春日涼水の異世界屋台と現地従業員(3)
「帰る方法?」
「知りませんか?」
キョー助に聞かれて紅生姜の補充を終えた赤城は視線を宙に投げる。
「この世界についてはそれなりに詳しいけど……」
「てっきり春日が知っていると思ってたんですが」
「オーナーが?どうして?」
「それは……」
赤城は春日の力を知らないらしい。キョー助は余計なことを言わないことにした。
「魔王を倒したら帰れませんか?」
「それは無い。世界が平和になるだけさ」
短く答えた赤城の言葉と表情は冷え冷えとしていて、キョー助は小さな砂を噛んだような異物感があった。
「帰りたいのか?」
赤城の冷えた声に、キョー助の返事が「そりゃあ、まあ……」と片言になる。
「あっちにやり残したことがあるのか?」
「いや……」
「女とか?」
「そうだといいんですけど」
「ここにいればいいじゃないか。こっちは自由だぞ」
「自由、ですか?」
「あっちでは努力は何も保証しないが、ここでは手順を踏めばなんでもできる。欲しいなら永遠の命なんてのも手に入る」
キョー助ははっとした。ずっとこの世界にいるなんて考えもしなかった。
たしかに現実の世界に帰ればいずれ必ず死んでしまうが、ここにいれば死なない。生き続けたいと望むなら、生き返る必要がない。
でもその選択肢には言いようのない気味悪さがあった。
「赤城さんは自由なんですか?」
「もちろん」
「でも魔王を倒したら、その後はどうするです?」
そのとき赤城は異様に目を見開いてキョー助を見た。まるで眼の前に悪夢が現れたという顔だった。
キョー助が驚いていると、赤城は背を向けて「その時に考えるさ」と硬い声で言った。そして春日の方を見ると、一転明るい声で聞いた。
「今日は店じまいだな。明日の仕込みどうする?」
「仕込みはいいわ。屋台は今日でおしまいよ」
「え?」
赤城の理知的な顔が滑稽に崩れた。何が起きたのか理解できないでしばらく立ち尽くしていたが、やがてつばを飛ばして春日に詰め寄った。
「屋台をやめのか?」
「ええ」
「なぜだ?ここまで一緒にやってきたのに」
春日はキョー助の後ろ髪を掴んだ。
「こいつが見つかったからよ」
赤城がキツくキョー助を睨む。
「さあ、片付けましょう」
春日は腕まくりをして洗い物を積んでいく。キョー助も春日にどやされないようにさっさと動き出す。立ち尽くしていた赤城がゆったりと春日に言った。
「最後にオーナーのたこ焼きを食わせてくれないか?」
洗い物を抱えた春日はすこし驚いたようだったが、「いいわよ」と笑顔でいうと、鉄板の前に立ち、残っていた生地を流し込んだ。
赤城はじっと春日の後ろ姿を見つめている。
キョー助はそれを横目で見ながら手を動かす。
「はい、お待ちどおさま」
春日がたこ焼き一人前を赤城の前に出した。見ていたキョー助の腹が派手に鳴るが、春日が「あんたの分はないわよ」と釘を刺す。
赤城は両手でたこ焼きを受け取り、大口を開けてたこ焼きを頬張り、ゆっくりと味わう。そのときキョー助は、赤城の手首にかけられた教会の護符が血の色に光るのを見た。
キョー助が片付けを再開し調理台を拭き上げ始めると、後ろでガラガラガラと食器が崩れる大きな音がした。
驚いてみると、洗い物が散乱し、そのなかに春日が倒れていた。58歳のお嬢様のときのデジャブだ。
凶事の予感にキョー助が春日に駆け寄り頬を叩く。
が、意識が無い。息も止まっている。キョー助の全身が粟立つ。
赤城は立ったままゆっくりと口を動かし、たこ焼きを味わっている。お嬢様のときのように春日のことが目に入っていないのか。
いや違った。赤城はキョー助を、意識のない春日をはっきりと見下ろしていた。
キョー助は深呼吸をしてから、赤城を睨む。
「何をした?」
赤城は食べ終わった舟皿をゴミ箱に入れて答える。
「債権の取り立てだ」
「債権?」
「いままで屋台で働いてきた対価を払ってもらったんだ。この5年分のをな」
「は?5年?」
「そうだ。5年間俺たちは一緒にこの屋台をやってきた。それがお前が現れたから今晩で終わりだという。だからいままでの俺の取り分を、いま強制的に支払ってもらったんだ」
春日はキョー助の腕の中でどんどん冷たくなっていく。
「それでなぜ人がこうなる?」
「古代では金が払えないやつは奴隷にされた。それは誰かのモノになるということだ。そしてモノと死体は区別できない」
「人間はモノじゃない」
赤城は手首にかけた黒い教会の護符を見せた。
「俺はそういう魔法を作った。この護符は買い物のフリーパスであって、同時に人を強制的に所有物にする鎖だ」
「人間をモノ扱いするのか?」
「人間をモノ扱いするのが人間だ」
赤城は春日に手を伸ばした。キョー助がその手を思い切り叩き落とす、と、赤城はキョー助の腹に蹴りをめり込ませた。
キョー助は口から胃液を吹き出し、体ごと調理台に叩きつけられる。
赤城は横たわる春日をそっと両手で抱きかかえた。
「かっ……を、どう……がはっ!」
地べたに這い絶え絶えに叫ぶキョー助。赤城はそれを無視して背を向けた。
キョー助が落ちていた包丁を握り片膝を付いて意地尽くで立ち上がった。
その瞬間、雷光がキョー助を貫き轟音が大気を裂いた。キョー助は己の脂肪が焼ける臭いのなかで倒れ、蛙のように痙攣する。
「俺の戦闘力は53万でお前は5。それは喩えじゃない」
赤城はそう言い残すと春日を抱いたまま、まだ止まない喧騒の中へと消えていった。




