51.雨のち、晴天。
「はぁ~~ヴァルティアって素敵ねー」
「い、いえ、そんな……」
わたしは綺麗な髪色で圧倒的な強さを見せてくれたヴァルティアにすっかりと夢中になってしまった。彼女もわたしの喜びを共有してくれて微笑んでいたけれど、カンラートはすっかりと落ち込んでしまったみたいだった。
カンラートにもいずれ見せ場は訪れるわ。そうしたらまた、わたしはあなたを愛しく思うもの。
可憐に微笑むルフィーナに優しく見つめるヴァルティア。彼女は王女様を守る為の、絶対的な存在でいたいと思っていた。アスティンやカンラートだけでは心許ない……とまで思ってしまい、思わず笑みがこぼれていた。「ふふっ、あいつは今どこにいるのだろうな」
「ルフィーナ。俺の膝に居続けなくてもいいんだぞ? ヴァルティアの馬に乗り移れば、彼女を近くで眺められるぞ」
「ううん、わたしはカンラートの傍がいいの。ずっと一緒にいたのですもの。今さら離れることなんて出来ないわ」
「そ、そうか。それならいいんだ」
カンラートは無意識にヴァルティアを見ていた。自分のことをからかいながらも、ルフィーナに優しく微笑んでいる彼女はだいぶ変わったものだ……と、感じていた。彼女が変わったのは紛れも無く、アスティンと共に旅をしたおかげだ。そう思うカンラートは思い出と共にアスティンのことを思い出していた。
「ねえ、カンラート」
カンラートの弟騎士であり、見習い騎士でもあるアスティン。王女ルフィーナと比べて、どれくらい成長を遂げているのか、そのことはずっと彼の脳裏に思い浮かんでいた。
アスティンは騎士としては優しすぎる。自分とはまるで違う。それでも、果たしてルフィーナを守り通せる覚悟と意志が備わるかどうか。そんなことを思い巡らせていたカンラートは、ヴァルティアの呼び掛けにようやく反応し、事の重大さに気付いた。
「おい、カンラート! 貴様、いつから女泣かせに成り下がった? 貴様には失望したぞ。やはりあの頃から貴様は変わっておらぬ。これ以上泣かすようなら……」
「うっ? 何を言っている。俺がいつ女を……あっ!?」
「カンラート……どうしてわたしを無視するの……? わたしのことが嫌いになった?」
アスティンのことを心配をしていた彼の膝の上で、涙を見せるルフィーナが彼を見上げていた。ルフィーナの呼び掛けに全く気付かなかったカンラート。
どうせこの涙も嘘泣きなのだ。そう思ったカンラートは、からかい口調でルフィーナに声をかけた。
「はっはっはー! ルフィーナ、また俺を騙す気か? 相変わらず嘘泣きが上手いな。ずっと一緒に旅をしていたからさすがに分かるぞ!」
「……グスッ……カンラート……」
「えっ? な、何だ? ……ルフィーナが泣き止まないぞ。ま、まさか、これはいたずらじゃなくて本物の……?」
そう思っていた彼のすぐ近くで、殺気を放つヴァルティア。彼女は彼に槍を向けていた。
「貴様……貴様はやはり敵だ。それも女の敵だ。貴様とは港町とジュルツの庭で剣を交えただけだったが、貴様の国に着いたら一戦交えねば我の気が済まぬ。我が王女を傷つけた貴様は許さぬぞ!」
「い、いや、ま、待てっ! そ、そんなつもりは無かったんだ。ルフィーナの涙は大体、いたずらだと思っていて……だから、す、すまぬ……」
「嘘泣きではないのか?」膝の上のルフィーナを見つめるカンラート。しかし、顔を下に向けてしまってよく見えなかった。不覚……自ら泣かせるなど騎士たるものの所業ではない。そう後悔したがすでに遅かった。
「ルフィーナ様。我の馬上にお移り下さいませ」
「……うん」
「くっ……本当だったようだ。俺の傍から離れるなど今まで無かった。ど、どうすればいいのだ。しかももう、ラットジール領内だと!? こんな状態で国に戻ることになるとは予想出来なかったぞ。ルフィーナを笑顔に戻すには……とっておきの場所に連れて行くしかないではないか」
「カンラート! もうすぐ貴様の故郷に入る。だが、我は貴様を許さぬ。たとえ貴様の国の民を敵に回しても、貴様とは決着を付けねばならぬ。覚悟しとけ!」
「何てことだ。俺の油断と不覚がこんなことになるとはな……ルフィーナ! 俺はお前を嫌いになどならない。だ、だから、どうか泣き止んでくれ」
ラットジール連邦――
何十年ぶりの帰国。彼の生まれ故郷、ラットジール。故郷に帰って来るとは思っていなかったカンラート。故郷が嫌で国を出た彼は、「今の俺を見ても気付くやつなどいないだろう」そんなことを思っていたせいか、嫌な感じはしなかった。
昔よりは栄えたということを実感しながらも、懐かしむ余裕は今の彼にはなかった。愛しの王女を笑顔にして、敵と化したヴァルティアを味方に戻さねばならないからだ。
「ル、ルフィーナ。お、俺はこの国で生まれ育ったんだ。お前に見てもらいたい所があるんだ。きっと、気に入るはずだ。だ、だから、どうか機嫌を直してくれ」
「……それはなぁに?」
「もう少し行った所にそれはあるんだ。このまま馬で進んでくれ」
「そこが貴様の死に場所となるか。楽しみだな、カンラート」
「ぶ、物騒なことを言うなよ。お前、仮にも俺のパートナーだろ? お前も機嫌を直してくれ」
カンラートには確信めいた自信があった。庭で駆けまわっていたルフィーナならきっと笑顔になると。
カンラートと、ルフィーナを腰に乗せたヴァルティアの馬で、しばらく進むと青く生い茂った草原と風に揺られて笑顔を見せる無数の花々が、一面に広がりを見せている場所に辿り着く。所々で、春を待ちきれない花の芽が土から顔を出し、色の濃い土が露わになっていた。
「わあーー! 素敵なところね!! お花も草も、全てが生き生きとしているみたいだわ!」
「あっ、ルフィーナ様っ!」
ルフィーナは馬から勢いよく降りて、目の前に広がる花々たちのところへ駆けながら顔を近づけ寄せている。笑顔を取り戻したルフィーナにカンラートは安堵した。
「土に触るなんて懐かしいわ……アスティンを落としたのが遥か昔のことのように思えるわ」
まるで幼き頃の姫様に戻ったように、土を触り嬉しそうに走り回っている。やはり彼女には笑顔が似合う。彼女を悲しませてはならぬのだ。生涯において、二度と悲しませるようなことをしまいと心の中で誓ったカンラートだった。
「ねえ、見て見て~! 土から芽がひょっこりと出てしまっているわ! うふふっ、春が待ちきれないのね! 可愛いわ」
「ふふっ、ルフィーナ様は可憐な女性だ。そう思うだろ、カンラート」
「あぁ。彼女には笑顔が一番、似合う。あの笑顔を俺は大事にせねばならぬな……」
「……とは言え、罪は罪だ。貴様には相応の罰を与えてやろう。覚悟しとけ」
「……すまぬ」
「まぁ、今はルフィーナ様の笑顔を堪能しとくがいい。貴様のせいで土砂降りだった雨が、ここに来てようやく晴天を迎えたのだからな。この場所を知っておいて助かったな、カンラート」
「あ、あぁ。なぁ、ヴァルティア。ここまで来たんだ。良ければ俺の親に挨拶していかないか?」
「……悪いが、まだそんな気にはなれない。想いは通じ合っている。それは確かだ。それでいいだろう」
「そ、そうか。焦ることは無いということか」
「何よりも優先すべきは貴様を……敵である貴様をどう処罰するかが我と王女様の優先事項だ」
「お、おい……まだそれは生きているのか? あんなに笑顔になったではないか」
「女の涙はそうやすやすと許されるものではない。この国は貴様の故郷だ。数日は休ませてやる。貴様への罰はその後だ」
不覚を取ってしまった。そう思った彼は再び、項垂れた。
「ねえー、カンラートもヴァルティアもこっちへ来て~! 風がとても気持ちいいわー!」
「ええ、すぐに参ります」
「あぁ、向かうよ。ルフィーナ……キミは笑顔が良く似合う。泣かせてしまったのを忘れてしまう位に、もっとたくさんの笑顔をキミに向けてもらいたい――」




