82.アスティンの負傷、そして……
地図にない国だからこその儚さを、フィアナ王女から感じていた騎士ベニートはいたたまれない気持ちになり、目を逸らしていた。ベニートの思う気持ちに関係なく、フィアナはアスティンを気にしていた。
「あら? アスティンくん。その頬の傷はどうしたの?」
「こ、これはあの、試練の時にヴァルティアに」
「そうなのね……よく見せて――」
フィアナの手がアスティンの頬に触れていた。思わず照れてしまったことで、ベニートが自分のことをずっと睨んでいるのだろうかと思わず心配になり、アスティンは辺りを見回した。
「え、あれ? ベニートはどこに? 姿は見えないけど、どこかで何かを叫んでいる? どうしたのベニート」
「おいっ!! アスティン守れ!!!」
「――え、あ!」
ベニートが叫んだその時、すでにフィアナに向かっていくつもの矢が放たれていた。狼狽えのアスティンは咄嗟のことに動揺しながらも、自らを盾に彼女を守ることしか出来なかった。矢をはじき返す騎士鎧は完全では無く、僅かな隙間に矢が突き刺さる感触をアスティンは気付いていた。
痛みにこらえながら必死に声を殺し、フィアナに気付かれまいとその場に踏ん張ることしか出来なかった。
「――ちっ!! お前は王女様を守っていろ!」
直後、ベニートは矢が放たれた方角に向かって駆け出していた。フィアナはアスティンに守られながら、体を震わせていた。アスティンは、彼女を守ることだけに専念するしかなかった。
「ぐわぁっ……!?」
見えない方角から聞こえて来る賊か何かの叫び声。静まりかえると同時に、ベニートがアスティンとフィアナの元に戻って来る。彼から感じる雰囲気は鬼気迫っており、アスティンは声をかけることが出来ずにいた。
フィアナに彼の姿を見せていいものかどうか迷う程に、本物の騎士の恐ろしさを感じたアスティン。心配を余所に、彼の方から彼女に声がかけられた。
「フィアナ様、ご安心ください。賊は征伐致しました。顔をお上げくださいませ」
「だ、大丈夫ですか? 一体何が……」
「ご心配には及びませぬ。この辺りは道行く人が少ないが為に、賊が蔓延っていたに違いありませぬ。ですが、しばらくは出て来ぬでしょう」
「フィアナ様、リーニズはすぐですか?」
「え、ええ。で、では、急ぎ……国内へ」
「アスティン、頼むぞ」
「わ、分かりました」
アスティンの足と腕は、どちらも痺れる程になっていた。それでもフィアナ王女の為に、急ぎ国に入らなければならないという意志が彼を突き動かしていた。
リーニズ国では留守を任されていたテリディア、ハヴェルの両名が出迎えている。
「お待ちしておりました! フィアナ王女」
「長いことお任せして申し訳ございません。他国の騎士たちに守護を頼むなどと、本当に……」
「いえ、我らはそれが役目でございます。では、お城へ……」
騎士テリディアはフィアナを落ち着かせるため、いち早く城へ連れていく。フィアナ王女の姿が見えなくなったのを待ちかねていたかのように、ベニートはアスティンに声をかけた。
「……アスティン、傷を見せてみろ!」
「なにっ!? お前、ケガしたのかよ? ベニート、何故アスティンが怪我をしているんだ? どうしてアスティンに怪我を負わせた!」
「俺は賊を征伐した。少しの間にアスティンが油断をしていたせいで、王女様は自国に入られる前に怪我をされる寸前だったのだ。それをコイツがかろうじて守ったに過ぎん」
「お、お前……と、とにかくアスティン、鎧を脱げ!」
「あっ……ぐっぐぐ……」
「こ、こりぁあ……早く治療しねえとやべえぞ! おい、ベニート! 城下町の宿屋から医術士を連れて来い!! は、早くしろ!」
「……分かった」
ほどなくして、医術士がやって来た。さほど深刻な様子ではないのか、アスティンの傷の具合を慎重に診ている。
「痺れ草が矢に塗られていたようですな。鎧の隙間に上手く刺さってしまったのでしょう。それゆえに、色濃く腫れあがっているのです。幸いなことに重傷ではありませんよ」
「そ、そうか。良かったな、アスティン!」
「ベニート、ごめん。僕が油断していたから、こんなことに……」
「いや、誰にでも油断はつきものだ。次から気を付ければいい。だが、一国の王女様に何かあってからでは、どうにもならぬのだ。貴様はそれを分かっていたのか?」
「……そ、それは」
「おいおい、ベニートよ。アスティンだってわざとじゃねえだろうが!」
長らく他国に滞在していた王女は疲弊していた。留守を任されていたハヴェルとテリディアは、その様子に気付いたものの、王女に付き添うアスティンは負傷。そのアスティンに対し怒りを露わにしているベニート。事情の知らない騎士ハヴェルは、躊躇いながらも出迎えをするしかなかったのだった。
「ご、ごめんなさい。油断していました。盾を構える余裕も無く、かろうじてこの身を盾にしたのが良かったのかもしれません」
「それについては褒めてやる。だが護る為の騎士が怪我を負っていては、護衛など務まらぬぞアスティン! 貴様は我が王女ルフィーナ様の騎士となるのだろう? そんなことでどうして務まると思っているのか、聞かせてみろ!」
「ぼ……お、俺は、もっと強くあらねばならないのです。故に、此度のことにおいては完全に俺の油断です。で、ですが、俺はこの身を盾にして守り通しました。それも騎士として護ったということではないですか! 怪我については俺の油断です。次こそ……いや、もう俺は甘えも油断も見せませぬ!! ですから、騎士ベニート。俺は証明してみせます。必ずや、王女を守護する騎士に!」
「それは1人の王女か? それともふたりか?」
「ただ1人! 俺の王女はルフィーナのみ! 他に心は持っておりませぬ。俺の心はルフィーナに捧げております!」
「そうか」
「ア、アスティンくん、ケガ、ケガをしているのね?」
「……フィアナ様。い、いや、平気ですから」
ベニートへの宣言を聞かれていたと悟り、隠すことではないと覚悟を決めたアスティンは、ゆっくりと丁寧に口を開く。それはさながら、別れの言葉であるかのように。
「フィアナ王女。アスティン・ラケンリースは、我が国ジュルツに帰還致します。ここまで幼き頃より、姉君として親しくしていただき、誠に光栄でした。俺は自分の国へ帰ります。どうかフィアナ様。健やかに、穏やかにお過ごしいただきとうございまする。アスティン以下、テリディア、ハヴェルは明日にでもここを発ちます。どうか……どうか、お許し願いたく存じます」
「ア、アスティン――」
「あっ、フィアナ様!?」
手で口を抑えながら走り去るフィアナをアスティンは追いかけなかった。
「……ごめん、ごめんなさい、フィアナお姉さん……憧れの、そして好きなお姉さんでした。僕の大好きなルフィーナのお姉さん――」




