39.涙を越えて
目の前で好きな人が本当に結ばれるべき人と口づけをしている。こんなの、こんな場面見たくなかった。これがわたしにとって、初めての失恋になるのかしら。婚約者がいて、ずっと想い続けている決められた人がいるわたし。
それでも、何年も傍にいてくれる人のことを好きにならないはずがないわ。互いを愛して、愛されていると思っていたからこそ、涙を抑えることがかなわなかった。
……何度も鼻をすするほど、とめどなく溢れる涙を流し続けた。
「どうして……どうしてなの? ――わたし、わたしは――っ」
「ルフィーナ……」
「お母様……っうう……っく……わたし、わたしは――っっっああぁぁあぁぁぁっ――」
「……そう、恋を……していたのね。思いきり泣きなさい。泣いて、泣いて……その想いを越えたら、きっと、あなたはまたひとつ、進んで行けるわ……ルフィーナ――」
泣いていたわたしを優しく抱きしめてくれたのは数年ぶりに再会したお母様だった。優しい手つきで優しく撫でられながら、お母様の胸で涙を流し続けた。
「……落ち着いた?」
「……ん」
「あなたはもう大丈夫よ、ルフィーナ。さぁ、お顔をお上げなさい――」
お母様はわたしから離れ、城へ戻って行く。同時に、ふたりの騎士がわたしにどう言えばいいのか、分からない表情で立ち尽していた。
「ひ、姫様……その……」
「ルフィーナ姫……あの――我は……」
「――あ」
そうよ、そうだわ。このふたりを結ばせるのに、わたしが悲しませてどうするの。もう、泣かない。泣かないわ! わたしはルフィーナ・ジュルツ。この国の王なのよ! さぁわたし、最初の王命を出すのよ!
「騎士カンラート、ヴァルキリーシャンタル。両名、わたくしに跪きなさい」
「姫様?」
「何しているのです! わたくしの前で跪くのです」
「はっ」
「ははっ……!」
「騎士ふたり……今より、わたくしルフィーナ・ジュルツに忠誠を誓うのならばわたくしの手に誓いの口付けを」
堅苦しいのは嫌だけど、まずは威厳を示さなければならないわ。さすがにわたしの雰囲気で気付いているはずだわ。
「カンラート・エドゥアルト……今より、ルフィーナ王女殿下に忠誠を誓います」
「シャンタル・ヴァルティア……この時より、我が主君としてこの身を捧げます」
「それでいいわ。では、おふたり……この場でもう一度、口づけをしなさい」
『えっ!?』
もうわたしは逃げないわ。むしろ目の前で見せつけてくれた方がせいせいするわ!
「ルフィーナ……そ、それはさすがに……」
「あら? カンラートは王命に背くと言うのかしら?」
「王命!? くっ……こ、このお転婆王女め……」
「ふふっ……敵わぬ。カンラートよ、我が主君の前で致すしかあるまい」
わたしの命じ通り、ふたりは再び口づけを交わした。さすがにカンラートは納得の行かない表情のまま、渋々していたみたいだけど。思いきり泣きじゃくったらすっきりしたわ。
わたしよりもカンラートの方が何年もシャンタルに会えずに護衛をしていてくれたもの。わたしのわがままな想いで、これ以上引き離すのはやめにしなきゃね。
「カンラート、シャンタル。両名の口付けを以って、婚礼の儀とした。祝賀についてはわたくしの即位後に、行なうことを約束致す……ま、こんなところかしらね」
「ルフィーナ……そういうことか。しかもまだ即位をしていないだと? くっ……してやられた」
「ルフィーナ様。では、陛下の病は偽りだったか?」
「それはどうかしらね」
仮病ではあったけれど、お父様はお母様といちゃつきたいに決まっているわ。2年の間は仮王女ではあるけれど、即位をいきなり言われるよりは全然いいわ! その方が心の準備が整うもの。
「騎士カンラート、シャンタル。あなたたちは、数日の内にわたくしの旅のお供をしなさい。これは王命よ。そして、シャンタル。見習い騎士アスティンへの指導役を、今この時を以って解きます。今後、彼が帰還を果たすまで会うことは許しません。分かったわね?」
「それがあなたのご意志なら、我は従います」
「ええ、もちろんよ」
カンラートと結ばれていても、アスティンの元へ戻ってしまえば彼はきっと彼女の傍から離れられなくなるに決まっているわ。アスティンはまだまだ子供のままなのよ、きっと。
「ルフィーナ。ではこの先の旅は、俺とシャンタルで君に付いて歩くのか?」
「そうよ。何か不満でもあるのかしら? わたしとしてはシャンタルがいてくれるととても心強いわ」
「我はルフィーナ様のお役に立ててごらんにいれます。カンラートでは心許ないことでしょうから」
「お、お前……そんなこと言うのか? これだからヴァルキリーは……」
「何か言ったか? 今すぐ婚約を解消してもいいのだぞ?」
「わ、分かった。すまぬ」
やっぱりお似合いのふたりなのね。これでいいのよ……わたしには彼がいるのだから――
× × × × ×
ルントールの町――
急にどこかへ行ってしまったシャンティだけど、すぐに戻って来るよね。もしかしたらもうこの町に戻って来ているかもしれないし。
「アスティン。何をきょろきょろしているの? あなたは仮にも騎士でしょう。町を歩くときは姿勢を正して歩いてくれないと、後で困ることになりますよ」
「ご、ごめんなさい。あの、ユディタもヴァルキリーなんだよね? 他にもいるの?」
「期待させといてごめんなさい。わたしはヴァルキリーではないわ。シャンタル様だけが国王陛下に認められたヴァルキリーなの。わたしたちは配下の騎士に過ぎないわ。それでも、アスティン……わたしはあなたよりも数倍強いわ。そしてもう一人、この町で待ち合わせている彼女も強いわ」
「え? もう一人の彼女? 待ち合わせてる……じゃあ、シャンティはこの町にはいないってこと?」
そんな、シャンティはいつ戻って来るんだよ。どうすればいいんだよ……?
バシーーーーーーン!!
「うわっっ!? い、いたたた……な、何? だ、誰だよ。背中を思い切り叩いてきたのは!」
銅鎧をしていても痛みを感じるほどに強い衝撃と痛みを感じ、驚きながら後ろを振り返った僕は一瞬、シャンティかと思って笑顔になりかけた。
「え、誰? シャンティ……じゃない」
「んー? お前がアスティンか。ふぅんーへぇぇーー? 弱っちい男だねぇ。あたしはセラフィマ。セラでいいぜ! これからよろしくな!」
「セラ! 驚かしてどうするの? ただでさえこの子は不安定なのに」
「悪ぃ悪ぃ! こいつが姫様の相手だと思ったら、つい手が出ちまった。弱っちくてまるで似合わねえと思ったんだよな」
「姫様? それってルフィーナのこと? セ、セラはルフィーナと会ったってこと?」
「あぁ。途中まで一緒にいた。あの方は強いぜ。女のあたしでも惚れちまうほどにな!」
ルフィーナ……僕とは別にキミも頑張っているんだよね。強い……か。僕はまだキミには――
「アスティン。あなたにはこれからわたしたちと行動を共にしてもらいます。セラとこのわたし、ユディタは王命により、あなたの試練を遂げるために尽力を惜しみません。見習い騎士から騎士への手助けをします」
「あの、シャンティは……?」
どうして2人の騎士が僕に付くんだろ。シャンティは戻ってこないとかじゃないよね。
「アスティン・ラケンリース。よくお聞きなさい。ヴァルキリーは、あなたが帰還を果たすまでお会いしません。彼女と共に試練を乗り越えたからこそ、今のあなたがあるのはわたしたちも承知しています。しかし、これはあの方のご意志なのです。アスティン。彼女の意志に背かず、最後まで試練をやり遂げることをここで誓って下さい」
「――そ、そんな」
そんなのってないよ。どうして、何で……僕から離れてしまったんだよ。シャンティ――




