エルフ狩り
草原短命エルフの少女パティ・ファスト・サラーティは、憔悴しきっていた。
彼女の長く尖った耳は、持ち主の絶望と虚無感から力なく垂れ下がったままだった。
彼女の家族が人間の奴隷狩り隊に襲われたのは、三日前のことである。
ボルクン島の〝草の大海〟を、渡河している最中だった。パティは家畜の足長羊の背に揺られ、黒麦パンのチーズサンドをかじっていた。前の足長羊に跨っている父親が、デザートがわりに乳飴を投げてよこした。彼女は十秒ほどなめると、後ろの羊に乗る弟に投げた。弟はなめたあと、さらに後ろの弟に投げる。
だが、弟が飴を掴むことはなかった。どこからともなく飛んできた矢が、彼の体を貫いたのだ。弟の身体が鞍からずり落ち、背の高い草の中に転落する。
弟のさらに後ろを進んでいた妹が悲鳴をあげた。
どこに潜んでいたのか、八本足の馬蜘蛛が草の中から飛び出し、その背に乗っていた人間が羊に飛び移って妹を羽交締めにした。
父が毒づきながら弓矢を取り出したが、一本目の矢をつがえる間もなく、降り注いだ矢に蜂の巣にされた。
そこからの記憶はほとんどない。母親が人間の男たちに襲われ、パティもなぶりものにされた。彼女が殴る蹴るの暴行を受けていると、あとからやってきた大男が彼女に乱暴していた小男を蹴り飛ばした。
大男は手に持っていた弓矢を置き、彼女の肩を優しく抱きしめると「馬鹿野郎!商品を粗末に扱う奴があるか!」と手下ちちを怒鳴りつけた。
大男は血を流しているパティの股に手を当てると、朗々と詔を唱えた。彼女が感じていた股間の痛みが瞬く間に和らいだ。人間が奉る悪魔の力、魔法だ。
大男は微笑んだ。
「これで処女に戻ったな」
パティは縛り上げられて、馬蜘蛛で港まで運ばれ、そこからガレオン船で海を渡った。
大陸の港で鉄格子付きの馬車に乗せ替えられ、街道を半日。やがて、鉄格子の向こうに同じような奴隷を乗せた馬車が何台も現れた。
パティは檻から出されたあと、石造りの巨大な館に引っ立てられた。あとから知ったことだが、ここは奴隷市場だった。彼女は、市場の小間使いたちの手で乱暴に洗われたのち、裸のまま板張りの大部屋に放り込まれた。
周りには同じように奴隷狩りに連れて来られた亞人種たちが、同じように暗い目をして座り込んでいた。
部屋には窓はなく、灯りとなるのは、天井で揺れているひび割れたランタンが一つきりだった。燃料の獣脂が燃える臭いが鼻をつく。
彼女の隣で、双子と思しき獣耳の少女が啜り泣いていた。
「わたしたち、どうなるの?」
蛇のような肌をした年嵩の少女が「さっきからぐちぐちうるさいよ!」と毒づいた。「そんなに知りたきゃ教えてやるけど、娼館行きだよ。運が良ければね。娼館なら幸運さ。病気で死ななきゃ、自分を買い取るチャンスもある。売値の倍額用意すりゃ自由さ。性奴隷なんかもまだマシ。最悪なのは、心臓や腎臓を取られることだよ。あたしら亞人の臓器は頑丈だからね。寿命の尽きかけた人間の老人たちからすりゃ、それこそ涎が出るような代物なのさ。いるんだよ。人間のなかには、処女の心臓を欲しがる変態がね」
双子の少女たちが、ひいいと泣いた。
数刻後、どこか遠くで太鼓の音が響いた。
さきほどの蛇肌の少女が「市が開いたみたいだね」と呟いた。
亜人たちは一人、また一人と大部屋から連れ出され、戻ってくることはなかった。
パティは最後の一人となった。
巨漢の人間の男二人が、彼女の両腕を掴み、ぐいぐいと引きずり、廊下を歩かせた。床板が不気味に軋む。
やがて、唸りと拍手のようなものが聞こえ始めた。
大勢の人間の喚き声、怒声が床を震わせる。
誰かの声が響き渡る。
「さあ、280だ!290ないか?290ないか?290ないか?」
鐘の音。
「落札! こちらの蛇女は娼館〝トカゲ屋〟様がご落札です!」
わっと歓声があがる。
「さあ、いよいよ、本日最後の商品です。草の海はフィヨデシオ育ちの草原エルフの少女です。その肌は冷涼山脈の雪のように白く艶やかで、瞳は翡翠のような緑、髪はまさに黄金のごとし。体のあらゆる部位が宝石のような美しさといえましょう。そして、もちろん処女であります!」
巨漢二人が「行けよ!」と小声で呟き、パティは舞台袖から押し出された。
四方からの光が、彼女の裸体を照らし出す。
欲望に満ちた数百の視線が、情け容赦なく少女を刺した。
パティは手の平で胸と股間を必死に隠した。
舞台から見て一番手前に座っていた老人が「うひ!うひ!」と喚きながら身体を震わせた。
一瞬の沈黙ののち、場が沸騰した。
「過去十年で最高の品じゃないか!?たまらんなあ」
「くそ、こんな上玉なら一晩中、いや三日三晩は楽しめちまうぞ」
「彼女の顔が苦痛に歪む様を想像してみろよ」
下卑た感想が宙を飛び交う。
と、舞台から見て左後方に座っていた客たちが不自然にざわついた。
扉から誰かが入ってきたのだ。
パティの位置からは、よく見えないのだが、人影からしてとてつもない大男だ。身長が高いだけでなく、横にも広い。
観客たちの声が聞こえた。
「見ろよ。ありゃ、グンガル・ダゴン・バリバディだ」
「先週、西の大陸から引っ越してきた大商人様かい。それにしても、なんて醜さだ。ゴブリンとオークの合いの子だって噂は本当かもな」
「西の大陸で非道を尽くしすぎて、追われて来たんだろう? 亜人の女を百人以上なぶり殺してるって聞いたぜ?」
「いや、人間の少女を集めて人間牧場を作ったんじゃなかったか? 人間豚にした女たち全員に自分の子を産ませたとか」
「俺は、買った奴隷を煮込んで食っちまったって聞いたぜ。子供の肉にはゴルマー大丘陵の赤ワインがよく合うといったとか」
司会の男が大声を張り上げた。
「さあさあさあ!みなさま、奮って競りにご参加ください!まずは100ギルダー」
パティは己の部族の守護霊に祈った。
お願いですから娼館に競り落とさせてください。
グンガル・ダゴン・バラバディだけはやめてください、と。
だが、部族の守護霊は、奴隷狩りたちに襲われた時と同じでひたすら無力だった。
グンガルの巨大な影が指を立て、雷鳴のように轟く声でいった。ヒキガエルの断末魔のような醜い声。
「1000ギルダー」
競りは一瞬で終了し、同時にパティが自由をある術は消えた。奴隷が自らを買い取る際は、主人が購入した時の倍額が必要だ。しかし、2000ギルダーは普通の市民が一生かけてようやく稼ぎ出せるほどの金額だ。
大騒ぎの競り会場のなか、グンガルの嫌らしい笑い声が響いていた。