三流怪奇小説家会心の一作
血眼にして書き上げた怪奇小説がある。そいつをホラーマニアの友人である自称本読みの天才、血原傑作に読んでもらうために、彼が指定した場所に出かけた。なんということはない。彼のアパートの一室である。どうやら二日酔いらしく、来てくれという。こちらも慣れているので手土産をぶら下げて出かけたのだ。
血原は本読みの天才を自称している。正確にいえば、ホラー小説の読み専であり、それも三流ホラー小説好きの変態男である。
なぜ一流作品ではなく、三流の作品なのかは、彼曰く、一流の作品は退屈極まりなく、増してや肩がこる。はたまた、難しい漢字が多くて、突っ込みどころが少ない。それ以上に、正直、心底怖いかららしい。
三流作家の突っ込みどころ満載の、阿呆阿呆とした怖さが好みというわけだ。
変態ここに極まる。
彼はその特技をいかして、出版社の出先編集者として働いている。簡単にいえば会社勤務ではなくフリーの編集者なのである。会社に縛られることなく自由に街を徘徊し、めぼしい才能を見つけ出す。もっと砕けて言えば、面白い小説を見つけ、出版社に仲介するブローカーというわけだ。
彼は自称本読みの天才だが、本を読む時間よりも口数が多い、私的に言えば天災的な話家なのだ。仕事柄、友人であろうが、初対面であろうが、話し出したら止まらない天性のお喋りである。いくら話が長くても小説のことに関してならば喜んで聞きもするが、無関係の話がくどくて長いのだ。
本を読んでもらっている相手は、ただ恐縮して聞いているのだから、なお罪深い。
「どれどれ」
血原は若干酒の臭いを放出させて、敷いたままの布団の上で胡坐をかいて、私の原稿用紙に目を落とした。
それなりに緊張する一瞬であるが、それはまさに一瞬で終わるのだ。
はたして、彼の目はすぐに原稿から離れた。
彼が原稿に目を落としている時間の長さは「あっ」と言う間もなかった。
「あのさ、ゴミ箱から血塗られた手がニョッキと出てきた……って、こんな恐ろしい出だしで始まる話を誰が読むんだ」
彼はひと言つぶやくと原稿用紙をさっさと片付けた。
彼の天才たる所以は、たった一行読んだだけで作品の面白さがわかるところなのである。そんなのありえないと思うかも知れないけれど、事実だから仕方がない。
私は一応、作家志望の男だ。
彼も本読みとして最低のルールはわきまえているはずだ。
私は彼のさらなる感想を待った。
しかし、彼の思考の中には私の作品などは評価の対象とはならなかったようだ。
「俺は三流ホラー小説を一万冊は読んでいる。たいがいはありきたりな子供だましのホラー小説が多い。ゴミ箱から手がでたり、首がでたりなどは、俺的にはアウトや。面白いのは意表をつくことだ。俺が面白いと思った話を聞かせてやろう。まず最初の一行が秀逸だ。『玄関ドアを開けたらカレンダーを首からぶら下げた少年が、カレンダーを買ってくださいと蚊の泣くような声で言った。』どや、読もうと思うだろう」
別に読もうという気持ちはわかなかったが、さすがにホラーマニアだけあって、話し方が真に迫っていて、本当に背筋が寒くなった。
今もチラリとみただけの私の原稿を脇に置いて話が止まらない。これぞ究極のホラーといえなくもない。背筋が寒くなるのも当然だ。
「それと、露天で一冊のホラー小説を買ってから、その男の周りには怪奇な出来事が起こり始め、小説を読み進むにつけて、自分の過去がその本とリンクしていることに気づく。どや面白いだろう。まぁ、しかし、本の通りになる人生って何なんだよと突っ込みたくなるが、まぁ、このあたりが三流の三流たる所以だ。また、そこが面白いところでもある」
今日は舌の調子がいいのかなかなか話が終わらない。まさに舌好調。私は少々疲れてきたので、話の切れ目を見つけて、ここぞとばかり、わが身についた知恵のひとつを口から放り投げた。
たぶん、この一言で血原の表情は一変するはずだ。
「喉が渇いたな、場所変えよか」
「おう、喋り過ぎて喉がからからだよ。エトワールでミックスジュース奢ってくれるか」
近くにある、行きつけの純喫茶の名前をだして、横にあった私の原稿を枕元のゴミ箱に放り込んだ。
「おい、俺の大事な原稿をゴミ箱に捨てるかな」
「ゴミ箱からニョキと出てきたから、ゴミ箱へ戻ってもらったんだ」
もちろん、しぶしぶではあるが、私は了解して場所を移すことになる。
天才の言葉に偽りはない。
さわさりながら、ゴミ箱に捨てられた原稿は、後日、丁寧に朱が入って戻ってきた。
天才たる所以である。
ちなみに、ゴミ箱から血塗られた手がニョッキと出てきたとの書き出しは、大きな朱色で書き改められてあった。
天才はこう書きだした。
『ゴミ箱がガタガタ揺れたかと思うと、血にまみれた真っ裸の男が斧を片手に飛び出してきた』
頭の芯がぼっうとした。
「こんな下品で恐ろしい小説、誰が読むか!」
私は原稿を机の上に置くと椅子の背もたれに両肘を置いて、手で頭を抱えて天井をみた。
天井を見ていると不思議と落ち着くのだ。
天井の僅かな染みが千変万化する。
私がうつつとしたころ、足下に置いてあった小さなゴミ箱が、がさがさと鳴った。
その音を合図に、私の体は瞬間接着剤をぶっかけられたみたいに動かなくなった。そして、血みどろの大男が片手に血の滴った鋭い斧を持ち、私の頭ごしから顔を覗き見るように二ターと笑ったのだ。
夢か誠か。
血原の朱色の文字が天井に漂った。
『ゴミ箱がガタガタ揺れたかと思うと、血にまみれた真っ裸の男が斧を片手に飛び出してきた』
あぁ、天災は我が身に降る。
読んでいただいて有難うございました。