55.ルフィーナ、畑を耕す
カンラートは悩んでいた。自分の故郷でまさかルフィーナを紹介することになるなんて。ヴァルティアはまだ気持ちの整理が出来ていない。婚約は確かに成立した。だが正式な式は上げていない。
恐らく、ジュルツでルフィーナ王女が即位した時にやるのだろう。そう思っていた。そうだとしても、ヴァルキリーである彼女自身が変わるわけではない。ヴァルティアにどうこうしろと言うべき立場ではないことに彼は思い悩んでいた。
「あれが俺の家だ。すまんな、ルフィーナ。城でも無ければお屋敷でもないんだ」
これが現実。カンラートは農民の子だった。騎士になったからと言って、親までが変わるわけではない。家も昔と変わらぬ姿を保っている。これを見て、ルフィーナやヴァルティアは何を思い、何を言うのかが分からなかった。
「す……」
「す――」
「素敵!!」
「素敵じゃないか!!」
「なにっ? 素敵……だと? こんなボロイ家のどこがっ……」
彼は自分の家に誇りなんて持ったことが無かった。だからこそ家を出て、国も出ていた。城や屋敷住まいの姫ふたりは何故そんな言葉を出せるのか。神経質なカンラートは頭を抱えた。
「カンラート。気が変わったぞ。我はお前の親にご挨拶を申さねばならぬ」
「な!? 何故そうなるんだ? こんな小屋みたいな家でなぜそう変わる?」
「カンラートは卑屈になりすぎだわ。わたし、こんな自然に囲まれたおウチに住みたかったわ。素敵なところよ! お姉さまも嬉しそうにしているのが見えないと言うの?」
「わ、分からぬな。これが天然という者の反応なのか。これでは騎士姿の俺が浮いてしまっているではないか。と、とりあえずふたりを家に入れねばな」
カンラートは自分の家の前で声を張り上げた。
「も、戻ったぞ!!」
「……」
「ん? 返事が返って来ないな。まさか誰もおらぬのか? せっかくヴァルティアの気が変わったと言うのに……何てことなのだ」
「カンラート! あの丘で誰かが何かを蒔いているわ! 何かしら? すごく行ってみたいわー!」
「ルフィーナ、私も行くわ! 一緒に行きましょ」
「あっ、ま、待てっ! ……ったく、ふたりの姫には敵わぬな」
丘の畑で作業をしている人に近付いて、声をかけているルフィーナとヴァルティア。
「うん? 何かご用かな?」
「それは何を蒔いているの?」
「あぁ、これはわたしらが食するお野菜の種だよ。見たことがないのかい?」
「人の手で丁寧にされているのですね。初めて見ます」
「……ところで、お嬢様方はどこから来なすった? 身なりがきちんとしているが、王族……そんなはずはないかな」
「ルフィーナ、ヴァルティア! 全く、勝手に行くとは何事だ!」
「騎士? 騎士様が何故、このような畑に来られるのですかな?」
「ふ……自分の息子を見ても分からぬか。当然だな。家を出て数十年、全く帰っていないのだからな。私は、いや、ただいま帰った。母上、父上。俺はエドゥアルトだ。覚えているか?」
「エドゥ? お、お前……従者ではなく本当に騎士になってしまったのか。しかも嫁をふたりも引き連れて……そうか、そうか。嬉しいが今は早く、種を蒔いて耕さねばならん。ほら、そこのお嬢さん。鍬を持って、耕しておくれ」
「鍬? こ、これでどうすればいいというの?」
「い、いや、俺がやるから。ルフィーナは何もしなくていい」
「エドゥ! お前は手本だけ見せろ。お前のヨメに素質があるならお前を許す。さぁ、手本を!」
「何でこんな鎧を着ながら畑を耕さねばならんのだ……しかし、俺も農民の子。ルフィーナにいい所を見せねば」
ガッ……ガッ――ザッ……
「いいか、こうやって腰を落としてしっかりと土を掘り起こしてそれから土を……」
「分かったわ! わたし、やってみる!」
楽しそうに耕すルフィーナに首を傾げるカンラート。「あの子は王女なんだぞ。それなのになぜ畑を耕してるんだ」畑を耕すのが嫌で逃げていた彼にとって、彼女の笑顔が理解出来ずにいた。
「カンラート。お前を見直した。見せかけばかりの騎士かと思っていたが、貴様にも人を思いやる心が残っていたか。ふふ、次期王女に鍬を持たせるか。中々に面白いな……」
「お前はやらぬのか?」
「我にもやれと……?」
「い、いや……」
「我は貴様の親に挨拶をするだけだ。ルフィーナ……あの子が楽しそうにしているのを眺めているだけでいい」
ヴァルティアは、彼の親に婚姻をすることをその場で伝えていた。彼の親は突然のことであまり理解はしていなかった。それでも、彼女の言葉に何度も頭を下げて涙を流す母親の姿に、カンラートは思わず天を仰いでいた。
「母上、父上……俺は騎士カンラート・エドゥアルト。農業を継ぐことは叶わぬが、息子は騎士の国で王女を護っている。俺は、ここが故郷で良かったと思っている。だから、いつまでも健やかに過ごしてくれ。またいずれ、俺のヨメと妹を連れて手伝いに来る。それまで元気でいてくれ」
「勝手にするがいい」
「あぁ。すまん……ありがとう」
これで良かった。来て良かったとカンラートは思った。故郷に帰って来れたのはふたりのおかげだと思った彼は、流すことのない涙を手で拭い、ルフィーナに声をかけた。
「ふぅふぅはぁふぅ……お兄様、もう行くのね? わたし、こんなに土をいじって汗を流すのは久しぶりよ! やっぱり土に触るのは好きだわ! そうだわ! 城の庭にも畑を作らなきゃね」
「ルフィーナ、それはいくら何でも……」
「クスッ……いいではないか。彼女の庭でもあるのだ。好きにやらせるのもよかろう」
「そ、そうか。なら、今夜は俺の家で眠ることにしよう。数日の後に出立して次の国へ向かわねばな」
「ねぇ、カンラート」
「うん? どうした?」
「あのね、出立の日でいいのだけれど、もう一度お花たちがいるあの場所に行きたいの。土がとても柔らかくて、すごく好きなの。あそこならきっと……」
「カンラート。我からも頼む。ルフィーナと我は、あの場所でもう一度笑顔になりたいのだ」
「む? それならば明日にでも……」
「ううん、最終日がいいの。最後の日に記念と思い出を残したいの。お願い、カンラート……」
カンラートを見つめながら、ルフィーナの瞳からは涙が今にも流れようとしていた。
「な、泣かせるつもりは俺にはない。分かった。ルフィーナとヴァルティアの頼みだ。では、国を出る前にあの場所へ行こう」
「やったわ!! うふふっ! お姉さま、楽しみね!」
「ええ、楽しみだわ! ルフィーナ」
「……むむ? そんなに気に入ってくれたのか。それは俺も嬉しいな」
機嫌を良くしたカンラートは、自分の家の中にルフィーナを案内するために、背を向けて歩き出した。
「くくく、カンラートよ。我とルフィーナ様の笑顔をじっくりと堪能するがいい……」
× × × × ×
「アルヴォネン・ラケンリース、レイリィアル逗留地より帰還致しましてございまする」
「うむ、よくぞ戻られた。して、状況はいかがだった?」
「特に動きはございませぬ。ですが、王女即位の後はどう動くか予測できませぬ……」
「……分かった。アルヴォネン殿、長きに渡ってあの地へ留めてしまって申し訳ない」
「大事ありませぬ。それより、間もなく我が子息も我が国へ帰還致しまする。陛下、王女はいつ戻られる?」
アスティンの父、アルヴォネンは嘆いた。我慢出来ずに早く帰ってくるアスティンに。騎士セラフィマが認めたのであれば、致し方ないと妥協の心を持ったものの、早くに戻って来ても笑顔を失うことになるかもしれない。それに耐えられる息子に成長しているのか、気が気ではなかった。
「我が娘ルフィーナは、騎士カンラートの故郷に留まっている。その後は、まだ訪れておらぬ国へ赴くことになるが、帰国までにアスティンの心が保てるかどうかだ……」
「ではそれまでには、我が子息を鍛錬致しまする。王立騎士も数名、帰還させます故……よろしくお願い致す」
「うむ」
王の間を後にしながら、父アルヴォネンは心の中で息子に言葉を投げかけていた。
「我が息子アスティンよ、最後の試練は容赦せぬ……だが、帰還したら父としてお前とひとときを過ごそうぞ――」




