狂人と奴隷商人
その国の王都から遠く離れた西の地に、その奴隷売場は存在した。
その奴隷売場に一人の女が現れた。
20代後半の妙齢の女だ、目深にかぶったフードの隙間から、汚れのない純白の髪が一房垂れている。
「お姉さん、お綺麗ですね」
女に話しかけたのは青みを帯びた黒髪の男だった。
おそらく20代中頃の若い青年だ。
その青年――この奴隷売場の主である奴隷商人はニコニコと人当たりの良い笑顔を女に向けている。
「世辞は、いらない」
ぼそりと言う女のフードの下の銀色の目がギロリと青年を睨みつけた。
そんな女の様子に青年は口元をニタリと釣り上げた。
「おっと、これはこれは失礼しました。如何様なものをお探しで?」
「男の、奴隷」
「男? 何用でございましょうか? 剣闘用? 護衛用? 労働用? それとも性的な用法で? うちはどんな奴隷も選り取り見取りでございますよ」
途切れ途切れに話す女とは対照的に、男は長いセリフを流暢に話す。
「ごちゃごちゃ、五月蝿い。男なら、なんでもいい」
「ほほう? なんでも、とおっしゃられましても、何かご希望は? どういった御用方でございましょうか?」
「その芝居がかった口調、やめろ。不愉快だ」
「……了解、で? 目的は?」
心底不愉快そうに眉根を寄せる彼女の様子を見て、青年は素直に目元に浮かべていた愛想笑いを引っ込め、演技がかった仕事用の口調をやめた。
「……子供が、必要だ。私の意思と血を継ぐ、誰かが。最低でも一人……スペアで、あと、一人か二人。だから、獣人か、不能でなければ、なんでもいい」
女は大罪人だった。
女は自らの友人二人の墓を暴き、その遺体を持ち去った。
その友人達が一般人であったのなら、そこまで世間は騒がなかっただろう。
だが、その二人は少しばかり有名人であった。
国を滅ぼそうとした極悪人と、その極悪人を止めた英雄、そんな二人の遺体を勝手に持ち出したとなれば、世間が騒がないわけもなく。
あっという間に史上最低最悪の大罪人となった女は、それから10年経った今でも指名手配されて追われている。
女がこの、王都から遠く離れた辺境の地であるこの町に潜んでいるのはそれが原因である。
女がそこまでしてその遺体を持ち去った理由は、二人を蘇生する為だった。
死者を生き返らせるという、神の御業に等しい所業をやり遂げることが、女の唯一の望みだった。
しかし10年間、誰もが天才と認めた女がいくら方法を探し続けても、今だその答えには至れず。
10年かけてわかったことは、死者の蘇生という奇跡を起こすには、自分に残された時間だけでは全く足りないということのみ。
だから女の後に続く者が必要だった。
女の意思を継ぎ、才能を継ぎ、女の願いを続ける誰かが。
「なるほどつまり、お姉さんが欲しいのは子種、ってことか」
「そういう、事」
ふうむ、とわざとらしく考え込むふりをする青年に、女は苛立ちの視線を送るが、青年は気にせず飄々とした調子を崩さない。
「全く、ひどいひとだねえ……自分の子供をなんだと思っているんだい」
「奴隷商人が、何を言う」
そう言われた青年の口元が裂けそうなほどに歪んで笑みの形を取る。
抑えきれなかった笑い声がくつくつと口から漏れ出した。
「そういうわけなら、俺のでよければあげるけど?」
「……は?」
半笑いとともに告げられた言葉に女は首を傾げた。
「だってお姉さん、俺の好みにドンピシャすぎて。あんまりにも好きすぎるから……欲しいな、って」
「……何を、馬鹿な事を」
「本当なんだって。お姉さんはとても綺麗な目をしている。いい感じに狂ってて、ぶっ壊れてて、とってもとっても魅力的だよ?」
「………」
「正直言って今すぐ俺のものにしたいくらい」
「ああ……だから、ずっと、構えてたのか」
女が納得したような口調でそう言うと、青年はぺろりと舌を出した。
青年が背中側に回して女から隠していた左手はスタン効果のある魔素をまとって淡く輝いていた。
「あれま、ばれちゃってたか? えへへへへ……でも悪くない話でしょう? 俺はお姉さんにタダで子種をあげる、その代わりお姉さんは俺のお嫁さんになってよ」
「……断ったら?」
女は警戒を高めながら青年の目を睨みつける。
「うーん……そしたら交渉決裂、ってことで、無理矢理お姉さんを奴隷にして一生くらぁい地下室に監禁することになるかなあ……手足も切り落としてダルマにして、そこで一生可愛がってあげるよ」
にこり、と笑顔を浮かべた青年に女は踵を返して――
「……逃げられると思う?」
その言葉に女は動きを止める。
「…………」
「わかるよ。お姉さんはそんなに強くない。むしろ弱い……だから逃げようとしても無駄だよ?」
「……」
確かにその通りだった、彼女は天才ではあったが、天は二物を与えずという言葉通り、彼女は弱かった。
生まれつき魔力量が少なく、戦闘の才能もほとんどない。
対して青年の方は、奴隷商人という職についていることもあるのだが、明らかに女よりも強そうに見える。
おそらく女が何をやってもこの青年は簡単に女をねじ伏せるだろう。
また奴隷商人である為、青年が人を捕える為の技術と技を持っているだろうことは明白で、よほど運が良くない限り、女に逃げる術はない。
という結論を女はすぐさま弾き出し、諦めた。
「……私がやることの、邪魔をしないなら、それでいい」
女は一度、深くため息をついて、投げやりな口調でそう言った。
「……それじゃあ交渉成立、ってことで。改めまして、よろしく」
青年は幸福そうな笑みを浮かべながら女に右手を差し出した。