37.陛下の仮病と姫様と
「……そうか、国王陛下が病に罹られたのか。分かった。我は今すぐ帰国の準備をする。ユディタ、後を頼む」
「はい。アスティンは私にお任せを!」
「いいか、絶対帰国させるんじゃないぞ! もしアスティンが帰国すれば試練は途中で棄てたとされ、騎士には上がることを許されないだろう。そして、姫様は必ず帰国をされるはずだ。姫様とアスティンが成人の儀より前に再会を果たしてしまうようなことになれば、婚姻が認められないやもしれぬ。アスティンにはそのこと上手く言い訳をしておいてくれ。では、頼んだ」
「はっ! それでは私はアスティンと、ルントールの町へ向かうことにします。シャンタル様、お気をつけて行って来て下さい!」
「ああ、分かった」
アスティンはシャンタルがいなければ何も出来なくなっているほどに腑抜けてしまっていた。それにも関わらず、国王陛下の病状も気になっていた彼女は、この機会にアスティンとの離が必要であると考えていた。
「このままずっと共に過ごしていては姫様とお会いした時でもアスティンは……それではいけないのだ。そして我も気を入れ替えねばならぬ。許せ、アスティン」
シャンティが国に帰ろうとしたのは本当に驚いた。元はと言えば、僕の言葉が間違ったばかりに彼女を泣かせたのが原因だったんだけど。必死に追いかけて追いついた時は心の底から嬉しかった。シャンティの傍を離れるなんて今の僕は出来ない。彼女は僕の心の頼りになるお姉さんなんだ。
女人の町では相変わらず、僕だけが厳しい視線にさらされてる。だけど、シャンティがいてくれるおかげでそれも気にならない。それでも早く別の場所に行きたい。そろそろシャンティは見回りを終える頃かな。
コンコン……
「おかえり、シャン……あれ? あなたはユディタ? シャンティはどうしたんです?」
「見習い騎士アスティン。ヴァルキリーシャンタル様からの言づてをお伝えします。『アスティン、我は危急の用があり、とある国に出向くことになった。アスティンはユディタと共に、ルントールという町へ向かっておけ。そこで次の試練に備えるのだ。我のことは心配いらぬ シャンタル・ヴァルティア』ということです」
「えっ? そ、そんな急に? 危急って、いったい何があったんですか? しかも僕を置いて行くなんて」
この前と違うけど、でも……どうして、僕に何も言わずに行くんだよ。僕が見習い騎士だから連れて行けないってことなの? シャンティ――
「アスティン。シャンタル様は寛大なお方です。あなたのことを置いて行ったのではなく、あなたのことを心配し、悲しませないように言づてを私に頼まれたのです。あなたは彼女にとても大事に想われていますよ。彼女のことを信じて、私と共にルントールへ向かってくれますか?」
「そ、そっか。分かりました。ユディタ、ルントールの町へ行こう。シャンティがそこへ行けと言ってるんだし、そこで待ってれば会えるよね」
「……えぇ」
試練を終えたとしても、今のままではルフィーナ姫に会わせられない。あまりにもアスティンは、シャンタルに依存しすぎている。彼の姿に騎士ユディタは嘆いていた。
「アスティンは宿舎にいた時からそうだったけど、誰か一人に夢中になれば他が見えなくなる……騎士としては不安定だわ。陛下の容態も心配ではあるけれど、アスティンにはいい機会と時間を与えて下されたのかもしれない」
× × × × ×
「ビーネア。我が娘は旅の途中でも父が病と聞いて、帰って来ると思うか?」
「ええ、間違いなく帰ってきますわ。それとも、陛下。いえ、あなたの病を無視してまで外の国に興味を持たれる娘がお望みですか? それはわたくしもどうかと思いますわ」
「う、うむ……すまぬ。此度のことは姫と見習い騎士の心を試すための試練。それだけのことで仮病を使うのは申し訳なく思う。だが、ヴァルキリーも報せを受けこちらへ向かっているようだ。アスティンが来ていないことを願う」
「もしあの子と鉢合わせをされたらどうなさいます?」
「そうだな……試練を放棄したとみなし、騎士アスティンには相応の……」
「そうならないように願いますわ」
「そうだな」
× × × × ×
「ルフィーナ姫。落ち着いてお聞きくだされ」
「あら? 改まってどうしたの? カンラート」
「アソルゾ陛下が病に倒れられました。至急、ジュルツへお戻りなさいませ!」
「……え。陛下――お父様が病? そ、それは本当なの?」
「――おそらく」
そ、そんな……なぜ、どうして急にそんな報せが入るというの? わたし、まだ外交旅を終えていないわ。どうすればいいと言うの?
「姫様。気をしっかりお持ちくだされ。ヴァルキリーも国へ戻ると報せが入りました。我らも帰国を致しましょう。陛下の無事を確認されてから、また旅を続けてもお咎めはないと思われまする」
ヴァルキリー……シャンタルのことね。じゃあもしかして、アスティンも来るのかしら? でもそれだと、わたしと違って試練を投げ出すことになるわ。どうかアスティン、試練を投げずに騎士としての役目を続けていてね――その時が来るまで、あなたとは会わないと決めたのだから。
「カンラート、早急に支度をしなさい! 陛下の……ジュルツ国へ一時帰国をするわよ」
「ははっ!」
ジュルツ国――
「王立騎士ヴァルキリー、シャンタル・ヴァルティア。只今、帰還致しました。王妃様、国王陛下のご容態は如何なのでありますか?」
「シャンタル。顔をお上げなさい」
「は」
「彼は……見習い騎士アスティンは一緒では無くて?」
「いえ、アスティンは途中の町にて試練の最中にござりまする。我の配下と行動を共にしており、此度の帰還は我一人だけにござりまする」
「そう……それはよかったわ」
王妃の反応を知り、アスティンを置いて正解だった。とシャンタルは安堵した。同時に、ルフィーナが戻って来ていることも悟っていた。
もしアスティンが戻って来ていれば、試練の途中で投げ出したとみなされ、騎士として認められない。ユディタに任せたとは言え、心には不安が残るシャンタル。
「アスティンよ、どうか我から離れてくれ」
シャンタルの胸の内は彼への想いを募らせるのがやっとだった。
「お母様! ルフィーナは戻りましたわ。陛下……お父様のご様子は?」
「お帰りなさい、ルフィーナ。あなた、成長したのね。陛下は寝室で休まれているわ。是非、顔を見せてあげてちょうだい」
「分かったわ! お母様。フィアナお姉様は……もういないのね?」
「……ええ」
「わたしはお父様の所へ行ってくるわ! お母様、そしてシャンタル。後でお話をしましょうね」
「ははっ」
駆けつけたルフィーナの姿を見ていたシャンタルは、姫に頭を下げ続けていた。何よりも、「私の存在にも気付いておいでだった。姫様は姫様でお辛い試練を乗り越えられたに違いない」そう思うしかないほど、輝きを失わないルフィーナの姿に見惚れてしまっていた。「あの方に敵うはずがないのだ」と。
「王妃様。では、我は失礼致します」
ビーネア王妃に頭を下げ、王の間を後にするシャンタルは、カンラートの姿に気付き足を止めた。
「失礼致す。王立騎士団副団長カンラート・エドゥアルト、ルフィーナ姫様より遅れての到着と相成りましてございまする」
「……カンラートか」
「シャンタル!? 随分早いではないか」
「お前が遅いだけではないのか」
「コホン、おふたり。込み入った話は外に出られてからなさい」
「し、失礼致しました!」
「申し訳ございませぬ。ルフィーナ姫はすでに陛下の元にあらせられたでございましょうか?」
「ええ、カンラート。後ほど、あの子……ルフィーナから陛下の容態を聞いてあげてくださるかしら?」
「はっ! では、失礼致す」
「我も、失礼致します」
ヴァルキリーと騎士。あの二人のような関係になる、そんな予感を感じてため息をつく王妃だった。
「お父様! ルフィーナは戻りましたわ。お父様……?」
寝室というからあまりに病状が重く、ベッドから起きられずにいると思っていたのだけれど……してやられたわ! わたしに負けず劣らずの、とんだいたずら陛下じゃない!!
「何故仮病を使ってまでわたくしを呼んだのかしら? 説明してくださるかしら、お父様」
「おぉ! 我が娘ルフィーナ。よく戻ったな。それにしても……随分と大人びたものだ。父は嬉しく思う」
「まさかわたくしに会いたいからというだけの為に仮病を使われたのかしら?」
「はっはっは……まさかな。いや、これも一つの試練なのだよ、ルフィーナ。ヴァルキリーと共にするアスティンはここへ来ていないようだが、もし来ていたらお前と会うことになったはずだ。お前はともかくとして、もし彼が試練を放棄して駆けつけていたら覚悟を決めてもらうところだったのだ。だが、来ては居ないようだ。そういうことだよ、ルフィーナ」
「ふぅん、お父様ってば案外意地悪いのね。おまけにいい年をしても大袈裟ないたずら国王だわ。さすがわたくしのお父様ね」
「ルフィーナ・ジュルツよ。もう一つ、この報せにはワケがあるのだ。アスティンが来なかったことは幸いであったが、ヴァルキリーのシャンタル。そして姫の騎士カンラート。このふたりを呼ぶ必要があったのだ。アスティンがいては成立出来ぬことだった。それについてはルフィーナ。後でお前が彼と再会した時にでも謝っておいてくれ」
「何か企んでいるのね? いいわ。聞かせてもらえるかしら、お父様」
ふふん、これはもう嫌な予感と予想の出来ない予感しかないわ。さぁ、何なのかしらね――




