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洸翁伝  作者: 結川 晶
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6.相違



桑の木が街を見下ろす朝の丘に、二つの影が静かにたたずんでいた。

木の根元には、昨日まではそこになかった、足の裏ほどの長さの石が積まれている。

近くまで寄らねばそれが墓とはわからないような、小さな小さな弔いの菩提だった。


師を失い、兄貴分の蝋昼の安否もわからぬまま不安の只中にいる朝欄と亂夜だったが、師の遺体が傷む前にと墓を作ったのである。


「やはりここにして正解ね。ここからなら、この国で起きるどんなことでも見えそう」

「ああ」

「導師様のことだから、きっと身罷られた後も民のことを思っておられるに違いないものね」


早朝の冷たい風の吹きとおる中、再び沈黙が流れる。

そうして師の墓前にしばらく黙っていたが、朝欄がおもむろに口を開いた。


「……導師様は、一体どうしてこのような目に遭われてしまったのかしら」


昨晩二人で導師の遺体を再びあらためると、羽織っていたはずの絹の上掛けや、懐に常備していた筆、その他諸々の金品の類は全て無くなっていたことがわかった。

何者かが身ぐるみを剥いだことはまず間違いない。


問題は、なぜ導師が(あるいは蝋昼までもが)狙われてしまったのかということだった。

知り合いの家に赴くということでそれなりの格好はしていたが、しかしそこまで上等の、いかにもといったような格好はしていなかったはずだ。


「ねえ、亂夜。その……。昨夜の曲者のことなんだけれど」

「…何だ?」


少し考えて、


「私、見たの。暗かったけれど。あいつらが何処の者なのかを。あの鎧、そして身形を」


しばらくして、亂夜が一つ頷く。


「俺もだ。朝欄」

「え?」

「俺も見たんだよ。あいつらの姿を」

「………」

「………」


二人が同時に身を乗り出した。


「弦州?」

「承州?」


ハッと弾かれたような顔をして、お互いの顔を見合う。

獲物に忍び寄る直前の蛇の目のような鋭い眼差しが暫く飛び交い、そして双方溜息をついた。


「承?冗談でしょう?」

「冗談なものか。弦だと?お前こそ何をふざけている」

「莫迦言わないでよ。でも、弦と承の鎧の風貌はまったくもって異なるのよ。あの兜の羽飾りは弦でしょう」

「兜?俺は兜はよく見えなかったがーーいいや、それにしても違うな。俺が見た胴回りの鎧のくびれ、その装飾。あれはまさしく、承のものだった」


お互いにひとしきり論議したが、見えた箇所が異なるために一向に結論は出ない。


しかしまさか、このように不可思議なことがあるのか。お互いに犯人を見たはずなのに、出た結論がこうも正反対とは。まるで狐につままれているかのような気分である。

とうとう拉致があかぬと言わんばかりに、朝欄が首を振った。


「もういいわ。一瞬限りの、それも暗い中での記憶だもの。あてになんてなるまいし。

ーー取り敢えず、導師様の身の回りの御遺品を整理しましょう。蔵書がたくさんあるし……。どうすべきか、私達では判断のつかないものもあるかも知れないけれど。

まずは……蝋昼が。蝋昼が、無事に帰ってくるのを待ちましょう」

「…そうだな」


早速宅に戻り、導師の遺した書物や筆などを洗いざらい整理しにかかった二人だったが、あまりのその量を前にして、思うように作業は捗らなかった。

書物は言うに及ばず、筆や硯、まだ使っていない紙の束や、さらには他の者が書いた詩の蒐集品など、その所持品はかなりのものである。


「さすが導師様ねぇ。これだけの量の書を集めるなんて……やっぱりすごいお方だったんだわ」

「当たり前だろう。俺たちの師匠なんだから」

「あ。この兵法の書、私もう一度習い直したいと思っていたのよ」


なんてぶつぶつと言いながらついつい手を止めては、二人してかなりの時が過ぎ行くまで書を眺めているものだから、作業の進捗は益々遅れを見せていた。

書を手に取り、中身をあらため、そしてちょくちょくと中身を味見する。

味見しては選り分け、次の味見に移る。


そうこうしているうちに、東の空にあったはずの太陽は、早くも頭上に来て輝き始めてしまっていた。


「ふう、もうこんな時刻。あっという間ね。昼餉にしましょう」

「そうだな、時間は沢山ある。ゆっくりやろう」


しかし、その一方で、作業の進まぬ真の理由に気づいてもいた。


言うなれば、いまだに心が師の死に向き合えていないのだ。

取り敢えずは手っ取り早く次にやるべきことを見つけた朝欄と亂夜だったが、声にも姿勢にもいつもの覇気はない。


これまで二人の歩いてきた道は、導師という太陽によって照らされていた。


その大きな日の落ちた今、二人の心はまるで露頭に迷う子羊のようにか細く、そして冷たい気持ちで震えている。


ましてやーー導師の生きた証である品々を整理してしまうのには、二人の気持ちの踏ん切りは到底ついていない。


敬愛していた師の死は、あまりにも唐突過ぎた。

何もかもこのままにしておけば、導師がまだ生きていると錯覚してしまいそうになるほどにーー。



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