12.波の音色と綺麗な彼女
「アスティン、早くしないか! 何故男のくせに支度に手間をかけているのか」
「ご、ごめんなさい。で、でも、海が見える町なんて初めてで、何だか楽しみなんです」
「全く、2年経とうが貴様は何も変わらぬな。身長が少しばかり伸びただけではないか。これは休暇ではないのだぞ? あくまでも、気休めに過ぎぬ。私とて、そうやすやすと休む程緩みの気持ちは持つことは無いぞ」
「いやー、ぼ、俺は海が見たいんですよー。シャンタルも本音は見たいですよね?」
「戯けが……」
2年の間、俺はシャンタルさん改め、ヴァルキリーのシャンタルと共に、各地の町や村を訪れていた。彼女のおかげで基礎体力は出来上がり、疲れを感じにくくなった。ただ、相変わらず剣や盾はまともに使わせてくれていない。あくまでも外の世界を見て回りながら、各地の空気を味わえということらしいけどその意味を理解出来ないまま、別の町へ来ていた。
俺は自分のことを今まで『僕』と言っていた。それを変えたのは、舐められたくない気持ちが芽生えたからだ。ルフィーナがいることが当たり前だった時は、違和感を感じることも無く過ごしていたけど、今はこれが普通となっている。彼女に再会した時には彼女から正式に認められるように言葉遣いから変えて行きたい。
「アスティン、私はこの町の管理所に向かうぞ。貴様はどうする?」
「あっ、じゃあ俺は一足先に、海に行って来ていいですか?」
「……好きにしろ。時間厳守で宿に戻っていなければ、先に出立するからそのつもりで」
「ひっ……はい!」
シャンタルの厳しさは変わらない。だけど、父様は王命から戻ることが無く気付いたらシャンタルとは2年以上も一緒にいて、さすがに少しは会話も出来るようになっていた。シャンタルは俺よりも4つ上。そこで気が付いたことがあって、俺はどうやら年上の女性には頭が上がらないみたいだ。
ルフィーナは同じ歳でもあったけど、昔から一緒にいてしかも、彼女自身が割と姉の様な態度をしていたから、自然と姉と名が付く年上のお姉さんには逆らえない。それが俺、アスティンだった。
「ヴァルキリー様。遠路はるばる、お越しいただきまして……」
「世辞は要らぬ。して、状況は?」
「さすがですね。気付いておいででしたか」
町に入ってすぐに気付いたシャンタル。穏やかに見える港町で、殺気がひしひしと流れて来るのを感じていた。誰に対して向けられているのかも、彼女は分かっていた。
自分に向けられている殺気は、大多数の敵によるもの。つまり、いま、姫の近くには誰もいないということを理解した。
「身代金を要求しております。しかし、わたくしはそれが本物の姫様かどうかを確かめてはいません。ただ一つ、確実なのはここを訪れる予定の騎士様が必死になって、姫様を探しに参っているということだけでございます」
「騎士とは、カンラートのことか?」
「名は存じておりませぬが、恐らくそうだと……」
「奴め。長く接していないが、腑抜けてしまったのか? 奴は今どこに?」
「あの御方でしたら、間もなくこちらに……」
扉が開き、騎士の姿と確認したシャンタルはすかさず剣を引き抜き、カンラートと剣を交えた。「あぁ、やはり奴だ」そして、決して衰えてはいないことを確認出来たシャンタルだった。
「シャンタル……!? な、何故、ここに来ている?」
「私が来てはまずいことでもあるのか? 剣は錆び付いてはいないようだが、動きは錆びているみたいだな。何故お前が失態を曝すのか」
「す、すまぬ。賊に不覚を……」
「あいつに知られてはまずいことになる。早急に見つけ出し、さっさとここから去れ。いいな?」
ここで捕まっているとされる姫に何かあったと分かれば、アスティンは力量の分からぬ相手であっても確実に向かっていくことをシャンタルは知っていた。彼が姫と会うのは互いの成長を遂げた時でなければならない。シャンタルは気持ちを一層、引き締めることを決めた。
「何? まさかお前に付いている騎士候補とはアスティンなのか?」
「何だ、知らなかったのか? とにかく、姫は私が連れ出してお前に会わせる。その間、姿を隠せ。いいな?」
「あ、あぁ。しかしシャンタル。久しいことだな」
「それを言う時ではないだろう」
姫が攫われたことをシャンタルは知っていた。アスティンを遊ばせる為だけに、ここを訪れたわけでは無かった。アスティンには知られずに任務を遂行する。それが、彼女の役目でもあった。
むーむー……全く、わたしを放置してどこかへ行くなんてどうかしてる。口元の布は少しずつずれ落ちて来て、窒息することはないけれど、どこの小屋とも分からない場所は、灯りも点かないのか暗くてかなわないわ。
それにしても、カンラートはまだわたしを探し回っているのかしら。先程から聞いたことのない音が聞こえてくるのだけれど、これは水の流れる音なのかしら?
「そこにいるは姫君か?」
水の音に混じって、女性の声が小屋の外から聞こえて来た。誰だと言うの?
「……あなたは?」
「我はヴァルキリー。そなたを救いに参った。貴女を攫った賊は全て征伐し、獄へ送ってございます」
「カンラートの言う彼女ってあなたのことね?」
「……すぐお開け致す」
縄はわたしをきつく縛ってはいなかったけど、扉が固くて開けることはかなわなかった。そうなると、無駄に足掻いても仕方のないこと。助けがいずれ来ると思っていたけれど、まさか会いたいと願っていた彼女が来てくれるとは思わなかった。
「ルフィーナ姫。ご無事で何よりだ」
「あなたがヴァルキリーね。綺麗な髪色をしているのねー。お手入れも完璧ね! おまけに顔立ちも綺麗なのね」
わたしを救いに来たヴァルキリーの彼女は、まるで金色に輝く髪色をしていてその長い髪を風になびかせながら、強い意志の瞳と共にわたしを見つめていた。
「ルフィーナ姫と共にいる騎士の失態。我が代わって、お詫び致す。もし此度の事を許さぬと申せば、奴とは切らねばならぬ。姫はどう致す?」
「騎士って、カンラートのことよね。あなたとカンラートは想い合っているのでしょう? それをわたしが切るなんてこと、するはずがないわ! 旅には危険がつきものっていうのでしょう? わたしは彼を信頼しているの。こうして無事にいられたのも彼のおかげよ。ヴァルキリー……あなた、お名前は?」
「我が名はシャンタル。故あって、姫とはこの場で別れねばなりませぬ。お許し頂きたい」
「あら、そうなのね。カンラートとは会えたのかしら?」
「……ええ」
「それならよかったわ。彼はどこにいるのかしら?」
「町の外よりすぐの場所にて姫をお待ちしております。では、お気を付けて」
「ねえ、先程から聞こえて来る水の音は何かしら?」
「この町は港町。海から聞こえる波の音にございます。今度は、姫の大事な方と来られるとよろしいかと」
「そうね。きっと彼は泣いて喜ぶに違いないわ! シャンタル。助けて頂いて光栄でしたわ。またいつかの機会にお会い出来るのを楽しみにしているわ」
「はっ、必ずや」
この場から去っていくルフィーナ姫。後ろ姿を眺めながら、自分では到底かなわぬ。そう思うシャンタルだった。
自分のことを褒めていた姫君は、自分とはまるで違う御方。アスティンどころかカンラートですらも、見惚れてしまうのは当然だと思うしかなかった。
まずはアスティンを鍛え上げ、ルフィーナ姫に会わせても恥ずかしくないようにしなければならない。それが自分の役目だと再認識したシャンタル。
「アスティンは自分が鍛えてやらねばな」




