36.心を奪う凛々しき姫君
谷底から少し道を上った先では、セラとミラグロスがホッとしたような表情でわたしを待っていた。ミラはアダとチュスが、わたしにしたことを知らなかったみたいだったけれど、きっとこの子たちはそれぞれディーサ王女に言われたことをしていたに違いなくて、そのことを追求なんてくだらないことをする気にはならなかった。
谷の中腹から地上に戻るまでの道は結局、騎士のセラに甘えることになるくらいに、わたしの足は動かなかった。騎士の彼女に抱えられながら、わたしと小さな3人の姫たちとでミストゥーニへ再び戻った。
「セラ。ここまでありがとう! じゃあ、わたしはカンラートの元へ行ってくるわね」
「ルフィーナ様、あなたならきっと大丈夫さ! この先、カンラートが要らなくなったらあたしを呼んでくれ。いつでも駆けつけるぜ!」
騎士セラフィマの豪快な優しさに触れて、わたしはカンラートの元へ急いだ。きっと、良くなるわ!
「ぐ……」
あぁ、カンラート。苦しさを我慢して眠っているのね。わたしがあなたを今、助けるわ。確か、万能草を煎じて飲ませる……だったわね。でも、眠っているのを無理やりに起こすのは可哀相だわ。
アスティンへの嫁入り前に誰かに口付けを落とすなら――あなたしかいないわ……カンラート様――
「んんんぐ……ん……ルフィーナ? ご、ごほっ……なっ!? な、何をしてる? 何故、俺と……」
「あら、何かしら? 愛しのお兄様に薬を飲ませるには、これが一番効くと思ったからしただけよ」
「お前、ルフィーナ……い、妹は兄にそんなことしないはずだ! それに、その……それはあいつ、アスティンに捧げる為のものじゃないのか!? 何故、俺なんだ。俺はあいつに何て言えばいいんだ」
「簡単よ。ずっとお兄様の大切な箱にしまっておけばいいのよ。パンドラの箱とはそういうものでしょう?」
箱に絶対開けられない鍵を閉めて、貴方とわたしで管理すればいいんだわ。
「し、しかし……」
「ふふっ。すっかり元気になったみたいね。良かったわ、カンラートが元気になってくれて。でも、しばらくは休んでいてね。病はおさまったかもしれないけれど、完全に癒えたわけではないわ。数日はまだ休んでて欲しいの。わたし、カンラートが……ううん、騎士カンラートにはいつも誇らしい姿で居て欲しいの。ね、お願い」
「ルフィーナがそういうのであれば、そうすることにする。詳しくは聞かぬが、俺の傷を治すのに苦労をかけたのだろう?」
「なんのことかしらね。とにかく、ここでしばらく、数日でいいからきちんと休めてね」
そうじゃないと弓の稽古を受けられないわ。カンラートが元気になるまでの間に、何とか技を身に着けてやるんだから!
なぜあの子はああも私の心を乱す御方なのか。カンラートは首を傾げながら思っていた。シャンタルに似た姫君。初めはそう思っていた彼。
レイリィアルでの行動、言葉……それら全てにおいて、王女の威厳のようなものを感じていたカンラートは、気のせいでは無かったと感じていた。
ルフィーナとアスティンが再び会う日まであと2年。出来ることならずっと、ルフィーナの傍で成長を見守りながら、彼女の見目の美しさと、笑顔、そして心の美しさを独占したかった彼はその想いを口にしていた。
「せめてあの子の兄として、ずっと支えとなりずっと傍にいてやろう――ルフィーナ」
「ま、まだまだぁ! まだよ! わたし、まだ放ち足りないわ!」
「ルフィーナは王女になれるかもだけど、弓を上手くするにはまだまだだね。あなたに敵を射てる覚悟があるの?」
「あるわ! わたしの大事な人、大切な人が大変な目に遭うのはもううんざりなの。その人が危ない目に遭う前に、わたしが敵となる相手を射るわ! さぁ、アダ。もっと矢を頂戴!」
ずっとずっと、護られて来た。わたしは剣も弓も扱えないわ。でも、もう嫌なの。近くにいる人を失うのはもう嫌だわ。そういう思いを繰り返さない為にも、たとえ指や手が傷だらけになっても絶対、弓術を得てやるわ!
「ふぅん」
ルフィーナに弓を教えながら、アダ姫はルフィーナが王女になったら確かめてみるのもいいかもしれない、そう思っていた。
「絶対、得てやるんだから!」
わたしは弓腰姫の本当のまとめ役、アダに弓を教わった。教わること数日。空を飛ぶ害なす鳥を射ることが出来た所で、弓術の試練は修了を迎えた。
「ルフィーナ姫。それが射れれば合格したも同然。あなたの騎士に見せてあげれば?」
「そうね。そろそろ彼も回復した頃よね。アダにお願いがあるの。宿にいるわたしの騎士をここへ連れてきて欲しいの。いいかしら?」
「何で私が……」
強気すぎる姫とお別れだと思えば、一度くらいはわがままを聞いてあげてもいいかもしれない。そう思ったアダ姫はルフィーナのお願いを聞き入れ、騎士カンラートのいる宿へ足を向けていた。
わけのわからないアダ姫に引っ張られながら、カンラートは宿から外へと連れ出されて来た。
「な、何事か? なぜ私をこんな場所に連れてきたのか……? む?」
「騎士。あなたの姫君を見てて」
「ルフィーナ姫……? あれは弓術か。あれほどお止めしたのに、私が休んでいる間に会得したのか」
弓を構えるルフィーナ姫とアダを交互に見比べながら、目の前のてんで隙の無いアダという子供に教わっていたこと、そのことに驚きを隠せないカンラート。
「あれが我がルフィーナ姫――」
ルフィーナ姫の矢を射る姿に心を奪われていたカンラート。腕がいいわけでもないのは、その場にいる誰もが見れば分かることだった。迷うことのない意志を示した彼女の瞳。そして、覚悟を決めた凛々しき姿に、カンラートは何度も頷いていた。
「最初からルフィーナ姫に心を奪われていたのだ。年は違えど、出会った時から変わらぬ信念。そして変わらぬ美しさに、私は身も心も奪われていた。そういうことなのだな」
アスティンと結ばれる運命のルフィーナ姫。ルフィーナ王女の傍に仕えるカンラート。
支えを誓う騎士となることを改めて、誓うことを心に決めていた彼は、弓を射続ける彼女に向けて誓いの言葉を口にした。
「口づけも、想いも、この身が果てるその時まで……我が箱に沈めておくことにしよう。ルフィーナ・ジュルツ。我が愛しき姫――」




