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洸翁伝  作者: 結川 晶
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2.夜の語らい



すっかり夜も更けた頃。

夕餉を済ませつつ炉の火を囲みながらいくらか談笑をした後、朝欄が新たな話題を振った。


「ところで導師様。いかがでしたか、出向いて御覧になった(ショウ)州の模様は」

「うむ、そうだな……。やはりこのままでは、(ゲン)州との再戦は免れんように思える」

「そうですか……」


彼らの住まう大国ーーその名を()と言う。

世界の中心とも謳われるこの巨大な(オウ)大陸では、人が歴史を刻み始めた時から数百とも言われる様々な民族が覇権を争いひしめき合っている。

そんな中、人々が安らかに生きることができる国の建立を夢見て統一大戦を起こし、約半世紀にも及ぶ戦いの果てに数多の部族を束ねた軌国。その治世は既に三百余年にも及んでいる。


しかし、"軌大国にこそ安寧と泰平あり"と謳われたのは、もはや昔のことだ。

軌は人々を率いる天賦の才を有していた初帝によってできた国。帝が身罷った後も、その血を引く者を王として立て、その正統性によって国を治めてきたのである。

そんな背景のある中、軌の正統な後継者が病に斃れた後ーーやはりと言うべきだろう、醜く凄まじい玉座争いが繰り広げられた。

いつしか混乱は国を二分する大きな内乱となった上に、外部の承族と弦族という民族が合流して国土の切り取りが始まった軌の大部分は、承州と弦州という二つの勢力に分かたれてしまったのだった。

無論、州というのは名ばかりで、最早その実態は個々の国とも言えるばかりの勢いを有している。それぞれの州を主導する有力者達は、実質的に都の役割を担う独自の県を打ち立てたばかりか、思いおもいの皇帝を擁立しようと画策し始めてすらいるという。


朝欄、亂夜、蝋昼の弟子三人が、ゆらめく炎に照らされる導師の横顔を見つめた。


「戦いは一旦沈静化してはいますが……再び軌の民が苦しむことは避けたいものです」

「亂夜の言う通りです、導師様。今、軌の民は戦争に次ぐ戦争によって疲弊しています。戦死者は無論、餓死者も多いと。力を持たぬ民が戦争に巻き込まれるなど、何と痛ましく非道なことか」


朝欄達の住まうこの場所は、奇しくもその二つの州が占領域を広めつつある先、その近くにある。

しかも近頃頻繁に耳にする噂によれば、なんと、桑の丘のある土地の付近が次の戦場として認識されつつあるというのだ。

蝋昼が腕組みをしながら低く唸る。


「軌に介入してきている民族は戦争が達者だからな。承も弦も、頭には軌の者を据えているというが、どうせそれも体裁を保つため、形だけのものに過ぎんだろう。実質は軌は国取りに合っていると言っても過言ではない。

軌が沈むのも、もはや時間の問題か。これ以上の戦は何としても避けたいところではあるが……。おっと、そうだ」


言うと、蝋昼が何かを思い出したかのように立ち上がり、書庫の奥へと消えていった。

兄弟子の言葉を他の弟子達が繋ぐ。


「私達はこの国のくだらぬ内乱によって実の親を失っております。しかし導師様は、肉親なき私達を引き取って下さったばかりか、学も知もお授けくださいました。導師様の愛しておられる国に、私は滅んで欲しくはございません」

「しかし数百の歴史を誇った軌でさえ、所詮は脆き一国……。栄枯盛衰ということなのでしょうか」

「そうだな。誠に悲しきことじゃが、いつまでも栄華を極めた国は、どの時代にもどの土地にも存在せぬ。例えいかに優れた国であっても、いつかは何かしらの(ひず)みが生まれてしまうのだ」

「それではじい様は、この国の亀裂の深い原因はどこにあると考えておいでですか?」


長い黒髪を束ね直し、亂夜が尋ねた。

「じい様」という愛称と至極丁寧な敬語が混在する口調には、若干の違和感が漂っている。


「こら。じい様じゃなくて導師様とお呼びしなさい、亂夜」

「ほう、なにを大人ぶっているのやら。お前だってつい最近まで、おじいちゃんって呼んでたじゃないか」


一つ年長の朝欄が嗜めると、亂夜がふんと鼻を鳴らした。


「どれだけ昔のことを!そんなのもう随分と前のことでしょう」

「どうだか」

「はっは、ほんにお前達は仲睦まじいな」

「そんなことありません!」

「ありません!」


発言をすぐさま否定した弟子達を、少し笑んだ後、じっと導師が見つめた。


「ーーよいか。戦乱の世の一寸先は闇じゃ。いかなる時も、お前達は手を取り合い、支え合って生き抜かねばならん。朝欄の齢は十六、亂夜は十五。まだまだ生きる時間は長い。その長い時間を、争って生きるのは余りに愚かというものだ。

儂はな、愛しいお前達が争う姿は見とうない。

わかるか?朝欄。亂夜。」


二人は暫く黙って、好々爺然とした導師の顔を見つめ返した。

深い皺の刻まれた顔。その顔、いや、小さくも鋭い光を宿すその瞳に請われると、どうにも否とは言えぬような心地がしてくる。

孤児だった自分達を育ててくれた恩師の言葉となれば尚更だ。


「それは……勿論」

「無論で、ございますとも」


お互いに顔を見合わせて頷く二人を見て、導師は再び微笑んだ。


「そうか。それが分かっておればよい。それだけが分かっておればーーお前達はきっと、無駄に命を切り崩さずに生きていけるはずじゃ」

「何だ?えらいお利口じゃねえか、二人とも」


書庫から帰ってきた蝋昼がにやりと笑った。

紫の風呂敷包みを腕に抱えている。


「兄貴、それは?」

「持っていく荷物だ。明日の早朝、俺と導師様は所用で出立するんでな。

さぁ、今日はもう遅い。お前ら子どもは早く寝ろ」


兄貴分にそう言われた二人は、若干名残惜しそうな顔をするもすぐに立ち上がり、導師に向けてぺこりと礼をした。


「おやすみなさい、導師様」

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ。よい夜を。朝欄、亂夜」


二人が寝床へ向かったのを確認した後、蝋昼が椅子に腰を下ろした。


「あの二人も随分と大きくなりましたね」

「そうだな。人の成長というものは、本当に早いものだ」


じっと炎を見つめていた導師は、不意に、指で静かに印を結んだ。


すると、たちまち炎が細い紐のような形で伸び上がり、導師の元へと吸い寄せられていった。

炎の紐は宙でひとりでに編まれていき、やがて蝶のような形を作ってひらりと羽ばたいた。


「お前だけではなく、そろそろあの二人にも教える頃合いなのかも知れぬな。この力を御する(すべ)を」

「朝欄と亂夜ならばきっとできます。あの子達は賢いですから」


そんな師と兄弟子の話を知る由もなく、朝欄と亂夜はただ、静かな夜の空気に包まれて眠るばかりだった。



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