55 暗雲
「ね、姉さんっ! 何でジンへの警告を邪魔したの!?」
扉の向こう。
地下への階段に続く通路を走りつつ、レイルが非難の声をあげた。
「ジンはドラグレイスとの戦闘は初めてなんだよ!? あの種族はたった一人で100人に相当する戦力って云われる程だし、中でもゼルガは名の通ってる戦士……。攻撃力だって桁違いだ。もし一撃でも喰らったら――……」
「喰らうと思う? あのジンが」
「え。そ、それは……」
「喰らわないわよね? 今さら警告なんて必要ないでしょ。大丈夫よ」
「うん……そ、そうだけどさ……」
「ふふっ」
二人のやりとりに蒼衣は微笑した。
レイルの方が迅を心配している――そんな状況が新鮮である。
恐らく、レイルは竜人の恐ろしさを理解しているのだろう。なまじ知識がある為に。
が、迅はそもそも「常識」や「前提条件」を単騎で覆す戦力である。たとえ初めて遭遇する敵だろうと、問答無用で叩き潰すことができる。心配そのものが無駄でしかないのだ。ここに至り、ソフィアはそれを理解したのだろう。
尚も不満げなレイルに言い聞かせるように、ソフィアは言葉を続ける。
「確かに竜人は戦の申し子。強いのは確かよね。でもジンは更にその上を行っていると思うわ。魔瘴獣ですら討伐目前まで追い込んだんだから。だから、竜人なんかには負けたりしない。それは分かるでしょう? 私より彼との共闘の多い、あなたのほうが」
「う、うん。確かに」
「……それにレイル。あなた、長いのよ。話が。解説になると特に」
「そう? かなり縮めてまとめて簡潔に説明してるつもりだけどなあ。ねぇアオイ?」
「へ? ……あ、そ、そうなんですかね。うん」
蒼衣は曖昧な返事を口にした。
「迅の強さ」と「レイルの話の長さ」。ソフィアが本当に言いたかったのは間違いなく後者であろう。が、こちらの話題をレイル本人にサラリと流されてしまい、蒼衣は今後に一抹の不安を覚えてしまった。「毎回レイルによる長解説が差し挟まれるのか」と。
尚も敵のない通路を疾走する三人。
と、ようやく前方に階段が見えてくる。
「アオイ、そこを下りて。地下に続いてるわ」
ソフィアの指示に頷き、蒼衣は先んじて階段を下りた。
敵の存在を探るためである。
暗闇に溶け込む前方へと、双刀を構えつつ前進。視界はゼロだが、誰しも気配までは隠せない。即座に斬撃を放つ準備は整えている。
だが。気配は皆無であった。
「……いませんね、敵。どうやらあの竜人が言っていた事は本当のようです」
「全員引き上げさせた、って話? 何か相当ジンにご執心だったわよね。本気なのかしら……『一対一で戦うのが目的だから』っていうの」
「だと思うよ。ドラグレイスの戦闘への執着は、僕たちの理解が及ばないレベルらしいから」
「格闘家向きの種族です。わたしのいた世界ならば」
「実際そういう人もいるみたいだね。闘技場で賞金稼いで生活してる竜人」
カツン、カツン――……。
三人で悠々と。石造りの階段を下りる。
一歩、一歩と踏み進むたび、靴音が高らかに鳴り響いた。
必要以上のやかましさが神経を刺激する。が、この音の反響具合から判断するに、やはり兵をはじめとした人間は皆無と考えて問題ないだろう。
敵がいないとなれば、こちらの存在を知らせてしまう恐れもない。故に、灯りを求めたが、……蒼衣が口に出す前に、ソフィアが対応してくれた。
彼女の手元に、目映い光球が発生していたのだ。
「んん?! ソフィア、それは……?」
「『俯遊発光』。暗いところを照らす魔術よ。この世界じゃ使えない人はまずいないから『最も一般的な探索魔術』って云われているわ。樹海では使ってなかったけどね。発見されやすくなるから」
「なるほど……ライトすらも不要なのですね、この世界の人々は」
上向きに開いた掌の上を、野球ボール大の青白い光源が浮遊している。
光はかなり強いようで、この階段の下まで抜かりなく照らし尽くしていた。周囲にあるもの全てがしっかりと確認できる。
最下段に設えられた、粗末な木の扉さえも。
あの先が第五魔術の研究所であろう。
明るさで足下の不安が無くなったため、三人は即座に階段を下りる。
そして扉へと至り、留め金に手を掛け、開くと――。やはりそこにも人の姿は皆無であった。
蒼衣は室内を確認してゆく。
――十畳程度の広さ。壁も天井も石で構成されており、若干の肌寒さを感じる。
埃っぽさが満ちる周囲は、棚で埋め尽くされている。本は魔術書の類であろう。薬液に漬けられた生物の内臓なども数点見受けられる。知識のない蒼衣にとっては「魔術研究で生まれた生物実験の犠牲」としか映らない。
入ってきた扉の正面には、さらに奥へと続く鉄扉が目についた。小窓からレイルが言っていた「留置用の牢」が見える。となれば、この部屋は本来看守室として利用されていたのだろう。それを魔術研究所として改装したのだ。
そして、鉄扉のすぐ隣。小さな机が備えられており、その上には、分厚い帳面が開きっぱなしの状態で放置されている。手書きのペン文字が連なっている紙面が、妙に人間の存在を匂わせていた。
それを目にしたソフィアが「アレね」と呟く。
「総量からいって第五魔術の研究記録だと思うわ。ちょっと待ってて、調べてみる」
こちらの返事も待たず、齧り付くような勢いでソフィアはページを捲り始めた。
鬼気迫る表情である。恐らく、蒼衣とレイルが声を掛けても反応すら返っては来まい。
魔術が関わると人が変わる――実にレイルの姉らしい性格である。
ソフィアがページを捲る音だけが響く中。蒼衣とレイルは手持ち無沙汰となってしまい、周囲を見て回るだけとなっていた。
が、突然、
ズズン、……――。
上階から振動が伝わり、揺れる。
迅とゼルガ、両者の戦闘により発生したものだろう。
「……始まったようですね。どうやら」
「うん。ここまで響いてくるなんて。やっぱりドラグレイスの力は桁違いだ」
「でも、魔瘴獣に比べたら生易しい方ではないですか?」
「アレはもう災害みたいなものだから……。そういえば魔瘴獣はこの階にいないね? 向こうの牢にも姿は無いし……やっぱりオーヴェルの近くに待機しているのかな」
レイルはそう言って、牢へと続く鉄扉の小窓を覗き込んでいる。
――通常、こういった状況では常に迅が状況を確認していた。
この階に至る途中でもそうだったが、先行していたのは迅ではなく自分である。彼の代わりを担当しているという状況に、蒼衣は思わず笑みが零れる。
「ふふっ。……何か新鮮ですね。迅がいないパーティというのも」
「あ、そういえば確かに! 今まで無かったよね? 四人からジンが抜ける事って」
「元の世界でも作戦中、基本的に迅が先陣を切っていましたからね。わたしがその代わりというのは何か妙な気持になります。たとえ戻っても有り得ない布陣ですよ」
「そっか、……そうだった。ジンもアオイも、元の世界に帰る手だてが見つかれば、いなくなっちゃうのか。忘れてた。そう考えると寂しくなるよ」
「レイルは迅と仲が良いですもんね!」
「うん。ジンには色々と教えて欲しい事もあるし」
「安心してくださいレイル。幸か不幸か、そう簡単に帰る手段は見つからないと思いますので。――それに、今はオーヴェルをどう斃すかが最優先ですよ」
「あはははっ、確かに! それが終わってからゆっくり探せばいいんだ!」
「二人とも。ちょっといい?」
本から目を離さずに、ソフィアが二人を呼んだ。
不意に呼ばれたレイルと蒼衣は、机へと近づいてゆく。
途中、ソフィアの表情がうかがえたが……目に見えて曇っていた。
「申し訳ないんだけど、悪いニュースしかないわ。残念な結論になりそうなの」
「残念、ですか」
「うん。『意識操作』の変更方法なんかが見つかれば、ベディウスを戦わずして無力化できる――。そう思って、この資料を読んでたんだけど……不可能ね」
「何が理由ですか?」
「『陣術』が使われているから」
「陣、術……?」
「魔術の歴史から見て、割と近年に体系化された術式よ。古代エルフが起源なの」
そう言うと、ソフィアはペンで書かれた図形を指差した。
元いた世界では「魔法陣」そう呼称される形状に似ている。似ているが、蒼衣が昔見たものに比べ何倍も複雑な意匠である。
「これが陣術、ですか……? 普通の魔術とは何が違うんです?」
「『継続的に魔術効果を与えたい場合』に使われるわね。街灯なんかが良い例。王都では既に本格的導入が済んでて、市街地全体にこの術が組み込まれてるらしいわ」
「なるほど。しかし何故、陣術が使われていると厄介なんですか?」
「私が陣術に詳しくないからよ。レイルも無理でしょう?」
「……うん、勿論無理。姉さんが魔術で出来ない事を、僕が出来るハズないよ」
「というワケよ。術式の解体には専門的知識が求められるけれど、私の知識じゃ方法が全然分からない……。ごめんなさい」
「謝らないでくださいソフィア。『魔瘴獣への支配は解除不可能』、それが判明しただけでも意味があります」
「慰めありがとう。――それともう一つ、判明した事があるわ。こちらは主に『警告』の意味を含めて」
「警告……? 何が分かったのですか?」
ソフィアは眉間をコン、コンと叩いて「オーヴェルが他の魔術を使ってなかった理由よ」と述べた。
「予想通り『精神操作』の陣術発動中は、一切の魔術が使えなくなるみたい。というより『常に魔力を陣術に流し続けているから他の魔術が使えない』という感じね」
「ん……? であれば、魔術の大本であるオーヴェルを斃せば、……陣術への魔力供給は途切れ、結果として『精神操作』による支配は消滅するのでは?」
「するでしょうね。でもオススメできないわ」
「ど、どうして!? 魔瘴獣を精神操作から解き放てば――……、」
「解き放てば、どうなると思う?」
ソフィアの問いに、蒼衣は少し考え込む。
そしてすぐ、ハッとした。
気付いてしまったのだ――自分が提案した「陣術の破壊」、それが引き起こす結果を。
「分かったみたいね」
「……魔瘴獣が、暴走する」
絞り出すように。恐る恐る口にした蒼衣へ、ソフィアが頷いた。
「アオイは理解が早くて助かるわ。その通りよ。――今はオーヴェルの制御下にあるお蔭で、魔瘴獣はアイツに従っている。でも『精神操作』が解除された途端、本来の姿……理性も加減もない、破壊の魔物の本性を取り戻してしまうのよ。そうなってしまうと一巻の終わり。オーヴェルが居なければ止められない。エピーヌは半日で壊滅するでしょうね」
「……皮肉ですね。他ならぬオーヴェルのお蔭で、町の人が守られているなんて」
ヘンな笑いを漏らしつつ、そう実感する他ない。
オーヴェルが魔瘴獣を操作しているからこそ、エピーヌはまだ巻き込まれていない――。そんな巫山戯た結論が、事実に他ならないのだから。
ソフィアは「以上二点が判明した事実よ」と、結論を告げる。
「まぁ……あまり色よい調査結果は出なかったわね。でも、『本来の目的』は達成できたわ」
「その魔術研究の記録ですね。オーヴェルの罪を暴く証拠になります」
「ええ。私は解読できないけど陣術の式も書かれているし、最初からよく読むと『精神操作』を手にした流れも書かれているみたいだから。王都の調査団に提出すれば確たる根拠に成り得るわ…………、」
そう言って、ペラリ、ペラリ――。
ソフィアは研究記録のページ前半を適当に捲り続ける。
純粋な興味ゆえであろう。魔術が関わると、彼女の知的好奇心は一際つよく刺激されるのだ。故に、この記録を『意識操作』を受領した時期まで遡り、如何にして実用段階まで至ったのかを探ろうとしているのだろう。
ならば、ちょうど良いタイミングだ。
蒼衣はこの数分間に得た情報を、脳内で整頓してゆく事にした。
――オーヴェルは「陣術」という特殊な魔術で、魔瘴獣を操作していた。
この陣術は特殊性が高く、ソフィアの知識をもってしても術式の解除・変更は不可能。
また、魔瘴獣より先にオーヴェルを斃してしまった場合、最悪の事態となる。術師の消滅は、すなわち「魔瘴獣の暴走」という結果を生むためだ。
結果。魔瘴獣ベディウスは直接対峙し、斃す他ない――。
「……ふふっ」
やはり、苦笑してしまう。
結論の堂々巡りだ。結局はベディウスとの交戦を避けられないらしい。
迅の言うとおりとなった。ここから先、魔瘴獣との戦闘には、彼女とレイルの魔術のみが頼りとなるだろう。自分たちは最大限二人のサポートに尽くす他ない。
適当に目線を上げた先、ソフィアのページを捲る姿が視界に映る。
――と。その指が突然、停止した。
「ん。…………ちょっと待って。これ……」
彼女の視線は、文章のある一点に留められている。
気になった蒼衣とレイルは、ソフィアのもとへと駆け寄った。
「どうしたました、ソフィア?」
「ね、ねぇアオイ! 気になる名前があるんだけど、この資料に!」
「気になる名前……?」
「ええ! 『最初に意識操作を供与した人間』って記述があるんだけど……その人物っていうのが」
人差し指で、その名を指さす。
「ムラキ。あなた達が探してる男じゃないの?」




