魔法族の国へ
いつもより少しだけ豪華な夕食の後、魔法のカバンに残りの荷物を詰めていく作業に入る。
調理器具と食器に食材、本と洋服に生活雑貨など。結局、家中の荷物が全てカバン一つに収まってしまった。
「まさか、これほどとはな」
近くで様子を見ていたベルナルドは顔を引きつらせて呟いたが、彼の隣に立っていたエレオノーラは言葉も出ない様子だ。
しかし、そんな二人に気付かないミリアムは恐る恐る大量の荷物が入ったカバンを持ち上げる。
「すごい。全然重くない」
夕食前に悲嘆に暮れていたのはなんだったのだと言いたくなるはしゃぎようだ。
実はベルナルドは僅かばかり呆れていたのだが、いつまでも暗い表情をされているよりはマシだと切り替えることにした。
ミリアムのはしゃぎ声を聞いたか、荷作りを終えたようだと察したスザンナがリビングに現れた。
彼女の指示通り、テーブルとイスが端に寄せられていることを確認して満足気に頷いたスザンナは鼻歌を歌いながら大きな紙を床に敷いた。
円と文字と記号を組み合わせた魔法陣の描かれた白い紙を見たエレオノーラとベルナルドがギョッとしてスザンナを伺う。
「スザンナ様、これはまさか転移魔法陣ですか?」
「そうよ。向こうを出る時に対の魔法陣も置いてきてあるの」
「魔力は足りるでしょうか」
エレオノーラの少し青ざめた表情の理由がわからないミリアムはベルナルドに助けを求めて視線を向けるが、ベルナルドも緊張した面持ちでスザンナの言葉を待っている。
首を傾げて成り行きを見ていても仕方ないと思い床に敷かれた魔法陣を見る。
初めて見る魔法陣に興味が出てきて紙に手を伸ばす。
「今夜は満月だし問題ないはずよ」
「しかし、もし魔力が足らなかったら」
ミリアムが目の粗い紙に触れていると、魔法陣を描いている黒のインクがキラキラと光を発しているように見えた。
インクに何か混ざっているのかと魔法陣に近寄る。
「転移魔法陣を使う魔力がないなら、戻っても」
エレオノーラとスザンナの話を聞いていたベルナルドがふと見ると、ミリアムが魔法陣に触れようとするところだった。
慌ててミリアムに声をかける。
「魔法陣にはまだ触るな」
「え?」
驚いて顔を上げた拍子にミリアムの指先が魔法陣に触れてしまった。
魔法陣を描く黒いインクが眩い光を放ち、魔法陣に触れている指へと熱が集まってきている。
何かが指先から抜けていくような感覚に恐怖が湧き上がり手を引こうとしたが、スザンナが抱えるように体を抑えて掌を魔法陣にピッタリと付けさせる。
「エレオノーラ、ベルナルド、魔法陣の上に」
冷静ながら有無を言わせない緊迫した声音に二人は黙って従う。
訳が分からないミリアムは背後にいる母を振り返りたいが、身動ぎもできないため声を上げる。
「母さん」
「大丈夫。あなたは一言だけ言いなさい」
耳元ではっきりと告げられた短い言葉をミリアムはそのまま口に出した。
「起動」
魔法陣が一際強く輝き、余りの光量に視界が白に塞がれた。
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翌日、フランクがミリアムの家を訪ねるとテーブルや棚などの大きな家具以外の何もかもがなくなっていた。
自分の目をこすってもう一度見てみるが、もちろん状況は変わらない。
「すぐ引っ越すって、早すぎだろ」
思わず呟いて立ち尽くしていると、隣の家に住む男が顔を覗かせた。
「なんだ、近々引っ越すと聞いて荷運びの手伝いでもしようと思っていたのに、もう終わったのか」
肩を落とす男の言葉にフランクは違和感を覚えた。
「荷物を運び出すところ、見てないんですか?」
「ああ、荷車も見てないな」
いくら荷物が少なかろうと近所の人の目に触れず気付かれもせずに、家の中が空になる程の荷物を運び出すなんてことが可能なのだろうか。
自分の考えを握り潰すようにフランクは騒ぐ胸の前で拳を握り締めた。