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5/11 01:34

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 今日はめちゃくちゃに酔いたい気分でウォッカを半瓶飲んだ。一人だとオレはあまり酔えない。急性アルコール中毒でぶっ倒れたいと思う。今の生活には不満はない。しかし、このまま老いて爺になり、ああオレは何も出来ずこのままかつてこういう人が居た人として死ぬのであれば、もしかすると何か出来たかもしれない何者かで死んだ方が、苦しみがない分マシなのかもしれないと思う。オレには何にも才能も夢中になれる事も生きがいもない。ギターだって人よりはうまく弾ける(と、思いたい。(みんなが苦労するというFコードを一発で出来たとき、ああ、オレにもやっと、才能らしいものがあったのだな、と泣きたい気分になった事がある。)しかし、それだって結局、創造性が必要なわけで、それがなければ、オレが嫌いな人種、ゲーセンで音ゲーを高速でプレイしてどこかの誰かが決めたモノを熱心になぞる人間になってしまう。しかしそれには小手先の技術ではなく、本当の危機感が必要なのである。それは何故かというと、危機感がなければ、自分が明日死に、もう何も出来なくなるという事を真に感じていなければ、そういう事をあえてする必要はないからである。


 オレは結局集団に混じると、少し変わってるけど良い人間であるピエロを演じてしまう。少し前アダルトチルドレンの記事を見て、そこに分類されている、コメディアンというモノらしい。それで、うっすらとした、安心、自分がそこに居ていい安心を手に入れ、危機感は霧と消えてしまう。オレは本来そこに居ていい理由がなければただ突っ立っていることもできず、肺を悪くしてとっとと死にたいと思ったこともあるが、そのせいで、煙草を吸っていればそこに居てもおかしくないという理由で、煙草を吸い始め、今では一日に二箱は吸うヘヴィ・スモーカーになってしまった。オレは結局何がしたいんだろうかと言うと、存在していて良い理由が欲しい。何者かになりたい。少し前、ジョンレノンを殺した男の自伝を読んだ。それにもそれが書いてあって、ゾッとした。オレの場合は、カートコバーンはもう死んでいるので、安心……


 そいつはライ麦畑を捕まえてが好きで、それで思い出した。ノルウェイの森の上巻を読み終わった。まったく、クソ、くだらなかった。本を読むのが辛く感じるのははじめてだった。通勤途中に読んでいたのだが、よっぽど駅のゴミ箱に捨ててやろうかと思った。しかしそれすら、村上春樹が嫌いなだけのサブカル野朗だと思われたがるために、それをやるのではないかと思い、しなかったし、出来なかった。まったく話が進まず、ライ麦畑の舞台を大学にして日本にしただけで、しかも問題点がいくつもある。ホールデン・コーンフィールドが何故魅力があるかというと、結局のところ、セックスをしなかったからで、それは、純粋だからである。だから童貞の心、あ、スメルズ・ライク・ティーンスピリットを持つ奴が、惹かれるのである。くだらない友達の自慢話を聞いてるみたいでつまらなかったという感想を見た事があるが、まったくその通りで、しかし、それを踏まえても、「ああ、オレにもそういう時期あったよ、まったく男ってバカだよな……ははは」とでも、笑いながら言いたくなるような、そういう本であるから、ライ麦畑をオレは好きなのである。


 何故ノルウェイの森はクソなのか?


 話がまっっっったく進まないからである。それだけならまだいい。陶芸家が一人居る。そいつはクソをこねているが、ひとこね、ひとこねするたび、チラとこちらを見て、どう? という顔をする。簡単な話、そいつは決して芸術家ではないし、表現者でもない。。ただの俗物だ。


 また、ただ、自殺感情というものを、ただ話を進めるためのアイテムとして利用している。冒頭に、死と生は繋がっている、という台詞があった。お前、本当にそう思ってるのか? と言いたいね。それなら、ああいうモノは書けないよ。


 あ、それから、さまざまな曲の名前やらエニシングが出るが、まったくそれについて触れられず、ただラッピングされた商品がおいてあるという印象しかない。少し前三島ゆきおの仮面の告白を読んで、それにも似たような所があったが、それは、あくまでも出す必要性というか、歴史は繰り返す、人は似通っているという事を演出するため、出しているように感じた。少なくともそれで遊び、感じた事で、三島ゆきおの手垢がついたそれを見ているように感じ、ああ、これには歴史があるのだなぁ、と感じた。ノルウェイの森に出る、ノー・ホエアマンや、ノルウェイの森の曲名はなんの意味もない。これを評価してる奴は、ビートルズなんて昔のどうでもいい古臭い曲を演奏してるロックバンドぐらいにしか思ってないんだろう。


 そして、話が詰まってきたら、とりあえず、セックス。いや、面白いね。


 総じた感想は、喫茶店なんかでかかってる、女が好きそうな、ジャズの荒々しさも何もない、日本に住む、ジャズが好きだったおやじが人生にぶちのめされ、食っていくためだけにそういうくそジャズを演奏している。そういうくそジャズを聴いている時の、嫌悪感、胸をかきむしりたい気持ちになった。


 ますます、こういう本を評価している、多数派というものがわからなくなった。ハリーポッターを好きな本としてあげている奴はバカだとは思うが、あの本はクソではない。少なくとも、面白い。この本を好きな本としてあげている奴は、本当に精神に異常があるか、無理をしていると思う。こんなにつまらない本は読んだ事がない。これ以下の本はPHP文庫の実用書欄ぐらいにしかないんじゃないかな。


 裸のランチをクソだという奴がいるが、これを読むほうが、裸のランチ初読時より辛かった。


 あ、ひょっとして、村上春樹は、本を読むことなんてやめて、現実で火炎瓶を投げろというため、こんなつまらない本を書いたのかもしれない。本でここまで感情を動かされることって中々ない。五分後の世界を読んだあと、UG兵士になりたいと思ったときと同じぐらい感情を動かされた。(悪いほうにね)そういう意図があったのなら、村上春樹は天才だな。


 とにかく、デッドエンドだ。明日、というか今日だが、今日は明日が休みなんで(これ、糞親父コピペで見る名文だな)思い切り何か薬をやる。あ、違法じゃない奴ね。死んでも良い。もう一度サヴァイヴの喜びを味わいたい。死にたくない。どっちなんだ? 死ぬ直前まで行きたいという事なんだろう。腐りたくない。今オレは腐りかけている。ゾンビになりつつある。それは最悪だ。太宰治も村上龍もカートコバーンも24歳に歴史を名を残す事をした。決して偶然ではなく、24歳というのは、25歳になる危機感があるのだと思う。四捨五入すると、30。オレにはそれが足りない。元々、のんきな人間だから……27歳で、ショットガンで頭をぶち抜いて死ななくちゃいけない。その時までに、何かをしなきゃいけない。そのまま死ねば、オレはただのショットガンで頭をぶち抜いたキチガイで死ぬ。何かをした、何かを踏み潰した、何かに踏み潰されたキチガイとして死にたい。


 ウォッカの味に飽きる。というか、あれは味がしない。ただアルコールというだけで、オレンジジュースを混ぜて飲んでいるので、オレンジジュースとアルコールの味がする。オレはラムコークが一番好きなのだが、ラムは高い。


 過去自分が書いた話を読んだ、アメリカンイディオットと、ニーディープインデッド。びっくりしたのが、おっ、こいつ面白い話書くじゃん、という事で、続きを読みたいなぁ、とは思うのだが、書く奴がなんと、オレしか居ない。ビックリした。自分から、自分に向けて、エンターテイメントを書く。いや、セルフフェラチオだね。


 あわせて、ドウジマの話。ひどい話だな。ドウジマは結局、マザコンで、どうしようもない人間で、殺人する奴というのは、こういうくだらん人間なので、ならないようにしましょう、という終わりになった。もし偉大な繊細な素晴らしい理由の殺人をする奴が居たら、そいつは殺人鬼でなく、革命家だ。オレもやりかねないので、ああいう話を書いてやらないようにした。村上龍のエッセイで、繰り返し同じニュースを流すのは、それを異世界と感じ、慣れ、落ち着くため、というモノを見た。それと同じで、オレも慣れ、落ち着くためにアレを書いたのかもしれない。殺人は甘えだと思う。甘えでないコミュニケーションというのは、恐ろしくわかりやすいか、圧倒的に素晴らしいもので相手を踏み潰すかでしか出来なくて、それは戦いだ。その戦いから逃げて、自分に楽な道に走るから、殺人をしてしまう。それは闘争からの逃げである。弱いものに振るう単純な力というのは最も才能も努力も要らない。


 遺伝のことについて考える。何故くだらない人間が多いのか? という事について考えた時、間違ってはいるだろうがそこにたどり着いた。例えばまず単純な話、オレの母親は激情型の人間で、逆に父親は温厚でなまけもの、そして共産党に心酔していた。そして二人とも芸術的な人間ではなかった。オレはあまり怒る事はないが、実際いつもイライラしていて、ただそれを表に出すのは無益なので出さない。そして、チェ・ゲバラとフィデル・カストロを尊敬している。そして、芸術的ではない……


 第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、勇敢な優れた人間のほとんどは死んだ。日本の場合は特にそれが顕著で、玉砕という言葉があるが、平坦に言うとあれは全滅の事で、そういう全滅を何度も起こしている軍隊というのは、そう中々ない。日本の死んだ人数はズバ抜けていて、驚く。はっきり、言おう。今生き残っている人間の先祖に優れた人間はほとんど居ないという事。あ、ほとんどという所がミソで、例えば数少ない、サヴァイブして日本へ引き揚げてきた人間、また戦地に向かう前に子供を残していった人間、そういうものの子孫も居るし、また戦争と関わらず反戦を貫いた人間の子孫も居るだろう。しかし、やはり、戦地に送られ本来ならまともに生きていた人間の子供は当然居ないわけで、ほとんどは戦争から逃げるか、入隊検査で合格できなかったものの子供である。どこかの哲学者か科学者の言葉で、第一次世界大戦が起こった事でルネサンスから続いた人類の進歩は粉々に打ち砕かれてしまった。という言葉がある。第一次、第二次を経て、そういう粉をふるいにかけるような事が二度もあって、粒の大きい粉はふるいから落ちる事ができず、そのままになってしまった。粒の大きい粉の方が、うまいパンが出来たかもしれないのに。


 まあまともな考えではなく、ヒトラーの優生学に近い考え方だし、何より、オレ自身の先祖が共産思想の上、入隊検査にも落ちる肺病病みだった事がコンプレックスになっているのだろう。酔っ払いの書くことなので、ご意見、ご感想は受け付けない。


 なんだろう。エネルギーが暴れたがっているのは感じるのだけれども、それをどこに向けたらいいのかわからない。オレも早くに成果が欲しい人間だから、早くに認められたい人間だから、くだらないふれあい、このサイトもだが、それを求めて、くだらないものをくだらない段階でくだらない投稿をしている。それはクソで、何かガス抜きの手段を得て、緊張と抑鬱をうまくコントロールして、射精させれば、オレは何者かになれるかもしれない。至福を感じたことはあるか? 至福に包まれている時というのは、体が浮いているようで、水の中に居るようで、それで居て息ができて、とにかく、サイコーだ。そういうところで死ねるのだと思うのだが、それをうまく出来ない。風俗にでも行けばいいのか? しかしそうしたいと思えない。


 幸福と至福は違う。幸福は持続的な至福だとオレは思う。嫁をもらって、子供を作って、小さいながらも幸福な我が家……というのは大嘘だ。ああいうのを見るとエジプトの壁画を思い出す。カテゴライズされ、あれに刻まれ、ゆっくりと死んでいく。


 オレは自分がキチガイだと思っているし、少数派だとは思うが、世の中の多数派はもっと間違っていると思う。何故みんなあんなに携帯に熱心で、一日八時間以上働けるんだ? オレには意味がわからない。オレは正直一日の三分の一を機械としてすごすことにかなり不満しか感じていないし、携帯のくだらないソーシャルゲームに夢中になれることもわからない。要するに、やりたくもない仕事をやって、それで活躍する事で仮の満足を得て、くだらないソーシャルゲームで偽りの地位を得て、それでそのままいつか死ぬことにどうして満足できるんだ? 一日一日、終わっていく、歩いていく、死という確実な終わりへ進んでいくことをどうして、承認できるんだ? オレだって真には感じていないから強くはいえないが、ああ、やばいなぁ。ぐらいの感情はもてないのか? 


 終わらない悪夢みたいだ。死にたい、死んじまいたい。でも、また死ぬ直前に、死にたくねえ、死んでる場合じゃねぇ、と思うんだろうなぁ。そうすりゃ、オレは生きていけるかもしれない。


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