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太陽に惑わない(2)


 玄関に置いてあるベンチに座り、母からのメッセージに返信する。手持ち無沙汰になってしまったのでぼーっと萩原の帰りを待つ。


「あーちゃん、やっほ」

「うわ、出た」

「出たってなんだよ、出たって。いま帰り? 一緒に帰ろー」

「いま一緒に帰る人を待ってるの。ばいばい」


 ばいばい、と言ったのに、いきなり話しかけてきた男――(めぐる)は私の隣にどかりと腰を下ろした。身長が百八十センチもある男が隣に座ると窮屈だから退いてほしい。


 廻は家が近所だっただけの腐れ縁で、麻緒と同じ歳であるせいで今でも交友がある。私を見つけると、兄と一緒になって用事もないのにちょっかいをかけてくるのだ。

 たいてい二人一組で行動しているので構われることが多く、とてもめんどうくさい。

 面倒をかけられたり、泣かされたりした記憶しかなく、仲は良くても甘ったるい雰囲気になったことは一度もない。

 男友だち、というよりは、面倒くさいもう一人の兄、という感じだ。廻は精神年齢が低いので、弟かもしれない。


「なに、友だち? おれも混ぜてよお、三人で帰ろうよお」

「やだってば。待ってるの友だちじゃないし」

「友だちじゃないのに一緒に帰る……まさか! あーちゃんまで彼氏持ちかよ! おれだけ暇じゃん! まーちゃんも姉ちゃんとラブラブだし、うわあーまじかー」


 あーちゃん、というのはもちろん私のことで、まーちゃん、というのは私の兄である麻緒のことだ。


 家が近く、昔から家族ぐるみで仲の良かった私たち兄妹のことを、廻たち姉弟はずっとそう呼んでいる。ちなみに、麻緒と廻の双子の姉――(めぐむ)は、中学生のころから現在に至るまでお付き合いをしている。


 兄姉たちがいちゃいちゃしていても、私と廻のあいだにはまったくそんな空気が流れなかったのだからふしぎなものである。


「あーあ、あーちゃんまで彼氏といちゃつくのに忙しかったらおれは誰に遊んでもらえばいいんだよー」

「勉強でもすればいいじゃん。受験生なのに赤点取ってたら笑えないよ」

「おれはもう合格したのでお勉強しなくていいんですう〜、残念でしたあ〜」

「いや、合格してたとしても赤点は取っちゃだめでしょ」


 誇らしげな顔をしているが、どこを誇らしく思ったのか謎だ。

 廻が試験前に萌と麻緒に泣きついているところは何度も見たことがあるので、高校最後の試験で赤点を取らないか心配になってきた。私が心配することではないけれど、麻緒にお願いして勉強を見てもらったほうがいいんじゃないだろうか。


「来年からは麻緒も萌もいなくなっちゃうのかあ、さみしいな」

「お、あーちゃんも一丁前にかわいいところあんじゃん。さみしがらないで、おれはずうっとあーちゃんのそばにいるよ」

「……浮気?」


 その声にぱっと振り向けば、廻のすぐ隣に萩原が立っていた。その顔はどこか不機嫌そうで、走ってきたからか息が上がっている。「浮気」の三文字が聞いたことのないくらい棒読みだった。


 誰が誰と浮気? と思考を停止させていると、廻がいきなり立ち上がった。


「なんでいきなり修羅場!? ごめん、あーちゃんで暇つぶしてただけ! お邪魔虫は帰ります! あとはお熱いお二人で! ね!!」


 廻は言うだけ言って、ぴゅんと音が出そうな勢いで走り去った。 抱えていた萩原のリュックサックを持ち主に返して「帰ろ」と言うと、「おうよ」と頷いてくれた。


 浮気――うわき? 状況的に言えば私と廻のことなんだろうけれど、なぜ萩原がこんなに怖い顔をするのかがわからない。

 私の隣を歩く彼は、今も口を真一文字にしている。何もなくてもたのしそうにしている人なのに、私と廻が話しているところを見たせいなのだろうか。


「あの……」

「ん」

「さっきの、浮気? ってどういう意味?」

「……離れるのがさみしいとか、いつもそばにいるとか……かわいいとか、言ってたし言われてたじゃん」


 微妙なところから聞いていたらしい。離れるのがさみしいのは麻緒と萌のことで、廻は数に含まれていない。いつもそばにいるだのかわいいだのは、廻特有のおふざけだ。

 深い意味なんてないし、心もこもっていない。


「さっきの、麻緒の恋人の弟で、ちっちゃいときから知り合いなの」

「あー、麻緒くんと一緒にいるところ見たことあるかも」

「でもほんっとになんにもなくて、もちろん初恋だったとかもありえないし、さっきのはあれ以外の二人と会えなくなるのがさみしいって話してたの。そのほかは思い出しただけで……うう、みて、鳥肌」


 気持ちが悪くて鳥肌が立つって相当だろう。長袖をまくって萩原に腕を見せれば、彼は「ほそ」とつぶやいて、そのままするりと私の手を取った。


「手ぇつなぐのは?」

「は、萩原がはじめてだよ」

「ほんとに? ちっちゃいときから数えても?」

「廻より萌ちゃん……あれのお姉ちゃんとのほうが仲良いもん。萌ちゃんと麻緒が付き合ったときは泣いて暴れたぐらい」

「めぐる……あーちゃんって呼ばれてた」


 萩原がまたしても黙り込んだ。つながれた手をぎゅうっと握られたあと、ぶらぶら前後に揺らされる。その横顔は、何か考え込んでいるようにも見える。


 私の勘違い、ではないようだ。萩原は私と廻の様子に思うところがあって、だからいつもより少しだけ不機嫌なのだ。

 手をつないでいることにもそうだけれど、一番は萩原にいやな思いをさせていることに動悸がしてきた。うれしいどきどきといやなどきどきが同時に起こって、胸が変な音を立てている。


「……あやちゃん」

「う! は、はい」

「綾ちゃん」

「ふ、へへ、なんでしょう」

「俺より仲良い奴いるんだ、ってちょっとだけもやっとしたけど、今から仲良くなればいいんだし、というわけで綾ちゃん」


 萩原が立ち止まったので、向かい合わせになる位置に立つ。彼は身長がそんなに高くないので、頑張らなくても目線が合いやすくてうれしい。


 ひゅう、と風が吹いて、私の短い髪がぱらぱら揺れる。彼が私の耳に髪をかけたときに一瞬だけ耳朶に指先がふれ、そこからじわじわと熱が広がる。

 冬のせいかもしれないけれど、萩原の白い肌が少しだけ赤く染まっていた。私も同じ顔をしているんだろうか。同じだといいな、と思う。


「俺のことは?」

「う、……右京?」

「よし。今度デートしてくれる?」

「いいの!? やったあ。もちのろんだよ」

「用事がないときは一緒に帰ろ」

「右京が友だちと遊ばない日は帰りたい、です」


 しっかり目を合わせながら言うと、ふいに右京に左腕を掴まれる。わあ、と間抜けな音が口から漏れた。やわらかく抱きしめられたが、身体は女の子のものとはちがっていて、胸がどこどこぎしぎしと音を立てる。

 ひと気はないとは言え路上だし、誰が見ているともわからない。やられっぱなしはなんだか癪なので、私も抱きしめ返してからそっと離れた。


 右京はなぜか自分の心臓のあたりをどん! と握りこぶしで殴った。どうしたの? と訊いても「なんでもない」と返される。


「どきどきしすぎて心臓いてえ」

「こちらも同じくですよお」

「綾ちゃん、余裕そうな感じがする。……手慣れてる?」

「いちばん手慣れてそうな人が! なにを! 慣れた手つきで抱き寄せたくせに!」

「こっちだってはじめてだから! こんなの! どきどきだっつうの!」


 いやな思いをさせてごめんね、と言う暇もないほどに右京が素早く気持ちを切り替えたので、私も何も言わないでおいた。


 付き合っていくということは、こうして二人にまつわる関係や価値観をできるかぎり共有して、すり合わせていくのが大事なのだろう。

 廻と私の仲が良いのは悪いことじゃないし、廻と縁を切ることも、逆に右京と付き合うのをやめることもちがうように思える。


 何が好きで、何が嫌いで、何がうれしくて、何がいやなのか。何を一緒に決めて、何をひとりで決めるのか。相手にどこを合わせて、どこを譲らず大事にするのか。


 さきほどの不機嫌がうそだったみたいに、うれしそうに右京は隣を歩いている。彼と手をつないでいられるのなら、どこまでだって歩いていけそうだと思った。


 私にできるのは、ぴかぴかひかる太陽みたいな人をこの手の中に捕まえておくこと、大変なことがあってもこれだけは惑わない、と心に決めておくことだけだ。


「右京、手ぽかぽかだよね」

「綾ちゃんが冷えすぎなだけ。大丈夫? 寒くない?」

「冬は手と足だけひえひえになっちゃうんだよねえ。寒くはないんだけど」

「俺が綾ちゃんの手をあたためる係に就任しよう」


 右京がふざけたように言ったので、二人でくすくす笑う。

 私の太陽は、やっぱりこの手の中にあるらしい。


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