ドリームズ・オンライン(仮)
連載(予定)作品の設定を元に書いたものとなっております。様々な矛盾おかしな点があると思います。どうかお許しください。
自分は逃げていた。
何からだろうか? それは、自分にもわからない。けれど、それに捕まればきっと良くない事が起きる。ただその衝動のみが自らの足を急き立てる。
ただ前を向き、逃げる。逃げる。
不思議とどれだけ走っても息切れ一つしなかった。もうずいぶんと長く走っている気がする。しかし、背後から何かが追ってきている。これだけは後ろを振り向かずとも確信していた。けれど、ああ、けれど。一体いつまで逃げ続けなければいけないのか。このままでは、これは永遠に続いてしまうような予感すらする。
不意に、振り向いてしまおうと思った。
なぜか、自分は追われていると認識してから一度も、後ろを振り返り、追って来ている存在が何なのかを確認していなかった。むしろ振り返ってはいけないという、強迫観念のようなものまであった。
振り返ってしまおう。意を決す。
あるいは。永遠とも感じてしまうような不安に、相手の姿を明確にすることで安心感を得たかったのかもしれない。
少し追って来ているものが何なのかを確認するだけ。そう自分に言い訳しながら後ろを振り返る。
そう。後ろを振り返って、しまった。
そこには。
――ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。
眠りから浮上させる音がする。
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。
少しずつ、自分の意識が明確になってくる。
眠くて布団から出たくないのに、時計はいつまでも無機質な音を鳴らし続ける。仕方なく、布団からでてアラームを止めた。七時。外からはカーテンの間を縫って、日の光が差し込んでいる。眠気を覚ますついでに体をほぐす為、大きく伸びをする。学校があるので、制服に着替えなければいけない。高校生は制服を着る。誰でもわかる常識だ。そう、誰でも。手早く制服に着替える。まだひどく眠気が残っているようで、ボーっとした感じがする。
……そういえば、なんだか恐ろしい夢をみていた気がする。しかし、どうしても夢の詳しい内容を思い出すことは出来なかった。
ダイニングルームに出る。そこではすでに母親が朝食の準備をしていた。父親は、背もたれのついた椅子に座り新聞を読んでいる。
「―――――、 ―――。―――」
「うん。おはよう。ごはんできた? うん、すぐ食べるよ」
母親と朝の挨拶をし、朝食を食べ始める。トーストと牛乳。簡単なものだが、用意してもらっている分文句は言えない。仕方ないなと思いながらも食べ始める。
『現在健康的な若者を中心に、眠った人間がそのまま起きずに死亡するという、謎の死亡事例が多発しています。』
テレビでは、最近起きている変死事件について取り扱っていた。確か、被害者には何の接点もなかったはずだ。
「――――、 ――――――、 ――――」
「あ、わかってるよ父さん。ちゃんと勉強してる。次のテストでは前よりいい点数をとれると思う」
父と学校の成績などについて話す。しかし、父が新聞から顔をあげることはない。そんな父に呆れて笑いながらも、自分は朝食を食べ終えた。
「――――――――」
「あ、行ってきます」
親が見送ってくれる中、学校へと出かける。優しい母と、厳格だが頼れる父。ああ、なんて絵にかいたような理想的な家族だろう。そうふと思った。
学校につく。付近に住んでいるものなら誰でも羨むような有数の進学校。優秀な教師。勤勉で健康的な生徒。濃紺のスカートと、青みが掛かったシャツ。胸元に赤のリボンを付けた、女子の制服。汚れのない、建ったばかりであるかのような校舎。学校の評判もすこぶるいい。自分がそこに毎日通学しているということが一瞬信じられなくなるほど、よくできた学校だと思う。
「――――――――」
「おはようございます!」
校門に立っている教師と気持ちのいい挨拶をして校舎に入っていく。まだひどく眠いが挨拶だけはきちんとしておくべきだろう。今日も良く学び、友人とふざけあい、女の子とたわむれる。そんな一日を過ごす。それはとても素晴らしく、かけがえのないものだ。教室に入る直前、なぜかそんなことを感慨深く思った。
なんだか一日が早く終わったな。
全ての授業が終わり、帰り支度を始める。あまり授業内容が頭に入ってこなかった。昼休みなども、友人と話さず、眠っていた。終始眠気に襲われ、ボーっとしていた気がする。疲れているのかもしれない。今日は早く家に帰ってすぐに寝よう。そう思いつつ、あくびをかみ殺しながら教室を出ようと思う。
「―――――――、―――――――」
「ごめん、今日は一緒に遊ぶのは遠慮しておく」
「―――――? ――――、――。――――?」
「ちょっと眠くて。昨日結構早めに寝たはずなんだけど。だからごめん。また明日」
「――――――――」
教室をでて帰ろうとするところを女の子に一緒に帰らないかと誘われた。普通なら、一も二もなく首を縦に振っている。しかし今はあまりにも眠い。女の子には申し訳なかったが、今日はお断りした。
家に帰る道の途中。空はまだ青く、下校途中なのかランドセルを背負った子供らが幾人か歩いている。子供達を横目に見ながら、大きく欠伸をする。ひどく眠い。ボーっとしつつ家へと帰る道を歩く。あまりの眠気に、なんだか頭痛までしてきた気がする。
ふと視線を感じた。気になり、そちらを見る。
そこには、ひどく非現実的な存在がいた。
通学路の途中に、いつも子供が入り浸っている駄菓子屋がある。その駄菓子屋の入口の前に、少女が一人佇みながらこちらを見ていた。
年齢は九、十程だろうか。白く、しかし艶のある髪を腰まで伸ばし。服装は純白の、ロシア人形のようにフリルの多くついたものを着ている。顔立ちもまた、精巧な人形のように整っていた。
少女は青みがかかった目でただこちらを見ている。そこには、なんの感情も伺うことはできない。ただ、自分をじっと見つめている。
瞬間、これまでにない程の眠気が襲ってきた。あまりの眠気に少女がこちらを見ていることも気にせず、目をつぶる。自らの手で顔を強く叩き、おもいきり振る。
目を開けると、そこには少女の姿はなく、先ほどまでいなかった数名の少年たちが、菓子を美味しそうにほおばっている姿だけがあった。
家につく。母親は買い物にでも行っているのか、人がいる気配は全くなかった。制服を着替えながら先程の少女は一体何だったのかと考える。あるいは、この眠気が見せた白昼夢というやつだろうか。しかし、夢の割には随分とはっきりしたものだった気がする。
部屋着に着替え終わった後、そのままベッドに寝転がる。
あれは、眠気が見せた幻だ。そう思うことにする。いたはずの少女が突然消え、いなかったはずの子供たちが現れる。どう考えても、それは現実にはあり得ないことだ。幻だとしか思えないほどに、先ほどの少女は非現実的で――そう、まるで夢の世界から抜け出てきたかのようだった。
ああ、夢を見ているのだと思った。これは、海の中だろうか。自分はそこをゆったりと漂っている。とても真っ暗で、ここは深海なのだと思う。深い闇の中のはずなのに、たくさんの生物のようなものがうごめいている感覚がする。あるいは、闇に何かがいると思うから、生物が存在していると感じるのかもしれない。
夢の世界では、物事が起きてから思うのではなく、思うからこそ事象が発生することがままある。
しかし、なんて気持ちが良いのだろう。真っ暗な深海を、ただふわふわと漂うのは何も力が要らずとても楽だった。どこまでも主観でしか構成されていない閉じた世界を、ゆらゆらと漂う。
思えば空を飛ぶ夢以外を見るのは、随分と久しぶりな気がする。自分は最近、空を飛ぶ夢ばかり見ていた。自由に空を飛べている時はとても気持ちが良い。しかし途中からいつも何かが足を重くし、うまく飛べなくなる。気持ちが力み、何とかもっと高く飛ぼうとして、それでもだんだんと下に引っ張られていく。そしてそこで目が覚める。最近はいつもそれの繰り返しだった。
例外はそう、今朝の、内容が思い出せない夢。少なくとも、いつもの空を飛ぶ夢ではなかったように思う。
ここまで考えて、自分は違和感を覚え始めた。その違和感が何なのかを探る。それを自分が探ることができるという事実によって、理由に気づいた。
意識がはっきりとし過ぎている。まがりなりにも、ここは夢の中のはずだ。自分が夢を観ていると分かりながら夢を観ている時、夢の内容はいつもとても不安定だった。簡単に別のイメージしにとってかわられ、一瞬で見えるものと、世界までもが変革する。しかし、今回は違う。常に頭から自分が深海にいるというイメージが頭から離れない。いや、イメージという生易しいものではない。自分は今、確実に深海の中にいる。
フワフワとしていた視界が徐々に定まってくる。段々と、深海にいる人間が本来受けるはずであろう感覚が強くなってきた。息が苦しくなり、肺が圧迫されるような気分がする。深海において受けるとてつもない圧力が、自らの体を押し潰していく。
イメージでしか無い筈の生物のような何か達は、既に恐ろしい不定形の怪物へと変貌し、圧倒的な存在感をもってそこに顕在していた。まるで最初からそうであったかのように。
顔から直接手と足が生え、自分の腕や足よりも大きく、鋭い牙を持ったモノ。一見手の平大の人形に見える姿でありながら、巨大な血走った目玉をニョロニョロと覗かせているモノ。黒い影のようだが、形を変えながら蠢き、そこに存在するだけで酷い嫌悪感をもよおすモノ。グネグネ、ブヨブヨと胎動し、時折腐った液体の様なものを体から噴き出している不定形で汚らしいモノ。それらは自分の頭の中から生み出されたとは思えない程に、リアルさとグロテスクさを兼ね備えていた。
深海の怪物達は、自分の体を引き裂き、貪り、侵しつくそうと一斉に迫ってきた。その邪悪で醜悪な風貌そのままの本能をむき出しにして。己たちのテリトリーに侵入された獣のように。爪で、牙で、触手で、あるいは、体液で溶かそうと。怪物たちの形と、自分を襲ってくるという事だけは見えずともイメージとして分かるのに、そのモノ達からの悪意は肌に直接突き刺さるかのように感じられる。
声にならない絶叫をあげた。音として発せられなかったそれは、暗黒に包まれた深海の中に、吞み込まれるかのように吸い込まれていく。
自分は必死に上を目指して逃げた。何故上を目指したのかは分からない。ただ一刻も早くこの醜悪な怪物達がいる真っ暗な深海から立ち去り、光に包まれたかった。暖かい、安心できる光に。この世界が夢だと分かっていても、あの生物達に捕まってはいけない。この世界に留まってはいけない。その衝動だけが自らの肉体を上へ上へと浮上させていく。より速く、速くとイメージして。
夢の世界に体力という概念は無い。本来ならいつまででも衰えることなく逃げ続けられる。しかし。変わらず体を占め締め続ける深海の圧力。明かりのまったく見えない、無限とも思えそうなほどに続く暗闇。常にすぐ後ろを追ってくる怪物達による恐怖。これらによって、気力はガリガリと削られていく。
諦めてしまおう。
ふとそう思った。自分は何を恐れていたのか。これは所詮夢の筈だ。怪物達に捕まっても、暗黒の深海に吞みこまれても、どちらにせよ目が覚める。必死になって逃げ続けることに、一体何の意味があると言うのか。
上へと浮上するイメージを捨て去り、身を闇に任せる。深海の圧力は、自分の体をたちまちに捕まえ、動けなくした。怪物達は、逃げる事を諦めた獲物にほくそ笑み、我先に肉を貪り、血をすすり、邪悪な欲望を満たそうと押し寄せてくる。
怪物の一体の触手が自分の肉体に触れようとした瞬間。
世界に光が射した。
暖かく、しかし鋭く闇を切り裂く光。それは怪物たちを照らし、醜い姿をさらす。光に焼かれ、苦悶と怒りを含んだ、声とは思えない声を上げながら怪物達は消滅していった。光はなおも広がる。暖かく、優しく。自分を、胎内にいる赤子のように包みながら。
思い出しなさい。
広がり続ける光の中で、そんな声が聞こえた気がした。
彼。シュウは、目が覚めた。
いや、その表現は正確ではないかもしれない。闇に包まれた悪夢の中にいたシュウは、不思議な世界に立っている状態で目を開いた。
そこは、どう考えても現実的ではなく、しかし、どこまでも美しい世界だった。空は一面を虹の様に、色を何色にも変えながら輝いている。所々にある雲は、猫、犬、馬、ネズミ、魚、果ては昆虫など、様々な形の物が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。シュウ自身は、姿が浮かび上がるほどに磨き上げられ、舗装された大理石の道の上に立っていた。その周りを何人もの人がシュウに一瞥をして通り過ぎていく。
地上には、たくさんの建物が何列にもなって並んでいる。しかし、その形も、高さも、国も、文化も、年代までもがバラバラだった。江戸時代の民家のような建物の横には、ギリシャのパルテノン神殿と全く同じ物が建っていて、窓ガラスが大量に張られた現代風の高くそびえ建ったビルの隣には、竪穴式住居のように見える家がある。この世界を闊歩している存在もまた、夢のようだった。
虹色の空には、大きく翼を広げた真っ赤な竜が悠然と飛んでいる。猫の形をしていた雲からは生きた猫がたくさん飛び出し、一匹一匹集まって東洋の龍を形作り、竜に喧嘩を売りだした。遠くには、巨大な数百メートルもある緑色をした巨人がいる。その巨人と同じ高さの山相手に何故か、巨大な花束を山に差し出しながら何度も何度もお辞儀をしている。
様々な建物がある街。そう、街の人間もおかしな格好をした者ばかりだった。日本人のような顔立ちをした、巨大な両刃の剣を背に負っている、騎士を彷彿とさせる鎧を着た男性。
金髪碧眼ながら、花魁のように艶やかな着物で優雅に歩いている女性。白髪を振り乱しながら、スーパーマンの服を着て地面をスレスレで飛行している老人。Tバックのみを履き、両手を上に挙げて飛び跳ねている黒い肌をした男性もいる。
黒いフワフワとしている毛をもった、大きな狼のような動物に頭をガジガジとかじられてもがいている人。アニメや漫画にでてくるような、現実味のない程顔が整った男数人に、厳しい顔をしながら囲まれている女性。
どれもこれも、この世のものとは思えない風景ばかりだった。しかし、全員一見楽しそうに振る舞っているが、どこかピリピリとした緊張感が漂っている。まるで何かに怯えているように。
「……あ? ……え?」
シュウは混乱していた。目の前のありえない状況に。まだ夢の中にいるか、自分の頭がおかしくなったのではないかと思えるほどの情景に。完全に脳の容量を越えた状態で、なんとかこれは夢なのだとシュウは自分自身に言い聞かせる。試しに頬を引っ張った。引っ張られているという感触こそあるものの、痛みはない。ならばここはやはり夢の中だろうか、とシュウは思う。しかし、足はしっかりと地につき、視界も定まっている。なりより、肌に、心に触れる、この世界の本来なら有り得ない筈のリアリティーさを伴った空気が、ただの夢ではないと告げている。あまりの事にシュウの気が遠くなりかけた時。
「大丈夫だから、落ち着いて?」
「……へ?」
一人の少女が、シュウに話しかけて来た。
」
シュウに話しかけて来た少女は、名前をアカネと名乗った。
百六十のシュウと同じほどの身長に、肩ほどに伸ばした茶色い髪。少女と言うより少年と言った方がしっくりとくるような子供らしい顔に、活発さが溢れている瞳をしている。服装は、シュウが通っていた学校と同じ制服を着ていた。
「つまりここは夢の世界ってことだよね?」
「うん、まあ、そういうことだよ」
シュウは落ち着いてから、アカネと名乗った少女に、この世界の説明を受けた。この世界は全ての人々の無意識の奥深くで繋がっている、オンラインゲームで言うサーバーのようなものだということ。この世界には他にも幾万人もの人間が、眠ることによって接続しているということ。そしてシュウは、偶然この世界に来れてしまったのだろうということを。
「ゲームじゃあ、サーバーに情報が集中して、プレイヤーのステータスとかを管理しているでしょう? それと同じようなものだと思えばいいよ。この世界には、全ての人が経験した事や、知識が詰まってる」
「でも、ここはゲームでも、ましてやただの僕が見ている夢という訳でもない」
「そう。夢には違いないんだけどね。人類皆で見てる夢っていったら良いかな。ここは全ての人々の無意識に、リアルとして確かに存在している。存在が確かかどうかは、それを何人の人間が認識しているかによるでしょう? だったら、全ての人間が無意識に認識しているこの世界は、ひょっとしたら現実よりも現実だよ」
シュウは話を聞いてからもう一度周りを見渡した。この世界は、シュウや他の無数の人々の無意識によって成り立っている。一人で見る夢のような、不確かで閉じられた世界ではないということを確認する為に。
足からロケット噴射のように激しい火を放ち、空高くへと舞い上がっていく少年。それを、黒い毛並みの、ライオンよりも大きい犬に跨り、同じく空を駆け上がりながら追っていく黒いロングヘアの少女。何故か数十人もの幼女に胴上げをされている、Tバックのみを履いた黒い肌の男。虹色の空では、竜が猫達に肉を食い尽くされて骨だけになりながらも空を飛んでいる。
「これが、確かにあるもの? 人類の意識と無意識の集合した場所?」
「まあ、そう言っても意識と無意識で構成された世界だからね。半分夢みたいなものだし。基本イメージさえきちんとすれば、ホントに何でもできるよ」
自分が見ているモノの摩訶不思議さにシュウが頭を抱えていると、アカネが苦笑いしながら、少し離れた高層ビルに手の平を向けた。
「大切なのはイメージ。自分が思うから起きるのではなく、それは起こって当然だから起こるのだという、確固としたイメージ。人の想像力には限界があるけど、それさえ出来れば、この世界で出来ない事象はないんだ」
そう言うと、アカネはビルを強く睨み付け、そして。
「空け」
ビルに穴が空いた。
数百メートル程はある巨大なビルの真ん中に、数十メートルほどの巨大な穴が出現していた。それは骨格のほとんどを消失させており、ビルはグラグラと揺れながら崩れ落ちかけている。そこの周りにいた人々は何事かとざわめきだした。
「な、な、な、な」
「ね? イメージさえすれば、こんなことだって簡単にできちゃう。他にも、人や動物や物を顕現させたり、空を飛んだり。固定概念にさえ囚われなければ、物理法則だって無視できるし、ちょっと難しいけど、自分自身の姿を変えることもできるよ」
何度目か分からないありえない状況で、シュウはブルブルと指を震えさせながらビルに空いた穴を指さしている。アカネは、そんなシュウを尻目に右手の指を上にあげながら得意そうに解説をしている。
すると、穴を空けられたビルがとうとう崩れ落ち始めた。建物の上部、巨大な塊がまるごと傾きながらゆっくりと地上に落下していく。
「あ、やば。ええっと、砕けろ!」
塊に対して、アカネは焦りながらも手の平を向け叫んだ。すると、塊は爆発し、無数にバラバラになった。それでも、一つ一つの大きさは成人男性の身長を優に超えるほどにある。それらは重力落下の法則に従い、そのまま下に落ち始めた。
「なんか、状況を悪化させただけのような気が……」
「…………てへっ」
アカネはウインクをして頭に手をやり、首を傾けている。お構いなしに、岩石群となった塊はスピードを増して落下していく。地上にいた者達も流石にマズイと気付いたのか、思い思い行動をとり始めた。空を飛んで逃げる者。逃げずに待ち受ける者。ゴーレムのような物体を召喚し、自身を守らせる者。気を失ったように地面に倒れ伏せ、そのまま跡形もなく消え去る者。とうとうTバックを脱ぎ、人々の罪を一身に受ける救世主の様な体勢をした黒い肌の男性。
そして、岩石の一つが地上に接触するという時。
「何をしているのよ、あなたは」
全ての岩石の時が止まった。
無数にある岩石全てが、ピタリと空中で停止している。すると、茫然としているシュウとアカネのすぐ後ろに、純白の少女が佇んでいた。肌と、目すらも白い少女。アカネは少女に気付くと楽しそうに喋りかけた。
「あ、ヒメちゃん。来たんだ」
「当たり前でしょう。何のために貴女とそいつを……いえ、その前にこれを片付けちゃいましょうか」
ヒメと呼ばれた少女は、そう言うと軽く一度瞬きをした。その一瞬で、停止していた岩石は全て、塵も残さずに消え去った。そして、上部が丸ごと無くなってしまった筈のビルも、何事もなかったかのように元に戻っている。
「おおー、さすがヒメちゃん。かっこいい!」
「貴女はもう少し後先考えて行動しなさい」
ヒメはアカネに対して、呆れと親しみの表情を浮かべて話している。アカネもまた、シュウと会話していた時より砕けて振舞っていた。
「やー、ほら、シュウ君にインパクトを与えたかったと言うか、格好つけたかったと言うか」
出てきた名前に、ヒメはアカネの隣に立っているシュウに視線を向けた。その瞳には、アカネに向けていた感情と真逆の、微量な嫌悪が混じっている様に見える。
シュウ自身は、ヒメの姿に魅入っていた。彼はヒメに見覚えがあった。ヒメは、駄菓子屋の前でみた少女だったのだ。
「ヒメちゃんはねー、この世界の神様なんだよっ」
アカネの起こした騒動の後。シュウは彼女にヒメの説明を受けていた。ヒメは変わらず嫌悪が混じった目でシュウを睨んでいる。
「神様? それは、どういう意味?」
シュウはヒメからの視線を気にしながらアカネに質問をぶつける。少なくとも、ヒメに睨まれる理由には全く心覚えがなかった。
「ヒメちゃんは本当はヒメガミって言う名前なの。それで神様っていうのはそのままの意味で、この夢の世界を管理している存在って事。この世界でなら、ヒメちゃんに出来ない事はない。やろうと思えば、死者だって蘇らせることも出来るんだって」
まるで自分の事のように自慢げに話すアカネだったが、シュウは死者を蘇らす事が出来ると言う言葉に驚愕していた。アカネはシュウの詳しく聞きたげな顔を見て、更に楽しそうに説明しだした。
「えっとね、蘇らせるって言ってもこの世界限定の話なんだけどね。人が死んだらその魂、存在のデータの様なモノって言ったら解りやすいかな? それがさっき言ったサーバーの中心の様なモノに集約されるの。ヒメちゃんはそこから魂を掬い上げて、この世界に現す事が出来る。でもそれはあくまで意識だけで、現実の世界で死んでしまった肉体を蘇らすことは出来ない。だから、この世界限定」
アカネの説明は、実際に蘇らされた人間を知っているかの様だった。
「説明は終わったかしら? アカネ、それなら早く済ましてしまいなさい」
「んー、ごめん。ヒメちゃん、もう少しだけいい?」
説明が終わると、ヒメが何事かアカネを急かし始めた。その顔にはウンザリとしている表情がある。シュウが二人の会話の意味を分からず訝しげな表情を浮かべていると、突然、アカネがシュウの手を握った。
「それじゃ、行こっか?」
「ちょっと、アカネ」
「いいでしょ、別に。ちょっとだけだって。シュウ君、行こ」
ヒメの咎める声を笑顔であしらい、アカネはシュウに尋ねる。シュウには、彼女が何処に行こうと言っているのか分からなかった。
「行くって、何処に?」
「決まってるじゃん」
アカネはとてもとても楽しそうに笑い。
「夢の世界お楽しみツアーだよ」
そう言った。
その後、二人の後を少し離れて付いてくるヒメと一緒に、夢の世界の様々な場所を巡り出した。シュウもまた、この夢の世界に並々ならぬ興味を抱いていたからだ。平凡な現実では決して味わえない正に夢の興奮。そこに彼が惹かれない理由は無かった。
「聞いたか。あの昏睡者が多発しているって話」
「ああ、二十一人だっけ? この世界が関係してなけりゃあいいんだが」
ちらりと聞こえてきたその会話がシュウの耳に酷く残った。
夢の世界には、人の想像がそのまま形になったかのような摩訶不思議な場所ばかりがあった。
犬猫牧場と名付けられた場所では、地面から様々な犬や猫の尻尾のみがユラユラと生えていた。その尻尾を大きな株よろしく引っ張るとそのまま犬猫が引っこ抜かれ、抜いた人間に物凄く懐くと言う物だった。シュウが引っこ抜いた黒猫は、Tバックを履いた黒い肌の男に何故か連れ去られて行った。
モンスターダンジョンと呼ばれる、如何にもといった洞窟が入口となっている場所。そこでは、古今東西様々な伝承上の化け物や神様の形をした存在と戦えるといった場所だった。深く潜るに連れて、出現する敵が強くなっていく。
迫る敵を面倒そうに片付けるヒメの後を付いて辿り着いた最下層では、名状し難い神対夢の世界の神の決戦が繰り広げられた。尚その途中で触手の様なモノに、シュウと何時の間にか現れたTバックの男が絡み取られ、ヒメにゴミを見る目で見られたのは余談だ。アカネはその様子を離れた場所で爆笑しながら観戦していた。
飛行訓練場と言う場所では、沢山の人間や生物やTバックの男が空を飛んでいた。ここは夢の世界に来たばかりの人達が、飛ぶ訓練を講師代わりの色々な生物にレクチャーされる場所だった。
人間大の烏の指導を受け、シュウはものの二十分で自由自在に空を飛べるようになった。アカネが言うには、そんな短時間で飛べるようになる人間は極めて珍しいと言う事だった。
シュウは、空を飛ぶ自分を気持ち悪そうに眺めるヒメの顔が気になったが、途中ですっぽんぽんの黒い肌の男達との鬼ごっこが始まり、そんな余裕は無くなる事になった。
その次に向かったのは屋内、人が何百人でも入れてしまいそうな、天高く聳え立った塔だった。色とりどり、大小それぞれの扉が壁に円状を形作って大量に並んでいる。その中央にはホテルのカウンターの様なものが設置しており、女性が無表情で佇んでいる。その上には、巨大な電子掲示板が浮かんでいた。画面には人の様な名前と、その隣に数字が付いており、それぞれ縦に一から十まで並んでいる。
人も数十人程いるが、皆一様に緊張した顔つきをしている。ともすれば、殺気立っている様にも取れる程だ。
「あの大きいのは? それに、この場所は?」
「あれはね、この世界の強い人ランキング」
電子掲示板が気になったシュウがアカネに尋ねると、そんな回答が返された。アカネはまた楽しそうな顔をして説明をしだした。
「夢の世界では人同士で対決ができるの。あそこに載ってるのはそれの一位から十位までの人。それで、この場所は夢の世界で最も人気の名所だよ。いつもは人で込み合ってるんだ。今は色々あって人が少ないけどね」
「名所? 確かに、あまり人が居ない様に見えるけど」
そう言ってシュウは周りを見渡した。今までに行った場所だと、少なくとも百人以上の人間がいた。しかし、この場所は人がパラパラと散らばって見える程度で、その僅かにいる人間にも、楽しそうな様子は見受けられない。そこでシュウは、今までいった場所でも本当に楽しそうにしている人が居なかったことを思い出した。皆が皆、どこか緊張した顔をしていた。いや、怯えていたようだった。
「うん。色々って言うのはね。殺人なの。知らないかな? 最近起きてる変死事件について」
「殺人?」
口にされた物騒な言葉にシュウは眉をしかめた。それと同時に、朝に聞いたニュースを思い出す。健康な人間を含め、眠った人間がそのまま死亡してしまうという変死事件。その事件とこの世界が関係していると言うのだろうか?
「死んじゃった人たちはね、皆この世界で殺された人達なの。この世界では、本当なら例え頭を吹き飛ばされても全然問題ない。すぐに復帰できちゃうし、そもそも痛みすら碌に感じない。当たり前だよ、夢の世界なんだから。けれど最近、損傷を受けてから、再生もできずにそのまま死んじゃう人が出て来たの。と言っても、死んだら起きちゃうから、皆最初は気付けなかったんだけど。外の、現実の方で話題になり始めた頃に、やっと気付けた」
ヒメガミが、憎々しげに口を挟んだ。
「私も、この世界の情報量が膨大すぎるから、一人一人の所在を把握している訳じゃあない。来なくなったのは分かっていたけれど、特に気には止めていなかったわ。……失態ね」
その顔からは、後悔と、犯人に対するものであろう怒りが浮かんでいる。シュウは、未だに二人の言っている事に現実味が持てないでいた。
「死んじゃうって、それどう言う」
「そのままの意味。魂が死んじゃう。だから、眠ったまま死んだ様に見える」
「は、犯人は?」
沈黙。アカネは、俯いて黙り込んでしまった。見かねてヒメガミがアカネに話しかけた。
「アカネ。あなたは何しにここに来たのかしら」
「……うん。解ってる。ごめん。シュウ君」
楽しむ為に来たんだもんね。そうアカネは笑顔を浮かべる。話の続きを聴く事は、ウツミには出来なかった。
「ここではね、個人の夢の世界に入る事が出来るの」
「個人の夢の世界って……、どう言う事?」
アカネは笑顔を作りながら説明をしだした。ここに来てから。アカネには説明されっぱなしだとシュウは思う。
「今のこの世界が人類全員で見ることが出来る夢だとするでしょう? ならいつも人が寝ている時に見ている夢は何だと思う?」
「もしかして、それが個人の夢?」
「そう。その人だけの夢。その人だけの、閉じられた世界。シュウ君は、他人の夢を覗いてみたいって思った事は無い?」「それって、ひょっとして……」
「そう。ここでは、その他人の夢の中に入る事が出来るの。と言っても、ちゃんと本人に許可を貰った上でだけど。更にその本人の意識自体は起きている訳だから、どっちかっていうと、精神世界に入るって感じかな」
精神世界に入る。その言葉に、シュウは恐怖を覚えた。シュウも、他人の夢を覗くと言う行為に興味が無い訳では無い。しかし、人の心を覗く事と同義だと言うならば、そんな事は許されるのだろうかとも考えてしまう。生身の人間の心が、脆く恐ろしい物だと言う事は、容易に想像が出来るからだ。
「ああ、大丈夫。よっぽど奥まで行かない限り、そんなにプライバシーに関わる物は出て来ないから。その人の好きな物とかが出て来るのが関の山だよ。基本的に楽しい物だから、大丈夫」
シュウの顔が強張ったのを察したのか、アカネが取り繕う様に補足した。シュウも、そう言う事なら、と少しだけ体の力を抜く。
「……私はここで待っているわ。二人で行って来なさい」
ヒメガミは、そう言うと二人から離れて行ってしまった。
「えぇー、そっかぁ。残念。……よし! それじゃあ行くよ! 今回は特別に、私の夢の中に招待してあげる」
アカネはそう言ってシュウの手を取り、無数にある扉の一つに向かって行った。調子を取り戻し、元気に振る舞っているように見える。ドアノブに手を掛け、開け放つ。
扉の先には、真っ白な空間が広がっていた。明るい訳でも、壁があると言う訳でも無い。ただただ、白い。その空間以外には、何一つ存在しない。
「これは、何も無いように見えるけど……」
「入ってみたら分かるよ。ほら、早くっ」
アカネはシュウの後ろに回り込み、背中を押して急かしている。こんな空間に入っても大丈夫なのかと、シュウが困りながらアカネの方を振り向いた時。こちらを険しい目で見ているヒメガミと目があった。だが、すぐに目を逸らされてしまった。扉をくぐる瞬間。
――思い出しなさい。
そんな、どこかで聞いた声が聞こえた気がした。
「凄いね、これ」
「あはは、私猫とか犬みたいなモフモフしたの大好きだから」
入った世界では、緑一色の地上と一面青空の空間を、犬猫猿雉馬鼠その他諸々沢山の毛が生えている生物が宙を飛んでいた。シュウとアカネの周りに、ニャアニャアワンワンと群がってくる。二人が入って来た筈の扉は何時の間にか消えていた。シュウは少しだけ不安になってアカネに尋ねた。
「扉が見当たらないけど、どうやって元の場所に戻るの?」
「目を閉じて起きろー、起きろーって念じたら戻れるよ」
大雑把な説明を受け苦笑いしながら、シュウは先に進んで行くアカネの後を付いていく。群がってくる犬猫のモフモフの誘惑に耐えるにはかなりの労力を有した。
奥に進むにつれて、アカネの夢の世界の景色は段々と変化していった。動物達の姿も減り、地上の緑も枯れはて、青かった空もくすんだ灰色に染まっていた。これがアカネの精神世界とは思えない程だった。
「随分と進んだけど、どこに向かってるの?」
景色の変化に戸惑いを覚えながらシュウはアカネに尋ねた。
「…………」
アカネは何も答えない。徐々に口数が減っていき、完全に景色が変化してからは何も喋らなくなっていた。
「アカネ……?」
「大丈夫。もう直ぐだから」
そう答えたアカネの顔は、今までに無い程に強張っている。怯え、怒り、悲しみ、そのどれにもとれるような表情だ。シュウはアカネの顔を見ながら、奥に行くほど個人の深層に近づくと言う事を思い出していた。アカネはシュウに、自分の内面を見せようとしているのだろうか。
更に進んで行くと、円がある場所に着いた。黒く、中心に向かってアリジゴクの様に収縮しているに見える、二メートル程の大きさの円。その輪郭は波打っている。今や風景は荒れ果てた岩地となっており、その円はそこにポツンと存在して異様な雰囲気を放っている。
シュウはその円に対して酷く恐怖した。それに触れたくない。近づきたくも無い。今すぐここから離れたかった。
「……着いた。シュウ君。そこに立って、目を閉じて」
アカネが指した場所は、その円の中心だった。
「理由を、教えてもらえる?僕には何が何だか全然分かってないんだけど」
「言ったでしょ。入ったら分かるって。ついでに、連続怪死事件の犯人も分かるから」
そう言って、アカネはまたシュウの背中を押して無理矢理円の中心に立たせた。どうして犯人まで分かるのか。シュウがそう訊こうとする前に、円の中へと沈んで行った。
朝。何も用意されていないテーブル。自分でトーストと牛乳を用意する。父親と母親は自分の顔すら見て来ない。
学校へ行く。ボロボロの木造校舎。偏差値も校風も最低な学校。古めかしい黒一色の制服。柄の悪い生徒。近所での評判は最悪だ。校門にいる疲れ切った顔の教師とは、目も合わせない。こんな学校は直ぐに辞めたい。けど、自分の学力と家の経済事情では、他に行く事なんて無理だ。
教室についても誰も話し掛けて等来ない。授業中も、休み時間中も、全て寝て過ごした。昼飯は持っていない。
帰ろうとすると、金髪の目つきが悪い男が話し掛けて来た。明日までに三万円持って来い。持って来なかったらどうなるか分かるな。そう言って去っていく。そいつに女子が話し掛けに行き、男と腕を組んだ。自分はもう、しばらく現実で女の子と会話をしていない。
真っ直ぐ家に帰る。家には誰もいない。直ぐに布団に入る。今日も最悪な一日だった。けれど。
あの世界では、自分はなんにでもなれる。なんでも出来る。何をしたって、いい。
最初に自分が夢の中で人を殺してから、もう二十一人殺している。自分がこの世界で倒した者は、二度とこの世界に来ていない。現実でニュースになってから、気が付いた。けど、誰も自分を裁く事なんて出来やしない。当たり前だ。ヒメガミはまだ気が付いていないようだが、念の為に気を付けなければ。次に誰を殺すかを考えていたら、女に話し掛けられた。
アカネ。何故か自分に構ってくるいつもハイテンションな女。自分と違い、裕福な家庭、優秀な学校、恵まれた容姿。……ちょうどいいから、次はこいつを殺そう。人生を楽しんでいる様な奴は、皆死ねばいい。
殺そうとして、追いかけて。けど途中でアカネが振り向いて。抵抗されて、揉みくちゃになって。それでもアカネを殺した瞬間。何かが自分の中に流れ込んで来た。
私は逃げていた。
彼から。彼が、殺そうとしてくるから。捕まればきっと、私は殺されてしまう。私は飛んで逃げているけど、彼は飛ぶのが凄く上手いから、きっと直ぐに追いつかれてしまう。彼が、夢の世界の殺人鬼だったんだ。彼が人のいない所に行こうと言った時に気が付くべきだった。どうして彼が私を殺そうとするかなんて、分からないけど。
振り向いてしまおう。そう思った。このまま殺されるくらいなら、せめて、何か。意を決して振り返る。けれどやっぱり私は殺されて。最後にせめてもの一発を彼に打ち込んだ瞬間、私の中に彼の記憶が流れ混んで来た。
そして、私はヒメちゃんの力によって蘇った。
「私の家ね。お父さんとお母さんが喧嘩ばっかりしてて。学校も退屈で楽しくなくて。だから、この世界だけが楽しみだったんだー」
先程の塔で、アカネはヒメガミに話し掛けていた。二人の隣ではシュウが上を向いた状態で倒れている。眠っている、という方が適切かもしれない。
「だから、シュウ君の気持ちもちょっとだけ分かったの。我が儘聞いてもらってごめんねヒメちゃん」
「構わないわ。私としては、その男に罰を与えられればいいから。楽しそうにしていたのには、腹が立ったけど」
「ごめんね。最後に楽しい思いをして欲しかったの。私の好きな世界で、人を殺したままで終わるなんて嫌だもん」
後は、シュウ君とヒメちゃんと一緒に遊びたかったから。そうアカネは屈託の無い笑顔を浮かべている。
この世界では、神として力を振るうヒメガミにも不可解な現象が多い。そうヒメガミは、アカネの笑顔を見ながら思う。夢の世界を通じて突然殺人を行えるようになったシュウ。そのシュウに殺された際の状況の所為か、シュウの記憶が流れ混んだアカネ。
アカネを蘇らせたのは、シュウに記憶を思い出させ、自分の罪を深く認識させるためだった。殺人鬼であるシュウは、記憶をアカネのものと混同させていた。更に自分に都合の良いように改竄した上で、個人の夢の世界に閉じこもっていた。シュウに記憶を思い出させるには、アカネに協力してもらう必要があったのだ。
そのアカネに、殺人鬼とこの世界を遊びたいと言われたのは、予想外だった。
「もういいかしら? 記憶も戻したことだし、この男ももう目を覚まさない。貴方も、早くお眠りなさい」
うん、そうする。そう言ってアカネは目を閉じる。ヒメガミもおやすみなさいと言って、瞼を閉じた。
次にヒメガミが目を開けると、そこにもうアカネの姿はなく、眠っているシュウとヒメガミだけが残されていた。
この男に罰を与えなければ。そうヒメガミは手をシュウにかざす。都合の良い夢ではなく、苦しい現実を見る夢へと。
どこまでも現実の様に物質的で。理不尽で。しかし現実ではない。その世界へとシュウの意識と無意識を誘って行く。
現実とは違い夢はない。現実とは違い希望はない。現実とは違い明るい未来はない。ただただ苦しい毎日が待っている、そんな現実へと。
おやすみなさい。良い夢を。
――落ちていく。どこまでも深い人の中身へ。朝日はない。光は届かない。引き上げられる事の無い暗闇へ。
またも彼は夢を見る。彼の中の醜悪な怪物を連れて。その体は貪られることはない。彼自身が怪物なのだから。
明るい夢の世界の、真っ黒い夢のお話し。
たまに夢の世界って現実より夢がないなって思います。なんせ設定のまま進んでいきますからね。あと夢の中で物凄く必死に走ってるのにぜんっぜん前に進めないのは何故なのか。