30.霧の国ミストゥーニ
馬車に乗っていたわたしとカンラート。互いが話す内容に不安を覚えた時、何故か馬車は動きを止めて御者の姿も見られなくなるほどに濃い霧が辺りに広がっていた。
それでもカンラートの傍にピッタリとくっついて、馬に乗っていると不安はどこかに行ってしまう……そんな気がした。
「それにしても見事なまでの濃霧ね。まるで先が見えないじゃない」
「姫様。何が起こるか分かりませぬ。私の傍を離れず、ご油断なきようお願い致す」
「あら、騎士言葉に戻ったのね。ということは何かを感じているのかしら?」
「は。……物の怪の類やもしれませぬ。将又、霧に乗じて賊が我らを狙っているやも……」
物の怪、ねぇ。それはそれで出て来てくれたら面白そうだと思うけれど、賊は勘弁して欲しいわ。
「姫様っ!!」
「な、なに!? 何なのっ!?」
カンラートの声を聞くと同時に、カンラートはわたしに覆いかぶさって来た。カンラートの銅鎧には、どこからか飛んできた矢が弾き飛ばされ、地面に落ちていた。
「姫様、しばしご辛抱を。濃い霧の奥から我らを狙い定めている者らがおります」
「何て狡い連中なの……」
「ルフィーナ様。私はこれから声を張り上げます。耳を塞いでくだされ」
「え、ええ。分かったわ」
カンラートが息を深く吸い込むのを間近で感じながら、わたしは耳を塞いだ。
『我が名はジュルツ王立騎士副団長、カンラート・エドゥアルト! 何用あって、我らを狙う!!』
す、すごい声量だわ。それにしても、改めて聞くと本物の騎士様なのね。
「王立騎士……? では、そなたらは」
複数の者たちがカンラートに驚きを見せている。
「どうやら我らジュルツの敵ではないとお見受けする。弓を収めて頂きたく存じる」
「これは失礼しました。では……」
何だか静かになったわね。もう安全になったのかしら? 顔を出してみると、辺りを覆っていた霧が晴れて、カンラートと対峙する人々の姿がハッキリと見えた。
顔は良く見えないけれど、白地のクロークを身に纏う使者の女性が目の前に立っていた。使者の女性以外の人々は気付けば、わたし達の前から姿を消していた。
「お初にお目にかかります。私はミストゥーニの人間でございます。騎士様に守られていたのは、お姫様であらせられますね? 正体が判明した以上、こちらに敵意はございません。お顔を拝見したく存じ上げます」
わたしに呼びかけているのね? そういうことならお姫様であるわたしをお見せしようじゃない。
「ルフィーナ・ジュルツですわ。ミストゥーニ? 霧を発生させていたのはあなたたちの仕業なのね? 何故そんなことをしたのか説明願うわ」
「ひ、姫様。どうか、お慎みを」
「カンラートに矢を当てたのは紛れも無い事実だわ。あなたは黙っていなさい」
「……は」
「我らは余程のことが無い限り、外交に応じることはありません。外部からの旅人も寄せ付けることなく、平和に日々を送ることだけが望みなのです。此度、そなたたちが我が国へ足を運ぶことは事前に報せを頂いておりました。それでも、近くで拝見せねば信用出来なかったのです。お無礼をお許し下さいませ」
事前に報せということはお父様が? そうでなければわたしは他国に易々と入れないということよね。それでも、レイリィアルは拒み続けていた国だったけれど。
「分かりましたわ。それでは、霧の国へご案内頂けるのかしら?」
「こちらへどうぞ」
ミストゥーニの使者たちに付いて歩くわたしとカンラート。ふと後ろを見るとすぐに霧が覆い、外の空も景色も見れなくなっている。なるほどね。あくまでも、許可がある人間しか入られない仕組みなのね。
国内に足を踏み入れたわたしは驚いた。霧で何も見えなかった周辺にこんな大きな国が隠れていたのかと。お父様はこの国にも訪れろと仰っていた。何か得られるものがあるということよね。
大きな国には違いないけれど、アーチ状の門をくぐった大広場に民の姿は全く見えなかった。見た目はとても綺麗なのに、人の気配がまるでしない国だった。どういうことなのかしら。
「ルフィーナ姫、もう間もなく城へ着きます」
眼前には城はそびえ建っていない。それなのに、城へ案内すると言って先導しているなんて変ね。
「(ねえ、カンラート。おかしいわこの国)」
「(いえ、姫様。直にお分かりいただけまする)」
カンラートは一度来たことがあるのか、妙に落ち着いていた。騎士は世界各地へ赴くと言っていたわね。それじゃあ、今頃はアスティンとシャンタルはどこかの町に行っているのね。それはそれで楽しそうだわ。
「これより、地下へと続きます。御足元にご注意をお願い致しまする」
「そうするわ」
使者に引き続いて降りて行くと、想像もしなかった世界がわたしの視界に飛び込んできた。地上には何も無かったのに、まさか地下に城下町も民もそして、城までもがあるだなんて。
「驚かれましたか? ルフィーナ姫」
「そ、そうね。何故このような造りに……?」
「それは王より直接聞かれるがよろしいかと」
「姫様、その様に致しましょう」
地下城ミストゥーニ――
「これはルフィーナ姫。よくぞ参られた。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
「ありがとう。あなたがミストゥーニの王女様?」
「ええ、わたくしはディーサ。先程は大変、失礼をしましたわ。そちらは騎士カンラートですね。お懐かしいことです」
「恐れ入ります」
やはり騎士はどこにでも赴いているのね。すでにカンラートと顔なじみというのも何だか悔しいわ。5年も共にいて仲良くなって、敬愛する想いも通じ合えたのに寂しく感じるこの心は何かしら。
「ルフィーナ姫には数日滞在して頂きまして、この国の文化と資源について学んで頂きたく思いますわ。そして騎士様がご安心頂けるように、お姫様には護身の技も伝授致しましょう」
「ディーサ様、それはいくら何でも……我が姫様にそのようなことは必要ではありませぬ。我らがお傍にいる限り、姫様の御身は――」
「……そうと言い切れるかどうか、その内に分かりますわ。ルフィーナ姫、どうでしょう? 技を身に着けいざという時、騎士様のお心を安らぎさせてみたく思いませんか?」
護身の技? 確かにわたし自身は何も出来ないわね。お父様は外交で政治や文化や、国を知って来いと仰るだけで、わたしが戦う様なことはお教え頂けなかったわ。ううん、それは望んでいなかったというのが正しいかしらね。
ジュルツは騎士の国。騎士様がいれば姫や王女は戦う術など身につけなくてもいいというお考えなのだけれど、カンラートを安心させることが叶うなら伝授頂くのもいい機会かもしれないわ。
「いいわ、ご伝授頂けるなら教わってみたいわ! それと、地下に住まう理由もお聞かせ願うわ」
「なりません! 姫様には私、カンラートがお傍に付いているのですぞ! なにゆえにそのような事を望まれるのです?」
「騎士カンラート。わたしは雪原の国であなたを失いそうになったわ。あなたをこれ以上、傷つけ、悲しませたくないの。そうした不安がこの先も無いとは言い切れないわ。だからお願い……わたしの我儘を受け入れて」
何も知らない、出来ない姫は嫌なの。どうか、カンラート……分かって。
「私は承知できませぬ。失礼ではございますが、一足先に宿に戻らせて頂きます」
わたしが騎士のことを信じていないわけではないのに、カンラートは宿へと足を向けて出て行ってしまった。わたしが不安に思い、不安を口にしたことがいけないことなの? 教えて……教えてよ、カンラート。




