ふうと酔っ払い姫
強烈な出会いから一晩が明けた。
「あのヒト、どうなったかなぁ」
早朝、私はボヤきながら庵の外に出る。
するとそこでは、地面に蹲って頭を抱えた女性が、何やら低い唸り声を上げていた。このヒトの名前は……そうそう、確か紗夜さんだったかな。
「うぅぅぅぅ……うっぷ」
「大丈夫?」
私が声をかけると、紗夜さんはサッと顔を上げてこちらを見た。すっかり血の気が引いた顔で、唇も青白くなっている。これは大丈夫なのかなぁ。
「うぅ……あなたは、狐のケモノビト……?」
「ふうと言います。あなたは紗夜さんだよね。昨日はずいぶん飲んでたみたいだけど」
「紗夜、でいいわ。ごめんなさい、昨日の記憶が全然なくて。ところで、なんで私は畳ごとこんな山中に移動してるの?」
「いや、それはこっちが聞きたいよ」
どうやら、昨日の醜態はぜんぶ忘れたらしい。
都合のいい頭してるなぁ。
「とりあえず、お水持ってくるね」
「悪いわね。ついでに朝ご飯もご一緒していい? 軽いものだと嬉しいわ」
「うわあ……まぁいいけど」
ずいぶん遠慮がないんだなー、なんて思っていると。
ぎゅるるるるるるるるるるる。
紗夜のお腹から、鬼の唸り声のような轟音が鳴り響いた。相当お腹が減っている様子だ。なんだかほんのり顔を赤くしてるけど、そこは恥ずかしがるんだね……。変なヒトだ。
雑穀の粥をズルズルと食べ尽くした紗夜は、粥椀を床に置くと丁寧に手を合わせた。
「ぷはー、ご馳走様でした」
「こんなんで良かった?」
「最高の高よ。飲んだ翌朝に粥なんて、わかってるじゃない。ふう」
「いやーたまたまだよ」
本当に気を使って用意したわけじゃないから、そんな風に褒められても困る。
私の隣では、銀次郎がニコニコと笑いながら粥を啜っていた。相変わらずのん気だなぁ。姉としては、外から来たヒトにはもっと警戒してほしいところなんだけど。
「……ところで、紗夜は陰陽師なの?」
「ほえ? どうしたの、突然」
「だって、昨日は畳を飛ばしてここまで来てたし。それにさっき、朝食をとりながらこっそり式神を放ってたよね。バレてないと思ってたの? わざわざお山に来て、式神を使って、何を企んでるのかなーって」
問いかけながら、私は自分の周りに青い火の玉を三つほど浮かべる。事と次第によっては、彼女を全力で焼き払う必要があるだろう。お山のヌシとしても、銀次郎の姉としても、彼女をこのまま捨て置くことはできない。
「素直に話せば、悪いようにはしないけど」
私が仄暗い覚悟を決めて睨みつけると、紗夜は顔色を悪くし、慌てたように少し後ずさりした。
「あー待って待って……うーん、なるほど。それで警戒させちゃってたのかー。うわーどうしよう」
「私も手荒な真似はしたくないの。三つ数えるうちに無駄口をやめて、ここに来た理由を洗いざらい話し始めてね。一つ……」
「待って待って。私もちょっと状況を掴みきれてなくて」
「二つ……」
「あーわかった、わかったから! えっと、まず陰陽師なのは私じゃなくて、私の父親なの。私は見様見真似で陰陽の術を覚えただけで、それでね――」
そうして、紗夜は早口で話し始めた。
どうやら彼女は賀茂の分家のお嬢さんらしく、幼い頃から人ならざるモノに関わって暮らしてきたのだとか。相当な才能があるようなんだけど……父親は、彼女が陰陽師になることを良しとしなかった。
「普通の姫として、普通に嫁入りしろって言われたんだ。困るよねぇ……周りの娘たちは蝶よ花よと育てられてきたのに、私は鬼よ獣よって育ってきて。それで急に、普通になれって言われてもさ」
「……なるほど」
「そんなこんなでね。会ったこともない男から、歯の浮くような歌が送られてきたんだけど……いろいろあって、一度も会わないまま結婚を断られてね」
これは、昨日酔ってた時に話してた件だろうな。初めての夜這いに緊張して、酒を飲んでたら朝になってたってやつ。
「同情するなぁ」
「でしょ! 酷いよねー」
「うん。意気揚々と夜這いに来たら酔っ払い姫だったなんて、可哀想に」
「うーん……?」
その男のヒトは不憫だなぁと思う。
可愛い姫のもとに張り切って夜這いに来て、まさか酔っ払いに絡まれることになるだなんて思いもしないもんね。ひどくがっかりしたんじゃないかなと思う。
もちろん、紗夜も大変な立場だろうけどさ。
「まーいいわ。それでね、昨日の記憶はないんだけど……私は空飛ぶ畳に乗って来たんだよね」
「うん」
「だとしたら、たぶん私はこの子達を使役してたんだと思う」
そう言うと、紗夜は指を組んで印を結ぶ。
すると目の前に、おかっぱ頭の少女が二人現れた。小柄で細腕だけれど、頭には小さい角が生えているから、何かの鬼ではあるのだろう。
「この子たちは雨音と水雲。見た目の通り、力の強い子たちではないけどね。姿を消す術を使えるから、見えないように陰から私を助けてくれたりするのよ」
紗夜がもう一度合図をすると、二人の姿が消える。かと思えば、私たちの使い終わった食器類がふよふよと宙を浮き、洗い場まで浮遊していった。なるほど、昨日もこうやって姿を隠したまま、紗夜の乗る畳を担いで来たんだろう。
そんな話をしていると、私の隣にいた銀次郎がまっすぐな目で紗夜に話しかけた。
「さよさん?」
「えっと君は、銀次郎くんだったわね。何?」
「うん。なんか、さよさんから血のにおいがするんだけど……なんで?」
銀次郎の問いかけに、紗夜は目を見開く。
するとそこへ、彼女がこっそり放っていた鳥型の式神が、パタパタと飛んで帰ってきた。紗夜はその鳥を指の上に乗せ、頭を撫でる。ポンと音を立て、それは一枚の紙に戻った。
紗夜の顔色が、一気に青くなる。
「……もしかしたらと思って、式神に偵察に行ってもらってたのよ。不味いことになってるわ」
そう言って、彼女は小さくため息を吐く。
「私ね、はぐれ陰陽師の男に妻になれって言い寄られてて。今見てきたら、私の住んでいた屋敷が半壊していたわ。どうやら昨日、私が酔いつぶれて寝ている間に、その男から襲撃されたみたい。少なくない怪我人も出てるらしいわ」
なるほど、これは厄介事みたいだ。
はぐれ陰陽師の襲撃。おそらくは従者の鬼たちが、紗夜を逃がすために畳ごと彼女を担いで逃げたんだろう。お山に来たのは、ヌシに匿ってもらおうって算段だったのかな……? たぶん、鬼なりの考えがあってのことだと思うんだけど。
紗夜はすっと立ち上がり、気まずそうに頬を掻きながら小さな笑みを浮かべた。
「私、今すぐここを出るわ。奴がここを嗅ぎつけて来たら、あなたたちも巻き込んじゃうもの……突然押しかけて来ちゃってごめんなさい。いろいろと、ありがとう」
紗夜はそう言って庵を出ようとする。
うーん、今の話が本当だとしたら……。
「待って紗夜。出ていく必要はないよ。この庵でしばらく隠れていればいい。はぐれ陰陽師が来たら、私と銀次郎でなんとかするからさ」
私がそう言っている間に、銀次郎は湯を入れて紗夜の前に置く。さすが、弟は私のことをよく分かってるなぁ。
紗夜は少し呆然とした顔で座り込んだ。
「助けてくれるの? どうして……」
「そりゃあ、お客人を無碍にはできないでしょ」
紗夜の手を取り、ニコリと笑いかける。
「私は、お山のヌシだから」