押し問答②
「ちょっ! それは流石にマズイ……あれ?」
俺は直ぐに彼女の体の異常に気づいた。彼女の左胸の奥から響くはずの微かな鼓動が、俺の手には感じられなかった。脈打つ生命のリズム。心臓の鼓動が彼女には無かったのだ。
「これでわかったでしょ? あたしが人間じゃないって事が」
顔を紅潮させるわけでも恥じらうわけでもなく、彼女はそう言った。俺は彼女の胸から離れた手を痛いほど強く握る。俺の手の感覚が麻痺しているわけではない。信じがたい事ではあるが、どうやら本当に心機能が停止しているようだ。
「驚いたな。吸血鬼なんて物語の中だけの存在だとばかり思っていたのに」
「あら奇遇ね。あたしも同じこと考えてたのよ。あなたみたいな人って、フィクションじゃなかったのね」
「な、何がです?」
「足音を一切立てずに歩く人間に出会ったのは、これが初めてよ」
心臓が飛び出るほど仰天した。まさか気付かれるとは思わなかった。幼い頃からのクセで、意識しないと歩く時に足音を消してしまうのだ。
都会に来て自分では治ったと思っていたのだが……いや、今はそれどころではない。一体どういうつもりだろうか。彼女は先ほどのサーベルを手に取り、鞘から抜くと俺に切っ先を向けて構えた。うおっ、目が刺す気満々じゃないか。
「今度はあたしに確かめさせて。あなたが何者なのか」
勢いよく床を踏む音がしたかと思えば彼女は俺の心臓目掛けて何の躊躇も無く凄まじい突きを放った。普通なら串刺しになってご臨終。だが、俺も彼女ほどレアではないが〝類い稀な存在〟なのだ。
「へえ、お見事」
サーベルの切っ先に俺の死体は無い。あるのは俺がさっきまで着ていた薄手の上着一枚が、洗濯物を干すように刺さっていた。俺はと言うと、シャンデリアの上に足を引っかけて宙ぶらりの状態で息を整えていた。
「あ、危ないだろ! 死ぬかと思ったわ!」
「こんな芸当が出来るのに、それはないでしょう」
相手の攻撃が当たる寸前で自分の衣服を素早く脱ぎ、瞬時に身代りに仕立てる護身術。所謂『空蝉の術』というやつだ。
「あなたが只者じゃないって事はよくわかったから、早く降りて来なさい。それと、コレちゃんと片付けてよね。誤ってお客様が踏んづけたら大変だから」
彼女の言うコレとは、俺が頭上のシャンデリアに跳び移る際に彼女の周りにばら撒いた撒菱の事だ。地元である甲賀の里秘伝の痺れ薬を塗り込んである為、踏んだらしばらく足の感覚が麻痺して歩けなくなる代物なのだが、この薄暗い中で黒い撒菱をよく見つけられたものだ。吸血鬼の名は伊達じゃないといったところだろうか。
俺はシャンデリアにかけている足を外して一回転しながら降り、落ちている撒菱を拾う。しかし、自分で撒いた撒菱を拾うなんて情けないったらありゃしない。地元の連中には絶対見られたくない光景だ。
「お客様って、誰か来るの?」
「今から三時間後に開店なのよ。それまでに色々準備しないといけないの」
「ごめん、サッパリ話が見えないんだけど……」
「あなた気付いてなかったわけ? ここ、あたしの経営している洋菓子店なのよ」




