4.月下酩酊
さらに数週間が経った、満月の夜。
亂夜が寝支度を済ませ、床に入る前に槍の切っ先の手入れをしていると、朝欄が部屋の戸を開けた。
「ねえ亂夜。私少し、街の方を見てこようかしら」
「街って、お前……導師様がどこにお出掛けかなんてわからないじゃないか」
「でもこのままいるのもね。お帰りがあまりに遅すぎるわ。導師様に何かあったんじゃないかって。私、やっぱり気になるのよ」
とうとう不安が募りきったらしい朝欄が提案した。
それを聞いて亂夜も腕組みをしながら考えるが、静かに首を振る。
「やはり駄目だ。この辺りは野犬がでるし、闇に乗じて変な輩が襲い来るともわからない。なんて言ったって、ここは州の境目。争いの渦中にあるようなものなんだぞ。ここ最近昼に集落へ向かうのだって気をつかうのに、ましてや夜になんて。寿命を自ら縮めるようなものだ」
「でも、こんなに導師様がお帰りにならないなんてこと、今までになかったじゃない」
「それはそうだが…」
と、そこまで会話したところで、二人はぴたりと口をつぐんだ。
宅の開け放した窓から通り抜ける風の音。いや、流れと言った方が相応しいだろうか。
それが僅かに変わったのだ。
「朝欄」
「ええ」
目を合わせて静かに頷く。
生き物の纏う荒れた息遣い。草を踏む微かな足音。
何者かが家の前にいるーー。
忍び足で壁際に寄り、互いに使い慣れた武器を手にする。
朝欄は双剣、そして亂夜は研いだばかりの槍を手に取ると、そっと出入り口に足を運んだ。
戸につき、撃退開始の合図として軽く頷きあった。
(さあーーー)
(えいやっ!)
亂夜が戸をけやぶり、宅から闇の中に飛び出る。
次いで朝欄が双剣を戸の外に向けて駆け出した。
ーーしかし。
「!?」
構えた刃が、謎の輩に牙を剥くことはなかった。
なぜなら、倒れ伏した導師の姿が、二人の目に飛び込んできたからだ。
「導師様!!」
「じい様!!」
武器を放って駆け寄る二人だったがーーしかしそれとほぼ同時に宅の裏へと回り込んだその影達を、朝欄は見逃さなかった。
(あれはーー!?)
導師を抱き起す右手が、咄嗟にそれを指し示す。
「亂夜っ!」
叫びとほぼ同時に駆け出した亂夜が、影達を追って裏へと回った。
「待てっ!!」
全力で走るも、草の上を走り行くその背はみるみるうちに闇の中へと呑まれていく。
亂夜の足は遅い方ではないが、しかしなかなか追い付けない。そればかりか相手はさらに加速し、終いには、桑の木が乱立する林の中へと紛れ込んでしまった。
しまったと内心で舌打ちをする。
いくら満月の夜とはいえ、木々の中まではその光も届かない。
「どこだ!出てこい!!」
声を張り上げるが、当然返事はない。
声は虚しくも桑の葉に吸われていくばかりだった。
せめて武器と松明を持ってくるのだった、という後悔が襲い来る。
「出てこい!!出てこなければただではすまさぬぞ!!」
闇は一向に答えない。
しかしそれでも暫くの間、亂夜は激昂する気持ちに任せて声を張らずにはいられなかった。