女子小学生二人が小説を書いたり読んだりする話
「あの……少しお時間よろしいでしょうか……?」
とある昼休み。本を読んでいた叶子は突然、後ろから声を掛けられた。読んでいた本から視線を外し、声のした方へと向き直る。
そこには、クラスメイトの女の子が凛として佇んでいた。
「えーっと……茉莉花……さん?」
名前を呼ぶが、つい疑問系になってしまった。だって、一度も話した事がないのだ。
「雪奈で構いませんわ」
対するクラスメイト、茉莉花雪奈は余裕のある和やかな表情で応える。全身からお嬢様オーラ溢れる雪奈だが、実際にお嬢様である。どこかの会社の令嬢様との事。
今日はクラシカルな黒いワンピースに身を包んでおり、なんだかまるで、そこだけ異国みたいな雰囲気だ。
「えっと……どうしたの?」
話した事がない相手なので、どんな話をすれば良いのか正直分からない。叶子は短い髪の毛をくりくりと弄りながら返事をする。そんな叶子の戸惑いに気づいているのかいないのか、雪奈は少し間を置いて応えた。
「はい……実は私、恥ずかしながら趣味で小説というものを書いておりますの」
「……うん」
「その……叶子様は読書がお好きで、普段からよく本を読むとお聞きしまして」
「うん」
叶子「様」って凄いな。様付けなんて病院に行った時しか呼ばれた事ないよ。
そんな庶民丸出しの感想は声には出さず、叶子は雪奈の次の言葉に耳を傾けた。
「……宜しければ一度、見て頂くことは可能でしょうか?」
恥ずかしそうに、頬に手を当てる雪奈。顔がほんのり赤くなっている。まるで初雪に差し込む陽の光みたいな表情をしている。
「……小説? 私なんかで良いの?」
「ええ、日ごろ読書に勤しんでおられる叶子様を見込んでのお願いです。引き受けて頂けますでしょうか?」
正直過度な期待を受け過ぎている気もするが、そこまで信用バリバリでお願いされると、断るという選択肢を選ぶのはちょっと難しい。
「まあ、私でよければ……」
言うと、雪奈は蕾だった桜が全部いっぺんに開花したみたいな笑顔を浮かべた。あまりの眩しさに、叶子は目が潰れた。
叶子の目が潰れている最中に、雪奈は自分の席まで一旦戻って、机の中から一冊のノートを持って来た。
「よろしくお願い致しますわ」
ワクワクとした面持ちでそれを叶子に手渡す。なんとか視力が回復した叶子はそれを受け取り、少し緊張した面持ちでそっと開いた。
横書きの大学ノートに、一行空けながら文字が整然と書き込まれている。第一印象、印刷されているのかと見紛うほどに字が綺麗。自分の書く男みたいな雑な字を思い出し、叶子は胸が苦しくなった。
悲しくなったので、叶子はノートへと意識を集中させる。
「…………ん?」
いざ読もうとした矢先、叶子はノートの上端に控えめに文字が書かれているのに気付いた。
『淫撃の巨人』
そう書かれている。
「……んんん?」
「どうなさいました?」
不思議そうに叶子を覗き込む雪奈。
「いや……なんかここに、変な落書きが書いてあるなぁと思って」
それを聞いた雪奈は、面白いことをおっしゃいますわね庶民と言わんばかりにクスリと笑う。
「面白いことをおっしゃいますわね庶民」
「言うんかい」
「ふふっ、これはタイトルです」
「……タイトル?」
「はい、タイトルでございます」
「……なんの?」
「小説のでございます」
「……小説の?」
「はい、小説のでございます」
「……」
どうやら雪奈が書いた小説のタイトルは「淫撃の巨人」らしかった。いやいや。
もう一度タイトルを見る。淫撃の巨人と書かれている。
深呼吸する。目を瞑りリラックス。
広々とどこまでも続く花畑を頭に思い浮かべる。リフレッシュ完了。
もう一度タイトルを見る。
『淫撃の巨人』
淫撃の巨人だった。そう、淫撃の巨人なのだ。
ここに来て早くも雪奈の小説にどうしようもない不安を覚える叶子。だって、普通に考えて、もしも自分が小説を書くとしたら、タイトルに「淫」なんて漢字絶対入れない。
ましてクラスメイトに見せる小説だ。むしろ女の子アピールのために『ふわふわ! わんちゃんのましゅまろだいぼうけ〜ん♡』とかにする。そこまで行くと媚びすぎてキモい。
というかこんな元ネタが馬鹿みたいに伝わってくるクソみたいなオマージュのタイトルは絶対やらん。でももう後には引けない。叶子は小説の冒頭に目を通した。
官能小説だった。
「ばさっ!」
驚きのあまりノートを激しく閉じる叶子。効果音が口から出てしまった。
「……茉莉花さん?」
「はい、私の名前は茉莉花雪奈でございます」
「いや、名前の確認じゃないわよ!」
「と言うと?」
純粋無垢な眼差しで見つめる雪奈。そんな顔されると言いにくい。
「……これってアレなの? その、やらっ、……大人な、小説な感じなの?」
言葉を選ぶ叶子。
「はい、やらしい小説でございます」
言葉を選ばない雪奈
「私が飲み込んだ言葉をサラッと言わないでよ……」
漫画や小説を沢山読む叶子なので、官能小説がどのようなものかについての知識は持っていた。だがやはり、現物を読んだ事は一度もない。
「読んでいただけますか? 叶子様」
「……」
「庶民の叶子様?」
「なんで失礼な感じに言い直したのよ」
「そういう教育を受けました」
「どういう教育なのよ……」
でも官能小説となるとやはり、読むのをどうしても躊躇ってしまう。
「大丈夫ですわ、昨日お父様にお見せした所、なんと涙を流して感動しておられましたもの」
「父親に見せたんかい!」
「はい、それはもう、胸を張って」
しかも感動の涙って。泣ける恋愛要素でも入っているのかな。
「……お父さん、なんて言ってた?」
「『たのむ、やめてくれぇ……』」
「めっちゃ嫌がってんじゃん!」
「いえ、感動の涙です」
「感動してたら『たのむ、やめてくれぇ……』とは言わないでしょ……」
小5の娘から自作の官能小説を渡される父親って……。
「さて、続きを読んで頂けますか?」
「えー、でもー……」
「1万円あげるから読んで下さいまし」
「急に金持ち感出して来んな」
「読まないと不幸にしますよ」
「しますよって何だ!」
「お金さえあれば可能ですわ」
「例えばどうするつもりなんだよ……」
「ドラマの良いところで録画が失敗します」
「地味!」
「他にも塩と砂糖を入れ替えたり、家中の電球を切れたものとすり替えたり、家に火をつけたりします」
「最後だけレベル変わったじゃねーかよ!」
「火を見てると心が落ち着くんですよね、その火が大きければ、大きいほどに」
「やべぇ金持ちに目ぇ付けられちゃったよ!」
「あらあら、そういう意味ではもうすでに不幸ですわね(笑)」
「それ半分自虐ネタだよ?」
「全く関係ない話ですけれど叶子様の家って木造ですか?」
「火付けようとすんな」
まあでも、ここまで来たら断れないか。
「分かった、読んでみるって……」
「まあ、ありがとうございます!」
夏の夜空を彩る打ち上げ花火みたいに、ぱあっと笑顔になる雪奈。叶子はその顔ならもっとこう、絵本とか書いてくれよと思った。
「……」
意を決して、深呼吸して、叶子はノートをもう一度開く。そうして官能小説の海へとその身を投げた。
そこからしばらく、二人の間にただ静かな時間が流れる。
「……雪奈さん」
読み終えたらしい叶子が、ノートを雪奈の方へと向ける。
「はい」
対する雪奈は、まるで春の木漏れ日みたいな笑顔を浮かべて返事をした。叶子はため息を吐く。
「……端的に間違いを言うと「蜜壺」って書くはずの部分が時々「骨壺」になってる」
ちなみに蜜壺とは女性器の隠語らしい。叶子は最近その知識を少女漫画で得ていた。
「……と言うと?」
「例えばここの「彼女の骨壺から液体が流れる」って部分! これじゃただ火葬に失敗しただけだよ! 溢れ出す液体は多分焼け残った骨髄だよね?」
これだとホテルに入った瞬間彼女が火葬されて骨壺になる狂った小説だ。
「あらあら……グロテスクですわね」
「他人事みたいに言ってるけど書いたのあんたよ?」
「でも、もしこれがシュールギャグ好きの方の笑いの壺にハマってくれればむしろ思う壺ですわね」
「ツボツボうるさいな」
このまま書いてもドツボにハマるだけだろう。
「あと関係ない話ですが私の家は1000坪です」
「本当に関係ないわね」
「ちなみに関係ない話ですけど叶子様の家は木造ですか?」
「焼こうとすんな」
そんな不毛な会話のキャッチボールを何回か続けたのち、雪奈はぱたんとノートを閉じた。
「……ともかく、どうやらこの小説は書き直しですわね」
そう言う雪奈の顔は、なんだか少しだけ陰っていて、まるで日陰で儚く揺らぐ一輪花のように見えた。
せっかく自作の小説を見せてくれたのだ。このままでは少し、後味が悪いというかなんというか。
「……まあ、文章は上手いみたいだから、これからも頑張んなさいよ」
「……」
それでも少し暗い表情の雪奈。叶子は小さく息を吐いた。
「……また書けたら、私が読んであげるから、取り敢えず元気出しなさい」
それを聞いて、雪奈の表情に光が灯る。
「本当ですか! 嬉しいです!」
叶子の手を握り大喜びする雪奈。なんかぴょんぴょん跳ねている。
「ちょ……恥ずかしいからやめなさいよ……」
「今度こそ、叶子様が気にいる官能小説を持って来ますね!」
跳ねながら大声で言う雪奈。
「大声でそんな事言うな!」
叶子は必死に雪奈を落ち着かせた。
「では、今度も、お父様に見せた後叶子様にお見せしますね」
「お父さんそろそろショック死するわよ?」
楽しそうに言う雪奈の表情を、叶子は呆れた顔で一瞥した。
これは、ある少女二人が少しだけ仲良くなるだけの、そんななんでもない日の話。