#013 幕間・私の姉さん ①
――私の姉さんは天才です。
「今日からこの子が貴女のお姉さんよ」
突如母親から放たれた言葉を今でも私は鮮明に覚えています。
私が姉さんと出会ったのは6年前です。
当時9歳だった私は、子どもながらに突然出来た「姉」という家族内の異分子的存在に受け入れがたい感情を持っていたのを覚えてます。
後から説明されて分かったのですが、姉さんはお母さんの姉の子で、私と姉さんは正確には従姉妹という関係でした。
「姉の両親が事故死してしまい、その子をうちで引き取ることになった」というのを、9歳の私にお母さんは説明しにくかったのだと思います。
突然出来た「姉」という存在。
私生活に紛れ込んだ異物感。
当時の姉さんは、その頃から「自称・吸血鬼の真祖」ではあったものの、自分に自信が無く、常に何かに怯えている、そんな様子でした。
それに、自分で言うのは何ですが、あの頃から私は何でもそつなくこなせるだけの能力を持っていました。
そんな私からすると姉さんは正直「どんくさくて痛い子」という印象しかありませんでした。
当時周囲の大人たちから「天才だ」と褒めちぎられていた私は、姉さんを子どもながら無意識の内に見下してしまっていたのだと思います。
そんな私のイメージが伝わったのでしょうか、当時の私たち姉妹の仲は険悪とまではいかないものの、どこか今以上に距離がありました。
姉さんの印象が大きく変わったのは、姉さんが家に来て2年が過ぎた頃でした。
お母さんに頼まれ、姉さんと二人で買い物に出掛けていた蒸し暑い夏の日。
私たちはお互いに無言で商店街を歩いていました。
ガシャン!
突如破砕音が正面から響きました。
一瞬だけですが、何らかの落下物が目の前に落ちてきたのが見えました。
「――ッ!」
姉さんが私を突如押し退け、手で何かを払いのけるかのような動きをしました。
驚いた私が姉さんの方を見ると、真っ赤に血を流す右手を押さえて、涙を流しながら踞ってるのが見えました。慌てる私は姉さんの真下に落ちている「それ」を見つけて、ようやく事態を把握しました。
砕け散った植木鉢。
私たちの近くの民家二階のベランダからおろおろした様子の男性がこちらを見下ろしており、慌てて階下へとかけ降りてくるのが見えました。
恐らくあの男性が誤って植木鉢を落下させてしまったのでしょう。
それに気がついた姉さんが私を庇って、砕け散った破片を手で払いのけたのだと。
姉に対する心配や恐怖、感謝ももちろんありましたが、その時に私が一番感じていたのは「驚き」でした。
目の前に突然植木鉢が落ちてきて、砕け散った破片を手で払い除ける。
そんなことをして見せた姉さん。
私は運動神経にだってかなり自信がありますし、視力も2.0あります。
しかし飛翔してくる破片を認識して、それを手で払い除けるなんていう芸当は絶対にできないと断言できます。
植木鉢を落とした男性が呼んだのであろう救急車のサイレン音を聞きながら、身を挺して私を庇ってくれた姉に深い感謝の念と、尊敬の念を抱いたのはこの時でした。
あとで色々と姉さんで実験してみて分かったのですが、姉さんは空間認識能力、「視る」という力が平均と比べてはるかに高いようです。
植木鉢の破片を払い除けられたのも、文字通り破片が「見えて」いたからのようです。
おやつを食べている姉さんに向けておもいきりボールを投げたり、無言でチョップを食らわせようとしていたら怖がられるようになってしまったのは少々誤算でしたが……。
日常においてそのような能力を発揮する場なんてそうそうありませんし、姉さんは自身の特異性に気が付いていません。
というか、現実の姉さんは「真祖」なんて拗らせているのに、自己評価が低すぎます。
正直姉さんは「視る」という能力と、その見た目以外のスペックは、贔屓目に見てもかなり低めです。
運動神経は何もないところで突然転ぶレベルですし、勉強だって年下の私に「分からないのじゃあぁぁ」と泣きついてくるレベルです。
まぁそんなところもクッッソ可愛いですし、役得でしかないのですが。
――失礼しました。姉さんが可愛くてつい品の無い言葉遣いをしてしまいました。
話を戻しましょう。
私は周囲の人から天才なんて言われていますが、あくまでも反復の練習さえこなせば後天的に身に付けられる技術に過ぎません。姉さんのような本当の天才とは違います。
私としては姉さんに、早くその能力に気が付いてもらって、低い自己評価を改めて欲しいのですが。
残念なことに私は度重なる実験のせいで姉さんにかなり警戒、というより距離を置かれていました。
解せません。こんな可愛い妹から逃げようとするなんて……。
そこで私が考えた作戦がこうです。
「姉さんをENOの世界に引きずり込む」。
戦闘のあるゲームなら姉さんの目が活かせる場が多いだろうと思ってのことです。
ENOを選んだ理由は一つ。
種族に「吸血鬼」が存在しているということにつきました。
戦闘のあるVRゲームはたくさんありますが、吸血鬼という釣り餌があるゲームはそれほど多くありません。
ネットサーフィン中に偶然見つけたENOのβテスター募集。
どのようなゲームか下見をするためにも、私はβテスターとして、応募をしました。
―――
姉さんの為だけにENOのβテスターとして参加していた私ですが、気が付けばENOの世界の楽しさに魅了されていました。
自覚はありませんでしたが、「天才」としてのレッテルを貼られた私は、常に一定の結果を出すことにもしかしたら少し疲れていたのかもしれません。
ENOでの自由に振る舞えるという心地よさは、非常に楽しいものでした。
気が付けば最前線プレイヤーなんて呼ばれるほどにこのゲームをやり込んでいました。
姉さんのことだからゲームを始めたら絶対に「吸血鬼のカッコいい我を見て!」と配信を始めるでしょうから、先に配信を始めて色々と学んでおきましょう、と始めた配信も気が付けば登録者数No.1のチャンネルとなり、視聴者との触れ合いもかけ換えのないものとなっていました。
当初は「姉さんに目の良さを自覚してほしい」という気持ちから始めたこのゲームでしたが、純粋に「この素敵な世界を楽しんでほしい」というものに気持ちが変化していきました。
ENOは正式サービス開始に向けてのテレビコマーシャルを放送していました。
コマーシャルの中では種族クエストにおける重要な吸血鬼NPC、「シルディア」という少女が登場します。
金髪のゴシックドレスに身を包んだ、本当の真祖。
姉さんがよく話している「妖艶な女吸血鬼」からは少し離れていますが、釣り餌としては十分でしょう。
ENOのコマーシャルが流れるチャンネルは決まっているので、私はコマーシャルが放送されてからはそのチャンネルを固定するために、テレビのリモコンを離しませんでした。
「美央!わ、我の触れ合い動物園24時が!触れ合い動物園24時が終わってしまう!チャンネルを変えるのじゃ!早く!」
なんて声が聞こえてくる気がするけど、きっと気のせいでしょう。
しばらくして姉さんは私の思惑通りENOを始めた。
チョロい姉さんは可愛いですね。
―――
私がゲーム内の姉さんを初めてみたのは、リーフラビット戦の初配信の時でした。
情報収集のために掲示板に張り付いていたら、「真祖を名乗る少女」の話題が上がっていたのです。
どうやら配信しているらしく、URLも貼り付けられていたのですが……完全に姉さんのことですよね、これ。
配信を確認しにいくと―――そこには天使がいました。
いや、吸血鬼なのですけど。
ん~~~~!!
銀髪になった姉さん、可愛すぎません?
黒髪の姉さんも最高ですが、銀髪もいつもとギャップがあって可愛らしいです。
スクショとらなくてはなりませんね。
私の「姉さん可愛い写真集」のフォルダがまた増えてしまいます。
コメントもしておきませんと。
『かっっっっわ!』
はい。これで良いですね。
私が清楚なコメントをしているうちに、配信では姉さんがリーフラビットと戦闘を始めていました。
斧をぶんぶん振り回す姉さん、マスコット感があってかわいいですね。
リーフラビットの突進攻撃を回避して倒す姉さんの姿が画面に写ると、コメント欄が一気にざわめきはじめます。
『え?』
『まじ?』
『うそやん』
『は?』
『なにいまの?』
『よけた!?』
視聴者が驚くのも無理はないでしょう。
ENOというゲームにおいて「回避」という概念は基本的に存在しません。
なぜなら限りなくリアルに近い戦闘で敵の攻撃を避ける、というのは非常に困難だからです。
現実世界において、相手の繰り出すパンチを避けられる人がどれだけいるでしょうか。
ENOで行われる戦闘はそれと同じです。
もちろんレベルを上げればステータスも上がり、キャラクターの敏捷性を鍛えれば、回避はしやすくなるかもしれません。
しかしレベルアップで上げられるのは肉体能力にすぎません。
プレイヤーの動体視力や空間認知能力を上げることは当然出来ないのです。
敵の攻撃速度を「プレイヤーが見て回避できる速度」にすると、敵の攻撃時だけやたらスローモーションになるという、チープなゲームになってしまいます。
「第二の現実世界」がテーマのENOではもちろん敵も、スローにはならずに襲いかかってきます。
なので基本的にプレイヤーが敵の攻撃に備えてとれる選択肢はあまり多くありません。
「盾や武器、魔法による防御」、「受け流し」、「そもそも敵の攻撃範囲に入らない」
その中に当然回避は含まれません。
回避が可能だとすれば、「プロボクサーなどの戦いと回避に慣れた人物」、「相手の行動とモーションを知り尽くした超絶廃人」、そして姉さんのような「並外れた動体視力の持ち主」だけになりますが、姉さん以外で回避ができるプレイヤーなんて、最前線にも殆ど居ません。
当たり前のように攻撃を回避して見せる「初心者プレイヤー」にコメントがざわつくのも当たり前でしょう。
ふふ、やはり私の見立ては間違っていませんでしたね。
そろそろ頃合いかもしれません、姉さんにパーティーのお誘いをしてみることにしましょうか。
澪音視点のお話です。
一話にまとめようとしていたのですが、つい楽しくなってしまい2話構成になりそうです…。




