帰郷の準備
ミリアムが家に帰ると、玄関先にベルナルドが立っていた。
「ベルナルド」
「いろいろ言いたいことがあるだろうが、中に入ってからにしよう」
背を押されて促されると拒否も文句も言えずに家の中に入ってしまう。
「スザンナ様、ミリアムが戻りました」
「やっと戻ってきたわね」
「ただいま、母さん」
紅茶を飲んでいたスザンナがティーカップをソーサーに戻して言うと、奥からベルナルドの母が出てきた。
「おかえりなさいませ。ミリアム様」
「ただいま、エレオノーラさん」
「話を始めるわ。全員座りなさい」
スザンナの正面にミリアムが座り、スザンナの右手側であるキッチンに近い席にエレオノーラ、左手側の玄関扉に近い席にベルナルドが着いた。
「さて、ミリアムには先に話したわね。
ミリアムが15になったことだし、魔法族の国に帰ることにしたわ」
「いつ出発されますか?」
「今夜」
「今夜!?」
今まで落ち着いていたエレオノーラが取り乱しているのを見て、ミリアムはベルナルドに目を移した。
「国境を越えるには、あの砦を越えて川を渡る手筈を整えなくちゃならないだろう?」
「今からじゃ準備ができないってこと?」
ミリアムの問いにベルナルドが頷く。
エレオノーラは申し訳なさそうに眉を下げていたが、ミリアムにはどうしても母が悪いようにしか思えない。
「息子が申しました通り、私が今から準備したのでは今夜の出発には間に合いません」
「大丈夫。移動の手段は確保してあるわ。
あなた達は荷物をまとめておいて」
スザンナが楽しそうに笑う。
彼女が何かを隠しているであろうことはわかっていた。
しかし、ミリアムはその追求はやめておくことにして、もっと気になっていた事を尋ねることにした。
「エレオノーラさんとベルナルドも魔族なの?」
ミリアムの問いかけに三人は複雑な表情を浮かべた。
違ったのだろうかと不安がミリアムの頭をよぎったが、それなら国境を越える話をみんなでするはずがないと思い直す。
「そうだけど『魔族』というのは人間風の言い方ね。
これからは『魔法族』と言いなさい」
「魔法族?」
「ちゃんとしたことは向こうに着いてからゆっくりと勉強ね」
「え、勉強って……」
「じゃあ、夕飯を終えたら荷物をまとめて。ベルナルド、ミリアムを手伝って」
「わかりました」
「では、夕飯まで解散」
パンッとスザンナが手を打つとエレオノーラは静かに立ち上がりキッチンへと向かい夕飯の支度を始めた。
充分な答えを得られなかったミリアムは未だ不満を隠しきれていない表情をして母を見ている。
ミリアムの様子を見たベルナルドは苦笑してミリアムの頭を軽く叩く。
「先に部屋に行っていてくれ。カバンを持ってすぐにいくから」
「でも」
「話ならゆっくり聞くから」
「わかった」
頷いて部屋に帰っていくミリアムを見送るとベルナルドは無意識に息を吐いた。
「ミリアムが世話をかけるわね」
「あ、いえ。……すみません」
「謝らなくていいのよ」
くすくすと笑うスザンナに向けていた視線を下げるベルナルドの表情は曇っている。
「ミリアム……様は、おそらく」
自分が発言しようとした内容の無責任さに気付いたベルナルドは、言いかけた言葉を飲み込むことにしてスザンナに一礼した。
「失礼しました。荷作りの手伝いに向かいます」
足早に物置小屋へと向かうベルナルド。
彼が言いたかった事を正確に受け取っていたスザンナは手の中の紅茶に目を落とす。
「謝らなくてはいけないのは私なんだけどね」
誰に聴かれる事もない呟きをこぼし、スザンナはカップに残っていた紅茶を飲み干した。
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ベルナルドが持ってきたカバンを見たミリアムは口を半開きにして、その古い革張りの箱型カバンを指差した。
「これだけしか持っていけないの?」
「これに入るだけだ」
ミリアムはあからさまにがっかりしてベルナルドから受け取ったカバンを床に置いてカバンを開く。
ベルナルドは手近にあった本棚から手当たり次第に本を抜き出してミリアムに渡していく。
「ミリアムは、自分がまだ魔法族だって信じられないんだろ?」
「当たり前だよ。わたし、魔法なんて使えないし。
ねぇ、もういっぱいだよ」
「上から押し込んでみても駄目か?」
「押し込むって言っても限度があっ……」
文句を言いながらベルナルドに言われた通りにミリアムが本をカバンに押し込むと、本がなくなった。
カバンを持ち上げて床を見てみるが、そこにあるのはいつも通りの床である。
「どういうこと?」
冷や汗をかいたミリアムがゆっくりとベルナルドを振り返る。
「それは魔法のカバンだ。
使用する人間の魔力量によって容量が変わる。魔力のない人間が使えば見た目通りの古いカバンだけどな」
ベルナルドから再びカバンへと視線を戻して近くに置いていたノートの束をカバンの中に入れて押し込む。
ノートは姿を消した。
「魔力を持った人間は魔法族の人間だ。
魔法が使えようと使えまいと」
ノートを押し込んだミリアムの手の甲に涙が落ちた。
ベルナルドは黙って部屋の中にある荷物をミリアムの側へ持っていく。
ミリアムは時折鼻をすすりながら、黙って荷物をカバンの中に押し込んでいく。
夕飯の支度が済んだとエレオノーラが二人に声をかけにきた時には部屋の中には空の机と本棚、ベッドしか残っていなかった。