07 領主館
◇
「この町で最も有名な建造物は何か」。
町人にこう問えば、誰もが同じ答えを口にするだろう。「エピーヌ領主館だ」と。
それ程までに目立つ構えなのだ。
町全体が中心部へと高くなってゆく山のような構造になっており、その頂上部分に一際目に付くかたちで建造されているのだから。階層も三階建てで、周囲の二階建て家屋とは異彩を放っていた。ここは田舎町、三階建ての建物がほぼ皆無なのが原因だろう。
もはや領主館は「エピーヌの象徴」と言っても過言ではない。
その領主館の最上階、執務室。
マチス・ライプニッツは、エピーヌ領主である父に泣き顔で訴えていた。
「……って訳なんだよ父さん! ねぇどう思うコレ!?」
ここは「ワンフロアで一室」という広大な造りとなっている。故にマチスの歳に似合わぬ甲高い声が無駄に反響してしまう。が、父であるオーヴェル・ライプニッツはそれを不快とも思わぬ様子で、ただ彼の言葉に耳を傾けていた。
「何とかしてよ父さん。ソフィアの家に変なヤツが転がり込んでるんだ!」
――かれこれ数十分。マチスはオーヴェルへの告げ口に全身全霊を注力していた。
それも今ようやく一区切りといった所で、オーヴェルはようやく口を開いた。
「何だ。あのソフィアとかいう娘、余所に男でも出来たのか?」
マチスは考え無しに首を縦に振る。
「分かんないけど……きっとそうだよ! 俺っていう許嫁がいるっていうのに!」
「そうかそうか。自分の立場を理解しておらんのだな?」
「うん! ねぇ父さん、どうにかしてよ!」
「余程の恩知らずと見えるな、あの娘。一度懲らしめてやらねばならんなぁ?」
「そう思うでしょ?! じゃ早速ソフィアの家を取り上げるとかどう?」
「いや、まずはその男は始末して――、」
「だ、駄目だよ!」
弾かれるように父の提案を拒否したマチスに、父オーヴェルは首を傾げた。
「……? 何故だ? 息子よ」
「アイツ滅茶苦茶強いんだ! いきなり凄まじいスピードで俺に襲い掛かってきてさぁ! 俺を地面に拘束して『俺の仕事なんだよ』とか抜かして、挙げ句俺を殺そうとしたんだよ!? 目がマトモじゃないし……絶対人を殺してるよアイツ!」
口から唾を飛ばしつつ必死に伝えるマチス。十八番の「告げ口」だ。
ここで本来のオーヴェルであれば激怒し、押っ取り刀で報復行動に出ていただろう。
だが。
「……まさか」
彼はそう呟くと口元に手を当てて考え込んだ。らしくない父の反応にマチスは戸惑う。
「ど、どうしたの、父さん」
「マチス。その男は極めて危険かもしれんぞ」
「そうだよ? だから安易に手を出したら危ないって言ってるじゃん」
「違う、そういった意味ではない。拘束時に『仕事』などという言葉が出て来たのだろう? ならば余程の事だ。恐らくは裏家業で生きてきた人間であろうな」
「……それがどうかした?」
「分からんか。『王が放った密偵』という可能性が高いのだよ、その男は」
「!? ま、まさか! 地下のアレがバレちゃった、とか?」
「何とも言えん。だが、念のため――始末はした方が良さそうだな」
「だ、だから! アイツ相当強いんだって……!」
「馬鹿を言うな息子よ。誰が直接襲えと言った? その男は『事故に遭う』のだ」
パチン。オーヴェルが指を鳴らした。
途端に広大なこのフロアの隅から尋常ならざる呻きが響く。狼のような、牛のような。それでいて何とも不愉快な、神経を逆撫でする獣の声だった。
ノソリ、ノソリと。「ソレ」は、隅の闇から徐々に姿を露わにしてゆく。
小さくマチスが「ヒッ」と悲鳴をあげるのを目にして、オーヴェルは笑いながら「コイツを連れてゆけ」と命じた。
「――……ッ!? こ、こいつを……」
マチスは怯えながらも眼前の獣に視線を奪われている。
確かに――コレであれば、あの男すら殺し切るだろう。否、殺せぬモノなど皆無だ。
「私は勿論、お前にも従うよう調整してある。安心して使役するがいい」
「ッはははははっ……! さすが父さんだ!」
「承知しているとは思うが、ちゃんと『事故に装え』よ?」
二度、三度。マチスは歓喜迸る表情で頷いた。
――こうして今まで、マチスが引き起こした問題は全て父が解決してきた。
時には金で、時には力で。三年前にこの地の領主となってから若干なりを潜めたものの、マチスの父に対する依存心は肥大していた。父も父である。歳五十を越えてようやく出来た一人息子だからか、甘やかす事に抵抗が無いので始末に負えない。
故に。領主であるにも拘わらず、この親子は町民から嫌悪されていた。
その事実に彼らが気付く機会は……一生訪れないだろう。
「クククククククッ。あははっ! コレなら絶対にアイツに負けないよなァ……!」
醜く歪むマチスの顔面。
先刻までの怯えは憤怒と化し、最早それは「殺意」へと変貌を遂げていた――。
◇