29 別れの挨拶
「貴方へ伝えておくことがあります。
サーシャちゃんを人質として認識することを止めることにしました。
また、私はもう此方へは姿を現すこともありません」
狩人が狩りを終えて自分の家へと帰って来た時に、龍の雌は狩人に対してそう告げた。
「ちょっと待ってくれ。
一体何があったんだ?」
「ヴィーヴルとサーシャちゃんが思いのほか仲良くなったので、人質とする必要がなくなっただけですよ。
まさか、サーシャちゃんの友達であるヴィーヴルの事を売ったりはしないでしょう?」
「そりゃ……そんな事をしたら、サーシャに一生恨まれちまうだろうしな」
「ですから、私も人質として認識する必要がなくなったという事です」
子供同士が仲良くなったことにより、狩人は子供を悲しませるようなことをするような親ではないと認識した龍の雌は、狩人親子への対応を大幅に軟化させていた。
「それは分かるが、此処へは来ないって言うのはどういう事なんだ?」
「私達は前の場所とは違う、新しく住む場所を見つけました。
ヴィーヴルとサーシャちゃんが仲良くなったこと、新しい場所に引っ越したということで、近くに居て見張る必要が無くなったのです」
「それなら、サーシャとヴィーヴルが遊べなくなるだろ? せっかく仲良くなったのに……」
狩人は狼狽えていたが、龍の雌は冷静な言葉を返した。
「ヴィーヴルには、瞬間移動の魔法を教えてあります。
瞬間移動で此処には遊びに来られますし、サーシャちゃんを新しい住処に連れて来ることも出来ます。
私がこちらに来なくても、今までと変わらない生活が出来るのです」
龍の雌は、近いうちにヴィーヴルを置いて行かなければならないが、そのことを狩人には知られたくはない。
何故なら、龍の雌が姿を見せなくなったとほぼ同時期に龍が現れたなんてことをしてしまっては、狩人が気づいてしまうかも知れない。
姿を見せていないだけにしておけば、多少は狩人の目を欺くことも出来るだろう。
自分たちは龍族であることだけは、どうやってでも秘密にしておきたい事柄なのだから……
今の狩人ならば、自分とヴィーヴルが龍族であることは打ち明けたとしても、秘密にしてくれと頼めば了承してくれるだろう。
だが、分かっていないのなら、そのまま知らないでいる方がより良い状態だということは間違いない。
それならば、少しでも分かりにくくするべきだと思う。
「じゃあ、もう会えないのか?」
狩人の男が寂しそうに呟く。
「はい、その方が宜しいと思います」
龍の雌の『ここに来ない宣言』の理由の一つは、これだ。
狩人の男は、自分に好意を寄せてきていると思わせることがあった。
だが、雌の龍としては他種族である狩人に特別な感情を持つような気もなかったし、まだ、心の中には龍の雄が住み着いている。
遠くない未来に、その龍の雄の仇を討つつもりでいるのに、好意を寄せられても邪魔でしかない。
それならば、物理的にも距離を置いた方がお互いの為でもあろう。
「それでは、お元気で」
龍の雌は、サーシャを狩人の男へ預け、ヴィーヴルと共に住処へと瞬間移動して姿を消した。




