奴隷少女との出会い
「しっかし、すげーな……」
それから暫く街中を歩きながら、五分ぐらいで市場の中心街に着いた。
実に目まぐるしい人集で、その大半が食品などの品物を買う者ばかりだ。
私が抜けた入口の門の方より、人集は更に増していて、まるで駅前のような賑わいだ。
市場の交差点に真ん中に噴水の淵にどっかり座り、さっき近くの屋台で買ったリンゴを片手に持ち、騎士やら色とりどりな髪やら魔法使いが着ていそうなケープ・ローブを纏っている人やら、十人十色なモノが流れている光景を眺めた。
――モグモグモグ……。
リンゴを食べる。硬い実だが、蜂蜜のように甘い。最近、親戚からリンゴばかり送られて食べていたから私の好みに入る一品だ。
――モグモグモグ……。
気が付くと、川のように流れている人達が私を見ていた。何故だろう?
――もしかしたら。この服装なんてこの国では存在しない筈なのか? だとすれば、私のような異色な人が混入すれば、目の色も濃くなって見られているわけだろう。だけど、そんなに注目の的にされたくないからここから去った方がいいと考えて、リンゴを口に入れ込み、芯を捨てた。
(さてと、これからどうしよう?)
ひとまず立ち上がり、身辺をのらりくらりと散策を始める。行き当たりばったりで、何だかよく分からない。下手をすれば迷子になりかねないけど、迷ったら行くという気分で進んで行く。
そんな時。オタクの聖地で、よく聞く一言をかけていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様っ!」
街中に響き渡る声だった。若い少女で、江戸の遊女のような少し胸元がはだけた着物を纏い、首にかけた名札に新人と書かれてある。
新人さんか、とそう思いながら通り過ぎようした時だった。
「待って下さいー! ご主人様~っ!」
「――へ?」
彼女に腕を掴まって、ぎゃんぎゃんと犬のように喚き散らした。
――一瞬、頭が真っ白になる。
まさかと思うが、彼女は私を男と見間違えているのではないのか?
一見すれば、男が着そうな振袖を纏っているから男と間違ってもおかしくないのかな?
冷や汗を出しながら、この状況をどうにかすべきだろうと矢先、店内から出た先輩スタッフがやってきた。
ご主人様、と暴れ喚く彼女を止め、軽く一発頭を叩いた。
そして先輩と一緒に深い一礼と謝罪の言葉を貰い、これにて万事解決した。
再び歩を入れて、気ままに裏路地を選んだ。いつも裏路地で通学をしていた時の癖で暗く狭い場所を好む習性が芽生えていた。ここにいれば何故かと私の心は安堵し、異世界の職務と言える伝奇が集う場所があると思っていた。まあ、それは昔の話。今は表の道を行くのが道理だって自分で感じたんだ。
だが、そんな二次元めいた事はまず無く、途方に暮れていた事があった。
光すら遮る石塀が睨み続けながら歩くと、少し光が差し込んだ広い路地に出た。
しかし、光は差すものの深夜のような静けさと暗闇に包まれて、恐怖心が浮き出している。周りを見ると、そこには崖の様に切り立った建物がある。歩いていくと徐々に下っていくのが分かる。見る限り、この場所は高低差が大きいのだろう。
ここは、住宅街のようだ。煉瓦や木で作られた物ばかりだ。しかし、ここは日当たりが悪いのか、木は朽ちて煉瓦はひびが入っているので。いつでも倒壊してもおかしくはなかった。
こんな不潔な所に住む人なんて居る筈――あるか。貧しい人などが暮らしそうだ。
住むと雖も、まず複雑すぎるような高低差のある地形だから日当たりも悪い場所で、洗濯物を干す時なんて、結構坂を登ってまで行かなければならない。――不便な場所だな。
そんな事を思って歩いていると――。
「――あっ」
ふと上を見上げると、寂れた街の空から少女が降臨していた。
それは天使がふわり舞い降りたって言うより、追放された天使が墜落したと解釈すればいいだろうか?
―――だって、急速で落下し始めているところを目撃したのだから。
年かさはおよそ10代前半だろうか。ワンピースのような薄汚れた服を着ている。ダイヤモンドダストのような、きめ細やかな輝きを放った青く長い髪を団子のような形で後ろにまとめていた。円を少し歪ませたような丸い顔つきで、まるで妖精のように凛々しいが華奢な体つきだ。
そこまでは一般的に貧民街の子供と思うけど、私はその少女の足に注目した。
その足には歴史の教科書とかで見る、錆びた鉄の枷が括りつけていた。
「もしかして、奴隷か……?」
そう思って見ていると紺碧に輝く少女の瞳が、私の目と交錯した。女だけど、一瞬可愛くて惚れたかもしれない。
ラノベみたいなこんな異世界に可愛い少女っていうのは、居るものだなと思いながら見惚れていた。
そんな時、ふと思った。あれ、この下は………地面だ。
そしてここに墜落すれば、血という新しいペンキで地面を紅く彩る筈。
……待てよ。そんな事になればこの子……死ぬよな。
「はっ……、やべっ……」
急いで着地予想地点に立ち、少女を受け止めようと考えた。
しかし少女は、途中で体のバランスを崩し始めてしまい、重い鉄の足枷を大香の頭に叩き付けられた。
「がっ……」
一瞬視界が歪んで、ふわふわと意識が朦朧となりかける。少々時間が経ってから、ぐらついた視界が正常に戻り始めていく。
「いた~~あい~~」と少女が喚く。
いや、こっちのセリフだけど、とツッコミを入れたいのだが、今は頭が痛くて言う事さえ出来なかった。……ああ、コブ一つ出来た。
「ああっ……、大丈夫ですか?」
少女は下敷きになった私に気付き、咄嗟に退いた。
流石にまだ頭が痛い。まるで、鈍器で百回殴られた感じだった。
百回殴られたのなら死ぬのは同然だけど、それを耐えた自分が凄いと感じる。
ふらつきながら体を這い上がって、服に付いた湿気のある砂埃を払いながら、少女の方へ視線を向けた。
「……大丈夫、このくらい平気だから。そっちこそ大丈夫かい?」
「えぇ……、大丈夫です」
少女は安心した気持ちの溜息を出した。
よく見るとこの子、とても愛らしい顔をしている。
だけど、何かに怯えているような目だな……。
「?」
ふと耳を澄ますと、上からどんどんと瓦が割れる音が響いてくる。
まるで、地震が起きたような響きだ。
(なんだ? 世界の終わりが近づいたのか?)
その音を聴いていた少女は顔色を真っ青に変化して、何処かに隠れてしまった。
何が始まろうとしているんだ?
この展開についてこられない大香は、呆然と首を傾げた。
数秒後、ちゃりんと鎖の音を立てながら空から再び何かが降臨した。
「…………………」
何も言えず、その降臨に立会したが、とにかく体を竦ませた。
だって、ドスンと地を響かせば、何故かとおぞましい感じが疼くだろ?
そいつは冷静沈着過ぎた女だった。とてもスマートな体つきで、身長は私の目と平行しても視線が合うから、大体一八〇ぐらいだろう。睨みつける紫色の瞳と儚い雪化粧を思わせる程の白く長髪。少女と同じような薄汚れたワンピースの服の下に足枷をくくり、傷一つない白い肌が嫌にも魅了されそうになる。
「あの……何か……?」
恐る恐る問い掛ける。じわじわと殺気が滲み出して、正直何から話せばいいのか分からない。何かと、不適切な話を語りかけたら殺されそうな気がする。
「おい、ここに小さな子供が降りたが、知らぬか?」
中国語訛りの言葉を発する。嫌だなーこの人、と思いながら女を見つめた。
(やばいって、どうやって語れば、殺されずに済むのかな?)
「いや、その……左の方へ行ったじゃありませんか?」
「そうか――」
無表情のまま、通り過ぎていった。
ああ、やばい。通り去ったのに、手が冷や汗でヌルヌルしている。
よほど緊張した証拠だ――とにかく。
「礼ぐらいしろよ」
ぶっきらぼうに愚痴を溢した。さっきまでの緊張を返せ、と思ったぐらい。
――何、アイツ? あいつも奴隷なのか?
皮肉な事だな。あんな若い奴ばかり捕まっている現状が酷過ぎる。
「そろそろ出てきたら?」
少女が隠れた場所を悟るように視線を移した。もそもそと蠢くように壁に立て掛けた板が簡単に剥がれて、そこから先程の少女が顔を出した。
「……ありがとうございます。私を匿ってもらって」
よほど緊張したのか、荒い息遣いしながら返礼していた。
そうか。多分あいつはこの子を探していたから、バレないように息を殺していたのかな。
だから、こんなにも息が乱れているのか。
「助けたのはいいけど、あれは何? 血眼になって探していたけど」
少女は怯えた表情で、体を強ばらせながら答えた。
「……あれは、奴隷を捕まえる為に作られた集団の一人なの」
「ん?」
「しかも。えっと確か……亜人って言うんですか? とある戦闘民族から選び抜いた奴隷を使っているんです」
……なるほどね。
漫画とかで鍛えた私の二次元能力で、この世界の仕組みの理解が早い私は頷く。
異世界のような場所だったら、強い民族やら妖精族やら亜人やらが居る筈だ。
「……それって強いのか」
「強いもなにも、私たち一般の人では手で負えないほど強いの。例えるなら、何トンもある象を軽々と持ち上げる、みたいな」
最後の「みたいな」は何? 曖昧すぎるだろ、と内心で突っ込む。
「……あの。こんな事を言っても何ですけど……私を助けてください!」
いきなりそんな事を言われて、頭が真っ白になるのは私だけだろうか?
おい、まるでハーレム主人公の設定に近いじゃないか。こんな妹のようなキャラに相手する暇があったら、とっとと地元に帰って官能小説……いや、寝たいわ。
異世界召喚されたような人が、普通に現実に帰りたいと思いながら、とにかく少女から離れようと自分から急かした。
「あ、うん。じゃ、私はこれで」
何の素振りもなく、この場を立ち去ろうとする。
しかし少女は、腕の裾をギュッと握り締めた。
大香は目をパチパチと瞬きながら、この状況を嫌々察しながら把握した。
多分、この麗しい視線での様子では、この人なら私を助けられると思い、手を組んでまでお願いする気だ。
「……助けて。行かないで……」
「あ、い……、なんの事かな? 私、ただの一般人だから、そいつに敵う相手じゃないと思われますけど~~?」
「――ヒック、ヒック」
少女が涙目になりながら、私を見つめ始めた。
うわ、私の一番苦手な場面だ。毎度思うことだが、この麗しい涙目は心を惑わす悪魔みたいな物と、私はそう思っている。
そう思うもなにも、私はどうにも涙が苦手な太刀だ。
だって、涙を見れば甘やかされる可能性が非常に高い。
……少し過去の事になるが凛ねえの嘘泣きでいつも酷い目に遭っているから、そのトラウマのようなモノが私に取り憑かれている、と自分ではそう思っている。
「いやいや、無理ですってば。こんな何もできない人に頼むなんて、そんなそんな……」
「助けてください! 私……死にたくないのにまたここで……」
やばい、私の感情がこの子を助けようと疼かせている。
死にたくない、と聞けば反射的に手を伸ばすのは普通だろうか?
何時の間に少女と手を繋いでいた。よし絶対に助けてやる、のような気持ちが働いていた。
「う……」
――マズイ、どうしよう。
しばらく考えて、適当に話をつけて別れる作戦で行こうとすぐに思いついた。
子供だから、簡単に鵜呑みする筈だ。
「そうそう、ここら辺も良い剣が売っていると聞いたけど、何処かな?」
「剣の売り場は、少し離れた場所にあるよ。馬使わないと着けないくらい遠いけど」
「う……っ」
正直、奴隷のイメージって無知蒙昧な感じが多いと何処かで聞いた事があるけど、その適当な場所がすぐにわかるとか……。
いや、奴隷は主の命令で外に出る事もあるか。そうじゃなきゃ、知っている筈がない。
「いやいやいや。あれだそう、あぁぁぁ……」
「?」
――思いつかねぇ。誤魔化す言葉が思いつかねぇ。叔父の性格に似ているのか、女なのにうまい言葉がスラスラと思い浮かべができない性格になっていた。
白く色褪せた壁に頭を叩いて、とにかく心を落ち着かせながら少女の肩に手を添える。
「とにかく、私は無理。他に頼って」
断ると頑固にしながら、強い声で発した。だが、少女は応えてくれない。
「い~や~だぁ~~、お願い~助けて~~」
少女は背中に抱きながら、私の首を絞めるように腕を絡ませる。
しかし、私はそれを拒むように腕を解かせようとする。
「だああ~~、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理……」
「助けて~~」
華奢な体格だから簡単に緩めると思っていたけど、何故か握力四十キロある私すら緩められなかった。
(……こいつ、嫌にも強い握力を持っていやがる)
私より年齢が低いのに、何故こんな力が?
これも奴隷で培ってきた力なのか?
「うげ……ちょ……ちょ……苦しい、苦しい」
首絞めてくるので、少女の手を叩きながら、やめろと合図を送った。
けど、離すどころかさらに首を締め上げてくる。
「あ、げ、う、う」
マズイ、酸素が薄れてくる。視界が点滅していく。
「……た……、げ」
もがきあっていると、背後から誰かがやってきた。良かった、やっとこの子を押し付けられる――と思っていたけど、この気配何処かで感じた事が……?
「見つけたぞ。やはり戻って正解だった」
それは死神のように舞い戻ってきた、先程の女だった。
(げげんちょ……)
マズイ。今とてつもなくマズイ状況だ。
確か、この少女を探していたよな。それで、ここで鉢合わせするとは……。
「さあ、そいつを渡してもらおうか」
ほら来た。渡せって来たよ。
こんな面倒くせぇ事に巻き込まれるのは、まっぴら御免蒙るわ!
「仕方がねえ。こうなったら……」
こうなったら逃げよう。こんな奴に相手している暇は無い!
一八十度回れ右してかけっこの構えを取り、全速力で路地を駆け抜けた。
「私から逃げられると思うな。子犬め」
そして数十秒遅れて戦闘族の女は、大香の後を追いかける。女は、すぐに追いつくと予見して少し遅めの走りをしていた。