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後編

 声のする方によくよく目を凝らすと、一見何もない真っ白な壁の、ちょうど壁掛けカレンダーの下辺りに、イタチの体に鎌状の両腕を持つ妖怪「かまいたち」が2体、張り付いているのが見えて来た。人間だけでなく、周囲を徘徊する妖怪や霊にも見つからないよう、壁に擬態して何かを待ち伏せしているらしい。


 そして彼らの視線は、書類にペンを走らせる大橋さんの背中に注がれていた。


 俺は途轍もなく嫌な予感がした。体がガタガタと震え始めたので、大橋さんにムギュッと頭を抑えられた。


(あいつら、大橋さんを狙ってるのか?本来3体で一組の奴らが、2体しかいないのは何故だ……いや!そんなことより、こいつらが大橋さんに危害を加える前に、大橋さんを他の場所へ逃がすか、姉上に始末して貰わないと)


 しかし、それは難しそうだ。どういう原理か、擬態能力を持つ俺は他の擬態している連中を見破れるが、擬態のできない姉上には彼らを見ることが出来ない。ましてや、大橋さんたち普通の人間は、擬態を解いて切りつけられても存在すら感知できない。かまいたちが擬態している俺には気づかないのは、奴らが低級妖怪だからだろう。


 身動きが取れず、姉上との意思疎通も遮断された状態で、どうやって危機を知らせれば良いだろう?


 かまいたちは、ヒソヒソと話し続けている


『椅子から立ち上がった瞬間が勝負だぜ、兄弟』


『最後の確認だぜ、兄弟。俺が飛び出して行って、白衣のズボンを切り裂くから』


『俺が続いてパンツのヒモを断ち切る。すると……』


『丸出し!』


『丸出し!!』


『確かな情報なのか、兄弟。この女が今日は紐パンなのは』


『確かな情報だぜ、兄弟。この女は今日は紐パンだ』


『それはそれでいいものだな、兄弟』


『それはそれでいいものだぜ、兄弟。だがしかし』


『俺達の目的は』


『大事な所を』


『丸裸にして』


『じっくり拝むこと!』


『じっくり拝むこと!!』


 グヘヘ、と2匹は下卑た笑いを上げた。


 低級低俗な糞妖怪共のせいで、とんだことになって来た。


 術が解けてフルチンになった俺が目の前に現れたら、大橋さんは驚いて椅子から立ち上がるだろう。そこにかまいたちが襲い掛かって下半身丸裸にしたら、大橋さんは顔を真っ赤にして半泣きになるに違いない。俺は束の間の奇跡を堪能した後、ケジメとして姉上に両目を抉られて……。


(いやいやいや!そもそも姉上にも原因があるわけで!そんなん納得いかねぇし!)


 すると、大橋さんがペンを置いて椅子から立ち上がる気配を見せた。かまいたちもそれを察したらしく、飛び掛かるように身構えた。


 俺は咄嗟に顔を上げ、背後の壁掛けカレンダーに最大出力の風を叩き込んだ。


 突然巻き起こった強風と、カレンダーがバラバラ捲れ上がる音に驚いたのか、大橋さんは座ったまま軽く仰け反った。そして振り返ってカレンダーを一瞥した後、「なんだろー?故障かなー?」と言いながら、不思議そうに俺の頭をペタペタ触り始めた。


 かまいたちはというと、こちらも驚いて竦み上がっている。


『大丈夫か、兄弟。あの女にバレたんじゃねぇか?』


『大丈夫だ、兄弟。あの女にバレるはずがねぇ。それよりも』


『あの扇風機が妙だと思わねぇか、兄弟』


『あの扇風機は妙だぜ、兄弟。まるで俺達が襲い掛かるのを分かってたみたいに』


『急に風を吹き付けて来るし』


『さっきから動きが不自然だし』


『妖気を感じねぇか、兄弟』


『妖気を感じるぜ、兄弟。もしかすると』


『この扇風機、なにか仕掛けがあるんじゃねぇか?』


『だが作戦中止は無いよな、兄弟』


『ああ、作戦中止は無いぜ、兄弟。もう一度行くぞ』


 限界だ。


 術が解けるまで1分もない。最早、俺がフルチンを晒すのは避けられない。


 こうなったら、即座に変身を解いて、かまいたちに奇襲を食らわせてやろう。戦闘に自信はないが、あの程度の妖怪なら余裕で倒せる。


 姉上は常々、俺達兄弟に「どうすれば為になるか、考えてから行動しなさい」と言う。為になる、とは地域社会の為であったり、一族の為であったり、あるいは姉上の命令に応える為であったりしたが、いずれにせよ、自分の行いを恥じたことはない。


 考えてみれば、自分が恥を晒さないために大橋さんを守る手を抜くなど、どうかしていた。


 例え社会的に死んででも、俺が大橋さんの尊厳を守るのだ。


 その時、背後でナースコールが鳴った。誰かが「204号室!」と言った。兄上の病室だ。数人の看護師が腰を浮かせ、大橋さんも立ち上がろうとした。


 かまいたちがサッと身構える。俺は覚悟を決め、かまいたちを止めるべく術を解こうとした。


 が、それより一瞬早く、どこかから弾丸のような速さで呪符が飛んで来て、かまいたちに張り付き、彼らを壁に拘束した。


 あっけに取られていると、廊下の方から兄上のどなり声が聞こえて来た。


「俺の扇風機を何処へやったァァァッ!!」


「ごめんねぇ、大橋ちゃん。それ、弟に返してくるわ」


 いつのまにか傍に来ていた姉上は、右手で俺を取り上げつつ、身動きが取れなくなった下衆妖怪を左手でさりげなく引っ掴み、足早にナースステーションを飛び出した。


 助かった……のだろうか。


 廊下を走りながら、姉上は、


「協力感謝するよ」


 と愉快そうに言ったのだった。




「じゃあ、姉上はかまいたちに気付いていたんですか」


「存在には、ね。どこに潜伏してるかは分からなかったけど」


 兄上の病室で術を解き、身支度を整えた俺は、ベッド脇で姉上と話をしていた。


 兄上は大声で騒いだ罰として、姉上の妖術で昏睡している。曰く、明朝目が覚めるまで、気が狂うようなおぞましい悪夢を延々見せられるそうだ。


「今朝から、盗撮用小型カメラに化けたかまいたちが、ここら辺の床をウロチョロしててさ。変化が不完全だったこともあって、すぐに見つけて捕まえたけど」


 そう言って姉上は、白衣のポケットから、呪符でグルグル巻きにされた1体のかまいたちを取り出してみせた。なるほど、かまいたちが2体しか居なかったのはそのためか。


「何してるのか問い詰めたら、すぐに吐いたよ。仲間と共謀して、大橋ちゃんの恥ずかしい部分を隠し撮りしようとしたんだって。で、残りの仲間がこのフロアに潜伏してることまでは分かったけど、正確な位置までは分からなかったの」


 その後姉上は、かまいたちの発する妖気の動きから、ナースステーション近辺が怪しいと睨んだ。他の看護師に気取られないよう、あそこでかまいたちを始末しようとしたらしい。


「面会者の来院記録用紙を見たら、丁度あんたが見舞いに来てることが分かってさ。協力してもらおうと思って来てみたら、あんた小型扇風機に化けてるんだもん。ビックリしたよ」


「俺の擬態を見破ったんですか!?」


「あんたのパンツが畳んで置いてあったし、状況的にそう察しただけ」


 畜生、やらかした。


「あんたを囮に使えば、かまいたちを見つけた時に反応すると思ったんだよ。そしたら大橋ちゃんの席に置いた直後に変な動きを始めたから、大方あの壁際に潜んでるんだろうと思ってマークしてたわけ。で、かまいたちが擬態を解いた瞬間に……拘束!」


 そういって、姉上は左手の中にいる2匹の哀れな獲物を握りつぶした。聞くに堪えない悲鳴が聞こえてきたが、姉上は涼しい顔をしている。


「かまいたちを見つける前に、俺の擬態が解けたらどうする積りだったんですか」


「そのときは、幻術で私以外の全員の五感を一時的に奪ってから、部屋中に『狐火』を放って燻り出す積りだったよ。こっちの方が確実だけど、健康に全く影響が無いとは言い切れないから、あんまりやりたく無いんだよね」


 事件の成り行きは、最初から姉上の手の中にあったというわけだ。俺は何とも言えない虚無感に襲われた。


「さっきの俺の覚悟を返して下さい」


「何言ってんの。私の弟に生まれた以上、常に覚悟が出来てて当然でしょうが。さてと、こいつらは頂いちゃおうかね」


 姉上の口が耳まで大きく裂け、びっしりと並んだ犬歯が露わになった。そして姉上は、かまいたち3体を摘まみ上げると、無造作に口に放り込んだ。飲み込まれる間も、妖怪共は耳障りな声を撒き散らしたが、姉上が口を閉じて嚥下すると、ふっつりと聞こえなくなった。


 次第に西日が強くなる中、蝉の声だけが聞こえてくる。


「疲れたから、俺はもう帰りますね」


「うん、それが良いだろうね」


 いつも通りの顔に戻った姉上は、なにやら意味ありげに言った。


「ゆっくり寝て、明朝までに気力を蓄えておきなさい」


「え、それはどういう意味……」


「ちょっとばかり、手伝って欲しいことがあるんだよね」


 出た。危険な任務に行かせるときの、姉上の決まり文句だ。


「まったく、姉上や兄上と居ると、忙しさで頭がグルグルしますよ」


「扇風機だけに?」


 そう言って、姉上は可笑しそうに笑った。


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