第11話 森を包む月の影
オリヴィア高原へ向かう道の途中……エイラは、思わぬ“沈黙の森”へと足を踏み入れていた。
その森は、アヴィア南東の裂谷から北西へ向かう航路上、避けては通れぬ存在だった。
空からは見えない霧が覆い、羽ばたこうとする翼を鈍らせる重たい空気――それはまるで、空を拒むかのような場所だった。
「この風……空の流れが死んでる……?」
エイラは着地すると、慎重に翼を畳んだ。大地を歩むには慣れていないが、それでも行くしかなかった。
ペンダントは、確かにこの森を通り抜ける先を示している。
獣人の森
森の中は静かだった。木々は空を塞ぎ、鳥の囀りさえ聞こえない。風がない。音がない。命の気配が希薄だ。
それでも、エイラは何かを感じ取っていた。視線、鼓動、気配――この森には、「人ならざるものたち」がいる。
「……誰か、いるの?」
声をかけた瞬間、地面がざわめいた。
次の瞬間、木陰から音もなく現れたのは――獣の耳としなやかな尾を持つ、二足歩行の若い少女だった。
「空の子……この森に、何の用?」
少女は弓を構えながら問いかけた。その耳はピクリと動き、目は警戒に満ちている。
「私は、エイラ。アヴィアンです。この森を通り抜けたいだけなの。戦いに来たんじゃない」
一瞬の沈黙の後、少女の弓が下ろされた。
「……私はミリカ。この森の守り人。リュナ族の者よ」
月と霧の部族
リュナ族――それはかつて空の民と同盟を結び、地上の風を守ってきた獣人の一族だった。
だが、数百年前の“空の盟約の破綻”を機に、彼らは空の民を「裏切り者」として忌避し、森の奥に閉じこもったという。
ミリカは森の集落へエイラを案内する。苔むす木々の間に隠されるように、蔦で覆われた木造の家々が並び、地面の温もりと月の光だけを頼りに暮らす、静かな民の姿があった。
「なぜこの森には、風が流れていないの?」
エイラの問いに、リュナ族の長老は静かに答えた。
「この森は“忘却の地”と呼ばれておる。かつて、星の力を空の者が独り占めせし時、風は我らから離れていったのじゃ」
「風は、信頼と調和の象徴だった……お前たちアヴィアンがそれを壊した」
その言葉に、エイラは返す言葉を失う。
断絶と対話
その夜、森に月が昇る。静かな水辺で、エイラとミリカは並んで座っていた。
「…私はまだ何も知らない。けど、私の中には何か…“違う声”がある」
エイラは胸元のペンダントを見つめる。そこから聞こえる“星の声”は、誰にも聞こえないものだった。
ミリカはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「私も…本当は空を見上げるのが、好きだった」
それは小さな告白だった。幼い頃、空に向かって吠えることを禁じられた少女の、ひとつの願い。
「なら、見てみようよ。今度は一緒に」
エイラが手を差し出すと、ミリカは戸惑いながらも、その手を握った。
それは、断絶の森に差し込む小さな光だった。
森を出る朝
翌朝、霧は薄れ、風がわずかに流れ始めていた。
「不思議ね……昨日までは風が死んでたのに」
ミリカの言葉に、エイラは微笑んだ。
「風はね、呼ぶものなんだと思う。信じる心が、風を動かす」
別れ際、ミリカはエイラに小さな布包みを手渡す。それは、リュナ族に代々伝わる“月紋の羽飾り”。
「これは“見えぬ風を聞く者”の証。あなたなら、風を繋げるかもしれない」
そしてエイラは、森の上空へと羽ばたいた。
オリヴィア高原は、もうすぐそこだった。




