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洸翁伝  作者: 結川 晶
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3.厚雲流るる



十日程のち。

導師と蝋昼にしばらくの留守を任された二人は、軽い昼餉を済ませた後、書斎で書物を読むかたわら語らっていた。


「はあ。導師様も、蝋昼も、まだ帰っていらっしゃらないのかしら」

「お知り合いのところへお出掛けになったらしいからな。手厚いおもてなしでも受けているのではないか?」

「そうかしらねえ」

「そうだよきっと」

「まあ、あの二人が帰ってきたら気配ですぐにわかるものね」


二人の育ての親である導師には、()()()()()()()がある。

春に甘い花が咲けば、甘美な匂いを風が自然と運ぶように。夏には海の潮の香りが強く漂うように。

導師が近くにいると、その気配を、二人の身体の五感は敏感に捉えることができた。

それはまた、導師に育てられた蝋昼、朝欄、亂夜においても同じだ。うまく隠していない限り、弟子同士の気配を察知することができるのである。


「…あ」


朝欄が、ふっと何度か目を瞬いた。


「導師様といえば。そういえば結局、聞いていないね」

「何が?」

「何がって……お立ちになる前夜、亂夜が尋ねていたじゃない。『軌の衰退した理由は何処にあるか』って」

「ああ、あれ」


壁際の棚にぎっしりと積み重なった書物は、導師は勿論のこと、自分達を含む弟子が幾度となく繰り返し読んだせいでひどく傷んでいる。

破れぬようにそっと紙をめくった後、亂夜はうんと頷いた。


「そうだなぁ。でもきっとじっ……導師様のことだ、素直には教えてくださらないぞ」

「そうね。きっと、お前達二人で考えてみよ、なんて仰るに違いないわ」

「でも気になるよな。だって導師様なら恐らく、この状況を打開する策だって持ち合わせていらっしゃるに決まっているのだから」


ううむ、と二人で考え込む。


「ちなみに」


亂夜がちらと朝欄を見遣る。


「お前はどう思う?」

「ううん」



暫く頭を傾げた後、朝欄が人差し指を立てた。



「この国に足りないところは、人じゃないかと思うの」

「民の?いや、違うな…」

「そう勿論、人材の方。この国の朝廷にはね、きっと、皇帝亡き後もその遺志を継ごうという人材はいなかったのね。あまりにも早くに後継者争いが勃発したもの。普通、もっと遠慮するでしょう。皇太后も皇后陛下も御存命なのに、そっちのけで家臣達が玉座を争うなんて。忠臣のいない証拠だわ」

「成る程な。でも、俺の意見は少し違う」

「へえ。というと?」

「そもそも王に徳がなかったということも大きいだろう。王に徳があれば、家臣がその王の遺志を蔑ろになどできん。要は器の小ささの招いた結果だとも言える」

「そうね。身罷られた王の悪口をいうのは気が引けるけれどーーでも、王の器も小さければ、家臣の忠義も足りない。軌の衰退は決まっていたようなものね」


溜息をついて立ち上がり、朝欄が書物を棚に積まれた本の上にそっと重ねた。


「忠節を誓う家臣と、大器を備えた王。これが揃わないと、国は国として存在できないわ」

「違いない。この分じゃどうせ、承と弦の滅びも目に見えているようなもんだ」


そうして暫く言をつぐんだかと思うと、朝欄がおもむろに口を開いた。


「ねえ亂夜」

「何だ?」


亂夜が書物から視線を移し、朝欄を見つめる。


「あなたやっぱり……役人になったら?」

「藪から棒に何を」

「藪なものですか」

「何故?」

「何故って。分かるでしょう。導師様の教えをここで腐らせてしまうのは勿体ないわ。国をよりよくする助けにしなければ」

「助けといってもなあ。じゃあ聞くが、つくとしたら軌の朝廷か?それとも承?或いは弦?正直俺は御免だね。助けたいと思えるような国はない」

「そうよ。それならば、あなたがより良い国を作れるならどこでもいいんじゃない?」

「何?」

「だって、理想の国を作ってしまえばいいんだもの。どこにつこうといいじゃない」

「……お前って結構大胆なことを言うよな」


そう言って暫く唸ったあと、亂夜は腕組みしたまま首を振った。


「いや、やはりやめておこう」

「どうして?」

「俺は恩人の導師様の助けができたらいい。もしどこかにつくとすれば、それは導師様が勧めたときだけだ」

「…まあ、気持ちはわかるけれど」


身勝手な権力者の起こした戦争。そして重い税と凶作により起きてしまった飢餓。それぞれの家族をなくし、喘ぎ、孤児になった二人。

そんな絶望の底から救い出してくれたのは導師だった。

二人が導師を師として崇め、慕い、教えを請うのも大恩あるからこそ。

ましてや義理堅い亂夜のことだ。導師のために死ぬことすら厭わないに違いない。

もっとも、それは朝欄にも言えることだが。


新たに手に取った書物を開いて読み進める朝欄に、今度は亂夜が話を振った。


「そう言うお前はどうなんだ?」

「私?私は駄目よ、女だもの。女を役人として雇う国なんてあるはずないわ」

「じゃあ後宮に仕える侍女にでもなって、そこからのし上がればいいじゃないか」

「冗談!私は女同士のぎすぎすとした争いは御免被るわ。第一、侍女からのし上がったとして、それで政治に対する発言力が生まれるまでになるのにどのくらいかかると思う?現実的ではないわね」

「へえ。よくわかっているじゃないか」

「当たり前でしょう。全く、からかうのは程々にしてちょうだい」


そう答えたのを最後に、朝欄は再び書物に目を通し始めた。


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