた。その考えは今も尚変わってはいなかった。
自身があの場で腕を犠牲にしてヒューリーの強固な守りを破らなければ、また彼がアミナ達に近づいて何か良からぬ事が起こっていたかもしれない。
そうするくらいならば自身の腕の一本や二本……鞘を破壊されてしまった以上はそうせざるを得ない。彼女はそう思考していたのだ。
しかし今、メイの言葉を受け、カルムの考えはほんの少しだけ変わってきていた。
判断は間違っていなかった。しかし何かまだやりようがあったのではないか。そう思えてならなかったのだ。
「一つ言っておくぞ。……自己犠牲で誰かを助けても、助けられた側は何も嬉しくねぇ。身ぃ切るってのはな、横槍入れても何も失わねぇヤツだけがやっていいんだよ。今回は腕だけで済んだかもしれねぇ。だが、仮に命が無くなっちまったら元も子もねぇんだ。そこんとこ、肝に銘じておけ」
「了解致しました……。申し訳、ございません」
カルムはようやく口を開き、メイへと謝罪をした。
彼女の従者を思う気持ちはしっかりとカルムは伝わっており、この厳しい物言いもそれ故なのだと、長年の付き合いであるカルムはすぐに理解できた。
「……んじゃあ、お前の話聞いたから、今度は私の話聞いてくれ」
メイは腕を組み直し、カルムの潤んだ瞳を見つめた。
そして徐ろに立ち上がり、カルムの目の前に来て立ち尽くす。
カルムは困惑し「メイ様……?」と呟くと、彼女は膝をついてカルムの太ももへと顔を埋めた。
それはいつもやっているような行為だったが、普段とは少し違う何かがあるのだと、カルムは瞬時に悟った。
「私は……どうしたらいいと思う……」
「……何をですか?」
カルムは優しく問いかける。
「私がいたのに、アイツ等は深い傷を負っちまった。私じゃどうにもできそうにない、でかい傷をよ。……そのせいでアミナは今崖っぷちだ。一つでも何かをミスれば、アイツは戻ってこれない闇に落ちちまう気がするんだ。私じゃどうにも出来ない。じゃあ私は何をすれば良いんだろうな……」
メイが顔を横に向けて部屋の扉を見る。
そこから少し歩くと、そこは医務室だ。アミナは先日からそこから動いていない。食事も水分も摂取せず、睡眠も取らずにただカイドウの横に座って彼が目覚めるのを待っている。
そして誰よりも早く謝罪をするつもりなのだろう。アミナのせいでは無いというのに。
しかも戦争が始まれば恐らくアミナは作戦など無視で最前線へと飛び出し、ククルセイの聖騎士を虐殺するのだろう。
自身が稽古をつけていたメイは、それだけの確信がある程にアミナの実力を高く買っていた。
「自己犠牲の塊なクセに全部を助けようとする欲張りな甘ちゃんを……私はどうやったら、救ってやれるんだろうな……」
行き場が無い気持ちから生まれた、どうしようもない言葉がメイの口をついて出る。
近くにいるのに何もしてやれないもどかしさがメイの心を握り潰すように締め付ける。
そんな時、カルムがメイの頭を優しく撫でた。
それもいつも通りの事だったが、何か特別な何かがあるのだと、メイもカルム同様に悟っていた。
メイは目を閉じて身を委ねた。そしてポツリと言葉が溢れる。
「……なぁ、答えてくれよ、ノレヴ……。お前はいつも、何でも答えてくれたじゃねぇかよ……」
―――
最大病床数500。
城の中でも大きな割合を占めるコルネロ帝国の医務室。
その無数にある病床の一つに、頑なに動かない少女と、それを見守る猫の魔物の姿があった。
「みゃーう……」
フィーが少しは休んだらどうか、といった意味を込めた鳴き声をアミナに向けるが、彼女はそれが聞こえなかったように振る舞い、意識の戻らないカイドウの顔を見つめていた。
「カイドウさん……」
悔恨に塗れた言葉が吐き出される。
明らかにここ最近でやつれた彼女の口は細々と動き、目の下にはクマのようなものが現れている。生気を失った瞳には、もはや外からの光は入り込んでこないだろう。
ただ目の前の光景に、目の前の起きない友人の名を呼ぶ事しか出来なかった。
消毒薬と鉄の匂いが入り混じる医務室の空気に、肺が焼けるような感覚すらあった。
白布に覆われたカイドウの身体は、ほんのかすかに胸が上下しているだけで、まるで別人のように静かだった。
頭部に巻かれた厚い包帯。
それだけで、最近の時間がいかに惨たらしいものだったのかを物語っている。
思い出すだけで、全身の血が凍りつくようだった。
あの一瞬。銃声。鮮血。崩れ落ちる音。
目の前で、それが起きた。自分の目の前で。
己は何をしていた。何を見ていた。どうして、どうして、どうして、と言葉を吐いても尽きない。
座っているにも関わらず、足元がぐらついた気がした。医務室の無機質な床が、まるで揺れているように見えた。
それでも、倒れるわけにはいかなかった。
あの人は、今、戦っている。何も言わず、何も訴えず、ただ静かに、命そのものと向き合っている。
なのに、自身は──生きて、立っている己は──何もできない。
握った拳が震えた。
叫びたかった。
泣きたかった。
けれど、それは彼の苦しみに比べれば、あまりにちっぽけで、あまりに無意味だった。
アミナは、そっと彼の傍らに目を向ける。
その横顔は、いつも通りの皮肉も、飄々とした軽口も、自傷を喜ぶ姿さえなかった。血の気を失った肌、閉じられたまぶた。まるで眠っているだけのように見える。
だけど、分かっている。
その目が開かれる保証は、どこにもない。
どれだけ詫びても、どれだけ泣いても、過ぎた時間は戻らない。分かっている。分かっているのに、それでもなお、心のどこかで「もしも」を探してしまう自分がいた。
――許される事などない。
心の奥底でそう呟いた時、アミナの顔からは表情が消えた。まるで自分の中の何かを、感情という名の命の炎を、ひとつひとつ押し殺すように。
私が代わればよかった――。
その言葉が喉までこみ上げたが、声にはしなかった。
言えば、壊れてしまいそうだった。
彼を信じることすらできなくなる気がして。
苦しかった。
ただ隣にいることしかできない自分が、こんなにも無力で、情けなくて、腹立たしかった。
手を伸ばしかけて、止める。
触れれば、彼がまだ温かいと知ってしまう。
それが怖かった。希望になってしまうことが、怖かった。
希望は裏切る。絶望よりも、ずっと残酷に。




