63.ルフィーナの帰国:後編
「……こうね?」
「そう、そうです! お上手ですよ。さすがお姫様です」
「意外に簡単なのね。これでどれくらいなの?」
「初心者よりは上……でしょうか。でも、姫様は筋がいいです。もう少し練習頂ければ、相手も驚きますし程度はあまり悪くならないはずです。一時的に眠るくらいかと」
「眠る……ふふ、それはいいことを聞いたわ!」
ヴィーシアスに来ているわたしは技を学ぶため、この国の代表者イルースク様に直接、教えてもらっていた。彼は言葉遣いが丁寧な上に、自分のことを僕と言っていたせいかアスティンに似た感じがして、胸の辺りに熱いものを感じてしまう。その上、こんなに密着されたら意識しない方がおかしいわ。
今回は技を学ぶための訪国だったけれど、即位したらまた訪れたい。そう思わせるくらい、イルースク様は素敵な方に思えた。
「ルフィーナ姫には婚約者がおられるとお聞きしておりますが……今回のこともそれが関係を?」
「それはわたしにも分からないの。それでも、技を学ぶことってきっと後々に役立つはずだわ。そうよね?」
「ええ、体に少しでも覚えさせておけば、いざという時に身を守ることもすぐに出来ると思いますし、備えにもなりますよ」
「それは良かったわ。ところで、イルースク様は想い人はいらっしゃるの?」
「……特にいませんでしたが、今、出来たかもしれませんね」
「そう……なのね」
もうすぐ帰国だというのに、わたしは何故こんなことを聞いているのかしら……カンラートともアスティンとも違う想いが芽生えてしまったのかしら。今さらどうしようもないことなのにね。
「はっ! では姫様にはそのようにお伝え致しまする。は、数日後の到着をお待ちしております」
アスティンの試練の時が決まったらしく、役目の終わりを告げられたセラ。もうすぐ終わってしまう。そんな寂しさを彼女は感じていたみたいだった。
体術ギルドに戻ってきたセラは、わたしに熱心に教えているイルースク様の姿を確認していた。甘い雰囲気を感じてしまったのか、首を傾げるセラ。
幼き頃のアスティンに似てる気がする。だからわたしは恋を覚えてしまった。アスティンが試練でいい所を見せないとわたしの気持ちが離れるかもしれない。そんなことをセラは心配してくれていた。
「ルフィーナ様。戻りました」
「あら、早かったわね。それで、いつ出発するの?」
「はい。今回、ルフィーナ様の帰国に伴いまして馬車と、それを守る近衛騎士で数名が脇を固めます。帰国と同時に即位されますから、護衛が増えます」
「そうなのね。馬車なんてカンラートと一緒に乗って以来だわ。それでもジュルツまでは数日かかるのでしょう?」
「そうです。その数日の間に、アスティンは試練に備えていることでしょう」
わたしならきっと、目の前の恋よりもアスティンへの想いが強いに決まっているわ。信じてね、セラ。
「そう……そうね。そうよね! 分かったわ。それではイルースク様、もっと覚えたいわ! お願いするわね」
「……分かりました。お任せください、王女様」
表情を変えたわたしに、イルースク様は気付いてしまった。あなたのその想い、無駄ではありませんわ。それが儚く、淡くても。
「短い期間ではありましたが、ルフィーナ様の呑み込みの早さには驚きました。これならきっと、上手く行くことでしょう」
「イルースク様……本当にありがとう。またお会い出来ること、楽しみにしているわ」
「――心よりお待ちしております」
「では、ルフィーナ王女殿下、馬車へお乗りくださいませ」
「ええ、参りましょう」
少しだけ浮かんだ想いは相手にもアスティンにも悪いわね。わたしはジュルツの王女なのだから、これからは忙しい日々が待っているわ。だから……秘めておくだけにしておくのがきっと、正解なのよ――
× × × × ×
も、もうすぐ、ルフィーナが帰って来る。それまでに俺は、強くなってなくてはダメなんだ。彼女の想像以上の男になってなきゃ!
「どうした、アスティン! それでおしまいか?」
「ま、まだまだいけます! だから、もう一度……、いや、何度でも来て下さい!」
「よっしゃ、行くぜ!! おらぁぁぁ!」
盾を構える俺に、何度も体当たりをしてくるドゥシャン。休む間もなく俺に向かって来る彼の攻撃は、とてつもなく重いものだった。亡霊騎士とはまるで重みが違う。あの頃よりも、俺だって強くなってるはずなのに、それでもまだまだなんだってことを思い知らされている。
「こ、このぉぉぉぉ!!」
盾で押し返すバッシュをドゥシャンに繰り出す。遠慮のいらないぶつかり合いで、ドゥシャンの体はよろめく。
「ご、ごめん……や、やりすぎたかも」
「ぐっ……中々やりやがるじゃねえかよ。くそっ、俺も歳かな……疲れちまって動けねえ」
1人目のドゥシャンを抑えた所で、2人目のハヴェルにシフトして、遠距離からの弓が俺に向けて放たれてくる。
カカーーン……
盾で弓を弾きながら、ハヴェルの場所を探り当てる。そして俺は、そのまま彼のいる所に向かって突っ込む。弓を構えていたハヴェルは咄嗟の事に対応出来ずに、俺の攻撃で弦を地面に落としてしまう。
「ははは……いや、参ったぜ。俺、弓はほとんど使わねえんだよな。言い訳に過ぎねえけど、負けだ」
「あ、ありがとう、ハヴェル」
そして残るは……
体の向きを変えると、すでに俺を待ち構えている騎士がそこにいた。堂々として、譲らないという気持ちが全面に出ている。これが騎士カンラートの強さなんだ。
「……剣を取れ。俺が相手してやる」
「い、行きます」
まさか俺が騎士カンラートと試合をすることが出来るだなんて思っても見なかった。兄のような存在。ルフィーナと長年を共に旅をして、彼女を守ってくれた騎士。そして、シャンティの婚約者――
色んな想いがあるけど、俺は目の前に対峙するこの人を納得させないと、明日は無いんだ。
「ほら、上だ!」
頭を狙って来た彼の剣を、盾で咄嗟に防いだ。剣の攻撃はこんなにも重いものだったんだ。でも、敵わない相手じゃない。防いだ盾ですかさずバッシュ。カンラートをよろけさせたところに剣を振り下ろす。
「ふっ、降参だ」
「ご、ごめん」
「強くなったな、アスティン。団長殿が言ってた通りだ」
本気ではなかったけど、俺は本当に見違えるほど実力をつけられた。シャンタル……きっと彼女の教え方が良かったんだ。
もうすぐルフィーナが帰国する。俺は彼女の目の前で試練を遂げて、彼女に認めてもらうんだ。
「アスティン、これで俺たちからの修行は終わりだ。あとは試練に挑むのみだ。今日はもう体を休めて、王女の即位式と、試練に備えておけ」
「はいっ! カンラート、ハヴェル、ドゥシャン。あの、ありがとうございました!」
『おう!』
「そ、それじゃ、宿舎に戻って休みます。じゃあ、また!」
「走っていく後ろ姿を見ていればまだ子供のままなのにな。強さは本物になったものだ。さて、我が王女様はどう判断を下されるか。見もの……いや、楽しみだな」
「ルフィーナ王女殿下、ジュルツに到着致しましてございます」
「ふぅ~~漸くなのね。と言っても、最近まで少しいたのだけれど。ちゃんとして帰って来るのは初めてかしらね」
城に着いた時には、すっかりと辺りは薄暗くなっていた。城門にはもちろん、母様やヴァルティアお姉さまがお出迎えをしてくれた。
「今度こそ、お帰りなさい。ルフィーナ」
「ただ今戻りましたわ、お母様」
お母様とわたしで抱きしめ合った。涙は流さないけれど、これが本当の『ただいま』と呼べるものなのね。フィアナお姉さまはもう、いない。わたしはずっと王女になることを言われて育った。フィアナお姉さまがいなくなったことも今になって意味が分かった。
真実を知っても、それでもフィアナお姉さまはわたしの姉であることに変わりはない。だから、必ず……彼と一緒に、お姉さまの元へ向かうわ。それまで待っていてね、フィアナお姉さま。
「ルフィーナ様。お帰りなさいませ」
「ヴァルティア。戻ったわ。変わりはないかしら?」
「は」
「そう。それではまた後でね、ヴァルティア」
「はっ」
ふふふ……今は王女らしく振る舞うだけにしとかないとね。硬っ苦しいことなんて絶対、やめてやるんだから!
「騎士セラ。ここまでありがとう。あなたも後ほど、お願いね」
「は、有難きお言葉にござりまする」
「ただ今戻りましたわ、お父様! いえ、国王陛下」
「うむ。よくぞ戻った。ルフィーナ姫……いや、王女よ」
「試練のこと、聞きましたわ。お父様にしては随分と面白いことを思い付いたものね」
「そういう意味では親子だろう? お前のいたずら心は私にもあるのだよ。して、成果は得られたか?」
「勿論よ! これならきっと彼も驚くわ!!」
「お前は変わらぬな。だが変わらぬ強さのまま、誰もが見惚れるほどの魅力も備わったか。さすがビーネアの娘だ。お前は母さんによく似ている」
「あら、そういうのは即位式が終わってからにして頂戴ね。それが終わったら、お父様はただの人なのだから」
「はははっ、厳しいな」
「夜になる頃だし、わたしは先に休んでいいかしら?」
「あぁ、ゆっくりと休みなさい。そして、その時を待つがよい」
ふふっ、わたしが素直に眠るとでも思ったのかしらね。即位式のこともあるし、試練のこともあるから見張り兵は手薄ね。これなら抜け出せるわ! 地下からならバッチリね。
「……っしょ、と」
ここからならすぐにあそこへ行けるわ。そして、実行するわ。待っててね、アスティン!




