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洸翁伝  作者: 結川 晶
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9.星の誓約



こうして話がまとまった夜以来、二人のやることは、導師の遺品の整理という内容から出立の準備や身辺整理へと形を変えた。


そうすると何とも不思議なもので、何故だか気持ちが妙に安定したのだった。


過去に向き合う作業よりも未来に向かうための作業の方が、どうやらこの二人には生きる気力を与えたらしい。

何よりも、親代わりであった導師の仇討ちと兄代わりであった蝋昼の捜索という目的は、二人にとってこれほど重要なものはないと言えるくらいに大事なことであった。


宅の中を探り、骨董品からもはや使わぬがらくたの類まで、ありとあらゆる物を外に押し出した。


「茶器、衝立(ついたて)、それからこの花台も。旅に不要なものは全て売り払って、路銀に変えてしまいましょう」

「二人分の持ち金がいるからな。多少の額は捻出したいところだ」


重い荷車を協力しながら押して街まで行き、露店や骨董商に道具類を全て売りつけた。

何やら物々しい二人の様子を見とがめた往来の知り合い達が立ち止まり、大概目を丸くして不思議そうに尋ねた。


「何だい何だい?何か物入りなのかい」

「そうなの。旅に出るから、できるだけたくさんお金がいるので」

「おやどうしたんだい、何かあったのか?」

「おお、いいところに。聞いてくれよ肉屋の旦那。この二人さ、旅に出ちまうんだと」


露店の店主が、通り掛かりの肉屋の旦那を会話に引き込んだ。


「ええ?朝欄、亂夜。お前さん達、どっかに行っちまうのか?」


馴染みの肉屋の旦那は世話焼きだから、きっと何か助けになりたいと思ってくれているのだろう。

顔からは温かな色をした親切心が滲み出ていた。


「ちょっとな。でも大丈夫だ、心配しないでくれ」

「そりゃあ、この地域随一に賢いお前さん達なら何だって恐るるに足らんだろうが……。それにしたって急だしな」

「蝋昼には何て言われたんだ?」

「蝋昼の兄貴も、今ちょうど武者修行に出てるのさ。腕試しの旅だって」


適当に話を合わせたところで、茶屋の看板娘がふいに尋ねた。


「そんなら、(キュウ)導師様のお許しはもういただけたのかい?」


丘導師とは、導師様の呼名だ。

この辺りの人たちは、丘の上に住む導師様のことをそのように呼んでいたのだった。

不意に出た懐かしい呼名に、二人の胸がきゅっと締め付けられる。


「うん。導師様にはね……今晩ご報告しようと思っているのよ」

「お許しになるかねえ?愛弟子二人の旅立ちだろう。蝋昼さんは二十だし、齢も十分だったが……あんた達はまだ若いだろ」


朝欄と亂夜は顔を見合わせて、一つ頷いた。


「大丈夫だよ。導師様ならきっと、わかってくださるから」







✳︎







日が暮れて、動物達が寝静まる頃。

満天の星をのぞむ丘の上に、朝欄と亂夜は佇んでいた。


「家の中、本当にすっからかんだな。まさか残らず全部売れるとはなあ」

「街のみんなが気を利かせてくれたおかげね。あと残っているのは導師様のお使いになられていた筆と、印と、それから少しばかりの書物だけだから、これは旅に持って行きましょう」

「もしも蝋昼の兄貴がひょっこり帰ってきて、家の中を見たら仰天するだろうな」

「ええ。そして私たち、また怒られるのね。お前たち、俺の居ない間に悪戯したなって」


少し笑んで師の菩提を静かに見つめる二人の横顔を、間に置いた灯火がゆらゆらと照らす。


小さな杯にとくとくと注いだ酒を、朝欄が墓前に供えた。

二人揃って肩を下げ、ゆっくりと調伏する。


「導師様。私、朝欄と、この亂夜は、明日この地を発とうと思います。お許しいただけますか」

「導師様。どうぞお許しください。我々には、やらねばならぬことがあるのです。しかしご安心くださいませ。導師様の教えを決して蔑ろにはせぬと、今ここに誓います」


蝋に灯る火が、風も吹かぬのに、ほんの僅かに揺らめいた気がした。


ゆっくりと頭をあげた亂夜に、同じく頭をあげた朝欄が意味ありげに笑った。


「何だよ」

「導師様、多分こう仰るわね。『成人もしていない亂夜をまだ外には出せぬ』と」

「ああーーそうかもな」


亂夜が胸のうちからきらりと光る小刀を出し、朝欄に渡した。


「そうだと思って、用意しておいた」

「流石、わかっていたのね。でも誕生日はあと一月先じゃなかった?」

「そんなもの瑣末な誤差にすぎないだろ」

「まあね」


小刀を手にした朝欄が亂夜の後ろに回りこみ、黒い髪にそっと刃をあてがう。


「残念ね。私、亂夜の髪をちょっと気に入っていたのに」


後ろから聞こえる朝欄の声は、静かに震えている気がした。

その震えが何なのかは、痛いほど亂夜にもよくわかっている。


「ーーそうか?何なら明日の朝、もう一度街に出て売っていくか。路銀の足しになるやもしれんぞ」


吹き出した朝欄の気配を感じ、亂夜も満足げに笑った。

笑いが静かに収まる頃、するりと息を吐き、次いでゆっくりと酸素を肺に運び込む。


二人の心に、もう迷いはなかった。


さくり、さくりと細かな繊維質の断ち切れる音がする。

全てを切り終えた後、布地と紐を使って髪を丁寧に団子の形に整えた。


「できたわ。どう?」

「何だか首がほろ寒いな」

「我慢しなさい。これが大人になった証拠よ。本当は冠があるといいのだけれどね」

「あとは往名(おうめい)をどうするかだな」


この国では、普段用いる名とは別に、大人になってから名乗るもう一つの名を持つのが慣例になっている。

この往名は親や師がつけることが多い。


「そうね。蝋昼は虞兆(グチョウ)、私は(キョウ)。導師様に韻を揃えて付けていただいたから、亂夜もそうしたいわね」

「ウの音か。何かいい考えはあるか?」

「そうねえ…」


しばらく思案してから、朝欄が提案した。


「……許しをいただいた夜というのと、師への永き親愛という意味をこめて、可久(カキュウ)としたら?」

「姓を亂夜、往名を可久か。それにしよう」


朝欄の言葉に同意し、振り返った亂夜の姿は、いつもより少し凛々しく見えた気がした。

二人して並び立ち、空の星々を眺める。


「明日は晴れるかしら?」

「そうだな……。(ギョウ)の大星が尼祇(ニギ)の星よりも強く瞬いているし、雲もそちらに向かって流れているから、きっと晴れるだろう」

「本当に?亂夜の星見はあまり精度がよろしくないからね。さてどうなるかしら」

「いや、きっと間違いない。今回ばかりは当たるはずだ」


今は亡き導師は、星見の達人だった。

独自の観測技術と勘を持っていたらしく、天気は勿論のこと、人の命運や土地の運勢なども高い精度で言い当てることができた。

とはいえ進んで星見を行うことはなく、時々、どうか何卒、と請う客人にだけその力を使っていたようだ。

そしてこの観測技術は、元来の星の呼名とは異なる独特の呼名を用いるだけでなく、実に複雑で不思議な知識と見方をもってして成り立つものだった。

だから弟子達は伝授されても、こればかりはなかなかうまく使いこなせなかったのである。

もっともーーそもそも導師が星見の伝授に本腰を入れたことはなかったのだが。


「あれだけ懇願しても、じい様はあまり伝授してはくださらなかったな。難解な力とはいえ、人や国の役に立つものには違いないのだから、もっと頼み込んで教えていただけばよかった」

「亂夜は憧れていたものね。導師様の星見に」

「でもじい様は、弟子に伝授するのはあまり気が進まなかったらしい。あまりにも渋られるので、なぜかと一度お聞きしたことがあった」

「そうなの?それは知らなかった。それで、導師様は何て?」


問いに、亂夜はふっと笑いながら答えた。


「『命運とは、定められたものに向かって歩くものではない。自らそうありたいと願い、創っていくものである。だから星見は本当は必要のない力なのだ』……だとさ」

「あら。導師様らしいわね」


朝欄もまた、嬉しげに顔を綻ばせた。


秋の終わりを告げる冷たい風がつうと吹き、燭台の火をくすぐる。


冬の入りを彩る満天の星が、空を仰ぐ二人の弟子を包み込み、いつまでも静かに見守り続けていた。



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