17.優しい人の傍で
「ジュルツ国より仕りました、シャンタル、アスティンでござりまする」
「アスティン。顔をお上げになって」
「はっ……」
あぁ、やはりこの御方の優しくも儚い笑顔。ルフィーナの『姉』だった方、それがフィアナ様。ルフィーナには恐らく伝えられることのない真実。
「……積もる話もございましょう。私、シャンタルは失礼致します」
気を遣ってくれたのか、シャンティはこの場を外してくれたみたいだ。
「4年ぶり……になるかしらね? アスティン、こうしてまたあなたとお会い出来るとは思いもよりませんでしたわ。ふふっ、あの子のことで涙は流さなくなったのかしら?」
「い、いえ、涙は流石に。ルフィーナにはこのこと……?」
「いいえ、あの子は知らないことですわ。知られてしまう恐れはありましたわ。あの子は城の中を歩き回っていたことがあったわ。あなた……アスティンが涙を流した日のことよ。陛下から呼ばれた時のことを覚えているかしら?」
「は、はい。ルフィーナが城からいなくなって、大騒ぎしていたことですよね?」
「ええ。ルフィーナがもし地下室の書庫にまで入っていたら、わたくしの正体が分かられてしまった所だったわ。ただ探検をしていたみたいだったのが幸いだったわ。あの子の『姉』を、あの子が旅立つまでは貫き通したかったの。きちんとしたお別れでは無かったけれど、それで良かったのかもしれないわ」
「で、ではずっと、身分を隠して陛下の傍に?」
「それもあります。でもそれだけではないの。わたくしの国は決して平和ではなかったわ。それは今も変わることのない問題。そこで、騎士の護衛を頼みたくてあなたにお願いすることになったの」
最初の試練が僕にとって、かけがえのない試練にもなるなんて。シャンティは何もかも知っていて、この国の王女の護衛試練を僕に課してくれたのだろうか。そうだとしたらますます頭が上がらない。
「ぼ……私でいいのでしょうか? 未だに正式な騎士として認められていないというのに……」
「ふふっ、あなただからいいの。わたしもアスティンのことをルフィーナと同じように可愛く思っていたわ。あの子の様に我儘ではないし、少しばかり泣き虫ということだけでとても好きだったの。あなたの存在がわたしもそして、あの子をも救ってくれていたのよ。ありがとうね、アスティン」
フィアナ王女の優しい笑顔はあの頃と変わらないままだ。僕以上に涙を流した日々があったに違いない。でもそれを僕やルフィーナに見せることの無かった方だ。この御方の傍に今こうしていることが、信じられない。
「フィアナ様の警護は具体的にどうすればよいのでしょうか?」
「城外では常に傍にいてくださるだけでいいわ。ルフィーナに知られたら大変なことになるでしょうけどね」
「そ、そうですね」
「では、アスティン。後ほど、お願い致しますわね」
「は」
※
「今の気持ちをどう答える?」
シャンティは珍しく城の外で僕を待っていた。それも普段は見せない優しい瞳で。
「嬉しい……いえ、何とも言えないです」
「幼き頃からの面影はそのままか。しかし、かつては憧れの想い人であった。そうなのだろう?」
「……はい」
ルフィーナがいたずらしたりわがままを言ったり、僕が泣いていると必ず慰めてくれた彼女は、とても優しく儚げだった。時折見せる寂しそうな表情はあの頃には分からなかったし、気付けなかった。その意味が今は分かってしまう。それが僕には辛い。
「……アスティン。今だけ特別に貸してやる」
「――あ」
僕はシャンティの言葉に甘え、彼女の胸に倒れ掛かるようにしてむせび泣いた。彼女の運命は己を封じ込めて来ていたはずなのに、それなのにあの頃の僕を受け止めていた。誰よりも泣きたかったに違いないのに、それなのに……。
「アスティン。騎士は人前でも人前で無くても、涙は見せてはならない。泣くときは心の中で流さなければならぬ。だが、今だけ……今だけは私がお前の涙も悲しみも受け止めてやる……アスティン」
優しい言葉をかけているシャンティに優しく頭を撫でられながら、僕は泣き続けた。こんな形で出逢えるなんて想像もしていなかった。僕はこの試練がただの通過点では無いことを身をもって知ることになる。
「――落ち着いたか?」
どれほどの時間を泣いていたのだろうか。こんなにも泣き続けたのは、ルフィーナがいなくなった時以来かもしれない。そして気付く。ずっと、シャンティの元にいたということを。
「――!? わわっ!? シャ、シャンティ……ご、ごめんなさい」
怒られてしまう。そう思ってすぐに彼女から離れたものの、彼女はフッと軽く笑ってくれている。
「もういいのか? 私と触れ合いたかったのだろう? いや、すまぬな。だが、靄がかった気持ちはすっきりと晴れたようだな」
あぁ、そうか。シャンティに芽生えていた気持ちはそう言うことだったんだ。ずっと傍にいるから気付くのが遅れてしまったけど、シャンティは僕の憧れのお姉さんなんだ。恋心とは違う気持ちだったんだ。
一人で誰にも見せずに泣くよりも、彼女に支えられながら泣くことの方がこんなにも……穏やかで、落ち着くものだったなんて。
「はい! 僕はもう簡単に涙を流しません」
「ん」
「この国の……いえ、試練を王女護衛にしたのは僕と彼女のことを知っていたからですか?」
「あぁ……そうだ。だが国の重要ごと、王族のことなどは全ての騎士が知っているわけではない。だからこそ、お前に課すことを決めたのだ」
「あの、ルフィーナは外交旅で各国を訪れていますよね。いずれこの国にも来ることになるのですか?」
僕はフィアナ様と再会できた。それでも涙を堪えることが出来ない位の気持ちになった。ルフィーナがここに来てしまったら、どうなってしまうのだろう。僕はそれがすごく心配だった。
「ここへは来ぬ」
「え? ど、どうして?」
「我らと違って、あの御方が訪れる国は決まっているからだ。我ら騎士は、世界の全てを知る必要がある。だが、あの御方はあくまでも外の国……知らぬ世界の知識、文化、政治を得ることが目的であるからだ。お前はこの国に入って来て何か気付かないか?」
そう言われればそうだと気付いたことがあって、フィアナ王女と再会した場所には限りのある人間しか見えなかった。騎士はもちろんいなく、兵の数も少なかった。城下に至っては賑わいを見せることも無く、ただ静かに過ごしている。そんな印象を受けてしまった。
「ここは……地図に無い国。そういうことですか?」
「そうだ。あの御方が訪れる国や町などは、道標がある所だけだ。そして、王女と出会えたのはアスティン。お前だけだ。さだめられた運命には抗うことなど許されてはおらぬ。王女がジュルツ国から出立された時、もう二度と会えないことも承知だった。妹君にも会えぬことをだ。だが、お前には会うことが叶った」
「そ、そんな……そんなっ! ルフィーナには二度と会えずにここでずっと一人で……」
「そういうことだ」
「うううっ……ぐっ……」
もう泣きたくても泣けない程の涙は流した。それなのに、泣くことを止められない現実。それでも、この涙はシャンティにではなく、僕の心の中で流すことと決めた。
「アスティン。華やかに見える王女や国王であっても、内情を知られることは少ない。だがこうして、お前は彼女の元へ来れた。だからこそ、お前に託したかった。試練をやれるな?」
「……はっ! 見習い騎士アスティン。フィアナ王女の護衛試練、必ずや遂げてみせます」
僕は逃げない。ここで起こること、見せられることの全てを受け止めて、僕はフィアナ王女の心を少しでも癒して差し上げたい。それが僕……いや、ルフィーナへの想いの証として彼女と共に残したいんだ。




